体験しないと、分からないことってある。
経験して初めてわかることもある。
けれど、体験しないと理解できないと、切り捨てるのは、行きすぎだと思う。
体験しなくとも痛みや、経験を、わかろうと、努力すれば、ある程度近付くことは
出来ると思う。
体験しても、分かるとは限らないし、体験したことを、糧に出来る人は、多くないと思う。
体験しても、忘れてしまったり、記憶に残らないこともあるだろうから。体験がすべてというのは、違うという気がする。
体験しなければ絶対、分からないだろうということもあるだろうけれど、ドラマなどでよく
使われる、「子どもは?」とか「結婚は?」とかの台詞は、一番耳にしたくない。
子どもがからむ話題があると、必ず「子どもは?」と聞く。
配偶者の話題になると「結婚は?」と問う。
子どもがいない人には理解できない。
結婚したことが無い人には、わからないという含みがあるようで、嫌な気分になる。
子どもがいなくても、子ども時代を過ごしてきた者には子ども心はわかるだろう。
出産できない男性だって、父親になることはできる。
父性を養っていくことはできる。
出産したから母性が芽生えるわけでなく。赤ちゃんに接していくことで、母性や父性は培われていく。
産まなくては、母子の関係が作れないとうのは、違うと思う。
結婚での男女の関係もしかり。
要は、相手を思いやったり、頼ったり、頼られたりの社会は、同居のなかで、築いていくものだけど、結婚したから、夫婦の感情がわかるとか、子どもを持ったら親子の情がわかるというものではないと、思っている。
ただ、生活を一つにしていくことで、芽生えていく感情や、社会性は、養って行って欲しいものだとは思う。
だから、体験のないことで、切り捨てるのは止めて欲しい。
夫婦は、赤の他人が共同生活をしていく中で、お互いを知っていく。