かつて福島機関区があった場所の一部は、一昨年に宅地造成されてしまいました。
もはやED75、ED78、EF71ら赤い機関車が、ブロワー音やホイッスルを響かせながら、
昼夜を問わず頻繁に入出区を繰り返していたことなど、想像もつきません。
造成が済んでいないところは雑草に覆われ、荒れたままになっていたのですが、
先日ふらりとつばさを撮りに行った際、機関区時代の名残りを見つけました。
引き込み線の跡です。
左奥に見えるのが、本線の架線柱です。
ご覧のように、真新しい家が立ち並ぶ隅に、わずかばかり残された線路。
この場所には何度も来ているのですが、雑草に隠れ、全く気付きませんでした。
昔からこの場所には歩行者用の踏切があり、機関区内ではあったものの、
一般の立ち入りもできたところでした。
私も何度かここで写真を撮った記憶があります。
でも、その時の写真、どこ行ったんだろう。
やっとキヤノンA-1を買ってもらい、ネガカラーのフィルムを詰めて、
写真屋さんで同時プリントしていた頃の話です。
もはやED75、ED78、EF71ら赤い機関車が、ブロワー音やホイッスルを響かせながら、
昼夜を問わず頻繁に入出区を繰り返していたことなど、想像もつきません。
造成が済んでいないところは雑草に覆われ、荒れたままになっていたのですが、
先日ふらりとつばさを撮りに行った際、機関区時代の名残りを見つけました。
引き込み線の跡です。
左奥に見えるのが、本線の架線柱です。
ご覧のように、真新しい家が立ち並ぶ隅に、わずかばかり残された線路。
この場所には何度も来ているのですが、雑草に隠れ、全く気付きませんでした。
昔からこの場所には歩行者用の踏切があり、機関区内ではあったものの、
一般の立ち入りもできたところでした。
私も何度かここで写真を撮った記憶があります。
でも、その時の写真、どこ行ったんだろう。
やっとキヤノンA-1を買ってもらい、ネガカラーのフィルムを詰めて、
写真屋さんで同時プリントしていた頃の話です。
働いていて、そのことを一度もかんじなかったし、それを感じさせるものは、みじんもなかった。
そんなものかもしれないな。
この場所に家を建てる、ということには
いささか抵抗もある。
機関車がいまでも見れるなら、迷わず、
だが、がらんどうになってしまった所に
喜びや楽しみはないからね。
使命でしょ?君の?
君が福島機関区がそうであるように、首都圏の人には、東京機関区がそうだろう。
かつて名機の住処であり花形のカマがいた。61のねぐらだったことも有名。時代の流れだろう、往年のブルトレが続々廃止になりそれにあわせて配置もなくなった。なんと現在は倉はおろか、更地になってしまった。当然往時の面影はまったくないそうだ。場所柄、一等地なので品川界隈の再開発は首都圏に残された最後の巨大プロジェクトになるだろう。
東京と上野間に中距離線がつながったら、品川運転所もなくなるだろう。
すでに品川10番線もない。
かつて、昼間の客車の入れ替え作業や、洗浄線に何本もいた青い客車の風景はもう遠い過去となってしまった。品川の景色がどんどんなくなってくように感じる。