ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

挑戦するオヤジたち

2005年02月04日 | 通信-社会・生活

 先週土曜日(29日)の夕方、用があってGさんの事務所へ行く。そこにはGさんの友人のNさんもいた。Nさんは建築設計の仕事をしている人で、前にも一度Gさんの事務所で会っている。前に会ったときもそうだが、この日もまた三人でパソコンの話となった。
 GさんもNさんも60歳。二人とも設計図面を引く仕事。以前は手書きの仕事だったのだが今はパソコンを使っている。Nさんがパソコンを使い始めたのは55歳になってからのこと。Gさんの方はNさんより少しキャリアが長い。歳とってクファチブルー(堅い頭)になってからのパソコンは難しい。Nさんは、解らないことがあるとGさんに尋ねに来て、Gさんはまた私に尋ねる。私は二人より少しキャリアが長い。
 新HP作成ソフトの攻略に悪戦苦闘している私だが、いつも使っているCAD(コンピューターで図面を引くソフト)は長いこと扱っているので、まあまあ使いこなせている。還暦二人の疑問、質問にはたいてい答えることができる。キャリアの浅いNさんはまた、パソコンそのものについてもまだ理解が十分でなく、パソコンの初歩の質問も多い。
 「設計図面のデータを全部フロッピーに保存している。そのフロッピーがたくさん溜まり過ぎて、使いたい図面を探すのに苦労している。」とNさんが言う。
 「パソコンのハードに保存しておけばいいじゃないですか。設計図面のデータ程度なら向こう50年くらいの量は十分納まるはずですよ。」と答えると
 「データの件数が多いので、パソコンに入れるとデータ名がずらっと並び、かえって欲しいデータが探し辛い。」とのこと。つまり、Nさんはフォルダ管理を知らないのだ。いやいや、それを笑ってはいけない。解らないことは教えてもらわないと解らない。本を読んで理解するなんてことは、オヤジの脳味噌では難しいことなのだ。
 営業して、仕事を取ってきて、設計図、届出書類を書き、それらを役所へ提出し、許可が出たら現場へ出て、作業員に指示し、また営業へ行く。昼間は現場、営業、役所通いをこなし、夜、設計図、届出書類等を書く。誰よりも早く会社へ出て、誰よりも遅くまで会社に残っている。それがGさんの日常。頑張るオヤジだ。
 頑張るオヤジはまた50歳を過ぎてからパソコンに挑戦し、休みの日には私のところへ来たり、私を呼んだりしてパソコンを勉強する。そうやって解らないことをどんどん克服し、今では仕事上必要なことは軽くこなすようになっている。できるオヤジだ。
 Gさんに少し遅れたNさんも、今はまだ解らないことだらけみたいだが、諦める様子は無い。何とかなる。やればできるといった気概が感じられる。挑戦するオヤジだ。
 歳をとってもなお、新しいことに挑戦し続ける元気なオヤジたちは、きっとこの日本にはいっぱいいるのだろう。そして、殺人、強盗、詐欺、悪徳商法などが増えたとはいえ、まだ世界の経済大国であり、平和であり続けるこの国の元気は、おそらく、「明日に向かって挑戦するオヤジたち」が下支えしているお陰なのではあるまいか。あっぱれ!

 記:2005.2.4 ガジ丸


空き缶を叩くような音

2005年02月04日 | 通信-政治・経済

 昨日(29日)、零細企業の社長3人と話をする機会があった。3人はGさん、Nさん、Tさん、共に還暦の友人同士。もうそろそろ引退して、老後生活を送ってもいい頃だと思うのだが、そんなことは全然頭に無い。そんなこと考えている状況では無いらしい。
 Tさんの会社(Gさんと同業の設備工事会社)のCADソフトがおかしくなっているから直してくれないか、と頼まれ、Tさんの事務所を訪れた。Nさん(建築設計事務所の経営者)も同行。おかしくなっていることの原因はおおよそ見当がついていたので、頼まれごとは5分で済ます。あとは、4人で仕事の話、パソコンの話などをする。
 GさんとNさんはパソコンを使っている。二人とも50歳をだいぶ過ぎてからパソコンに挑戦している。あれこれ試行錯誤しつつも、使いこなすことができつつある。
 Tさんはパソコンを使っていない。息子さん(若いけれどまだキャリア不足でパソコンの不調を直せなかった)がパソコンを担当している。パソコンを息子に任せ、Tさんは今でも手書きで図面を引いている。細かい線引きなど老眼の目にはきつかろうが、ドラフター(製図板)に向かって黙々とやっているとのこと。
 デジタルの還暦二人とアナログの還暦一人、いずれも零細企業の経営者。長引く不況でパソコンを使える人材を雇う余裕は無い。毎晩遅くまで図面引きに追われているというアナログの還暦さんは、息子がパソコンやってくれていくらかは助かっているが、いずれにせよオヤジたちはみな一所懸命なのだ。生きるために頑張っている。
 さて、世の中のオヤジたちが、かように何とか踏ん張って、かんとか頑張って、この国の何らかの役に立っているというのに、だ。
 野党第一党の前代表が頭を丸めてお遍路しているっていうニュースは半年前くらいだったか。前代表は、この国の将来を見据えてきちんと物事を考える人だ、と私は思って、応援もしていたが、丸刈りから半年過ぎた彼の頭は、毛は生えたが、中身をどっかに置き忘れちまったようだ。もはや、叩いても空き缶のような鈍い音しか出ないようなのだ。
 今朝(30日)、テレビの情報番組で国会での議論の様子を見せていた。現状維持ではない、この国を良くするぞって意欲のある二人の政治家のやり取りを期待して観た。ところが、そんな私の期待は大きく裏切られて、
 「オメエ、トイレに行って雲子を流し忘れただろう。」
 「いや、流した。」
 「いや、流していない。」みたいな議論をしていた。情けないことだ。国会という場で議論するようなことかい、と思ったのだ。缶な音と濃い墨総理のやり取りは。

 記:2005.1.30 島乃ガジ丸