2011.3.11 14:46 2013-03-11 14:46:00 | 機関車 2年が経ちました。 あの時の記憶は、今でも鮮明に残っています。 震災後の極端な燃料不足。 スタンドの前に連なる給油待ちの車の列。 6時間待ち、7時間待ちも当たり前の日々。 そして始まった、磐越西線でのDD51による石油輸送。 コンビニやスーパーから、商品が消えたこと。 災害とはこういうものなのだと身を以って感じた。 福島では、今でも放射能の話題は尽きません。 ひとときも忘れることはありません。 福島の思いを知らない人たちに 原発再稼動を唱える資格はありません。 « EF64 鹿島貨物 | トップ | 千葉は春の陽気 »
1 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 あの時 (ヨルダン) 2013-03-11 18:25:32 写真なんか撮っている場合ではなく、3月は多分1度も撮影にいっていなかったかも?都心でも物質がなくなり、節電の日々だった。今日は会社でも全グループで、黙祷した。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
都心でも物質がなくなり、節電の日々だった。
今日は会社でも全グループで、黙祷した。