高校生の時の現国の教師が、ラジオで講座をしているのを聞いたことがある。
高校時代、その教師の現国の授業は、好きだった。
目を洗われるという感じの授業で、文書が生き生きと呼び掛けてくるように感じたものだった。
高校を卒業して、たまたまラジオで「愛玩」という講座をやっているのを知り何回か聞いた。
行間を読むとか、文の背景を見るとかいうのを学んだ。
合唱をやるようになって、音符以外に作曲者の意図とか、時代の背景とかを知ることを教わった。
合唱につきものの、ハーモニー、リズム、メロディーというのは、良く言われることなので、気にはして
いる。
練習時にも気にかかる。
うすっぺらな声。太い声。甲高い声。ハーモニーを乱す(?)声が聞こえてくると、気になる。
それに、無意識に合わせようとする時があって、焦る時もある。
合唱をやっていて、アンサンブルの練習時に、響いたり、声がそろったり、息があったりすると
嬉しくなる。
練習後のICレコーダーのチェックも、練習時では気づかないことに気がつくこともあって、欠かせない。
日本の歌と外国の歌の違いは、背景の違い。国民の違い言葉の違いと漠然と思っていた。
「倍音」は2年ほど前に、ある合唱の練習の時に指導の先生がピアノで再現してくれたのきいたことがあった。
倍音にも2種類あって、
「整数次倍音」「非整数次倍音」があって、日本語は言語としては、整数次倍音で、表現要素として非整数次倍音になっている。
音楽についても同様。
西欧の言語は非整数次倍音で表現要素は音量。
音楽については、日本人同様、整数次倍音だが、表現方法は音量なのだとか。
それと、間の取り方についての話も興味深いものだった。
間の取り方に、慣れている日本人。
1、2、3、4、5、6、7、・・・・などと数えるのは、音取りの段階。長さを読むのに使っている。
音取りが終わったら、他のパートの動きや、音符などを頼りに後は、間でとらえることが多い。
合唱の練習時に「数えなさい」と言われる時と「数えないで」と言われる時がある。
数を数える時、頭を振り振り数えたり、声に数えているのが現れてしまうことがあるのは、
数を数えるのに慣れていないからかもしれない。
『間は魔に通ず』
『音は脳で創られる』
『第3の耳』なども一読をお勧め。
倍音
音・ことば・身体の文化誌
中村明一
春秋社