不適切なテロップを流した、某テレビ局が番組を休止したとか。
来週以降の番組は未定だとか。
「不適切な言葉」が公の場に流れることは多い。
重大な場合、世論が動揺した場合は、中止だとか、延期だとか、降ばんだとか、マイナスに
なることもある。
「不適切」との言葉事態不適切と思える言葉も結構多い。
地位のある人やメディアでの場合は、波及によって、問題は大きくなることも。
かつての、アナウンサーと呼ばれる人は、ニュースなどを読む時、言い間違えると
「失礼しました」とか、少したってから「さきほどの○○に間違いがありました。お詫びして訂正
致します」との言葉があったものだった。
最近のテレビ番組を見ていても、いい間違いが結構多い。
間違いが多いからなのか、「すみません」の言葉もなしに言いかえるだけのことも多い。
公人に多いのが、差別用語だったり、人の心を踏みにじったり、心が傷つくような言葉を
平然と発する人がいる。
後で、問題になって、公の場で誤ることになることも。
そんな時に「不適切な・・・・」という言いわけことばを使っていることが最近の傾向のように思う。
そうした場合、仕方なく誤っているように見えて、誠意が見られない。
「皆が、変だというので、訂正します」という感じにしか聞こえない。
人前で発言する時、たくさんの人がいる所で物を言う時、言葉を選びながら何故話さないのだろうか。
人を愚弄しようとする時、悪たれをつく人は、多いが、言葉の暴力も暴力の一つだとの認識のない人がいると哀しくなる。
ちょと前までは、すぐ、ぐさっと刺さった言葉に凹んだり、悩んだり、夜眠れなくなったりした。
最近は、免疫がつたのか、耳にする機会が減ったのか、あまり落ち込むことも少なくなって
ありがたいのだが、時折、異質の言葉を目にしたり耳にするようになった。
「不適切」としか思えない事に目くじらをたてて、異論を唱えたりすることもある。
反応がないとがっくりする。
反応があっても改善されていないと感じられる時も、むなしくなる。
喜んだり、悲しんだり、腹をたてたり、落ち込んだり。
だから、人生って面白いとまで、まだ意識の到達は出来ていない。
不惑の年でもないのだが。