ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

国を愛する心

2006年04月14日 | 通信-政治・経済

 沖縄にはアメリカ人が多く住んでいるが、そのもっと昔からインド人、中国人、台湾人などがたくさん住み付いている。私は良く知らないがフィリピンなどの東南アジアの人々も多くいるらしい。東南アジア、インド、中国の人に知人は少ないが、台湾人は、母の友人にいたし、中学の頃には、台湾出身の同級生が何人かいた。
 中三の時のクラスメートにTという台湾出身の男がいた。Tはスポーツ万能で、喧嘩が強く、沖縄に来て3年足らずだというのに、勉強の成績も良かった。スポーツも喧嘩も平均以下、勉強の成績だけは平均よりちょっと上だった私は、それでも、彼となんとなく馬が合い、親しくなった。彼を中心に4、5人の遊び仲間ができて、その一人となった。
 自分に自信が無くて恥ずかしがり屋だった私は、人前で歌を歌うなどとんでもないことであったのだが、Tは大きな声でよく歌った。音楽の時間はもちろんのこと、休み時間も昼休みも、歩きながらも、遊びに行く移動中のバスの中でも歌った。
 彼のレパートリーには唱歌も歌謡曲もあったが、「沖縄にはいい歌があるよな」と言って、特に彼が好んで歌った歌がある。沖縄の有名な唱歌『芭蕉布』
 海の青さに 空の青 南の風に 緑葉の
 芭蕉は情けに 手を招く 常夏の国 我した島沖縄
これが1番であるが、最後のフレーズ「我した島沖縄」は「ワシタシマウチナー」と発音する。私の島沖縄ということであるが、ワシタには「私の愛する」というニュアンスが、学問的に正しいかどうかは不明だが、私の感覚では含まれている。
 私は、私の生まれ育った沖縄が大好きである。しかしながら、『芭蕉布』の前半にある海の青、空の青、緑葉の芭蕉、常夏などについては、それだけが沖縄では無かろうと多少反感を持つ。海岸にはゴミが一杯落ちているだろう?年間の日照時間は全国の平均以下だろう?倭国の春の若葉のような瑞々しさは無いだろう?1月2月は暖房が必要なほど寒かろう?などと思うのである。がしかし、最後の「我した島沖縄(ワシタシマウチナー)」については、まったくその通りなのである。沖縄は私の愛する島に違いないのである。
 沖縄が好き、という気持ちよりは多少劣るが、私は日本という国も大好きである。日本という国の風土が好きである。日本人も、もちろん全てでは無いが、概ね好きである。旅先で出会った人々には、意地悪な人もいるが、親切な人の方が多い。人間としての品格を多くの日本人が持っていると思う。洪水で皆が困っている時に略奪したり、暴動を起こしたりする他国のありようと比べてみれば、日本人の品の良さは格段上である。他人の弱みに付け込むことは醜いことであり、醜いことをするのは恥ずべきことであるという心を、日本人は伝統として持っているのだろう。それを誇らしく思う。
 教育基本法の改正がどーのこーのと新聞にあった。愛国心を教育するらしい。国を愛する心を持つことは大切な事であると私も思う。しかしそれは、押し付けられるものでは無い。ましてや、そこで対象となる国が、国体(国家体制)であってはならない。日本国政府であってはならない。愛国心でいうところの国は、大地であり、風土であり、そこに住む国民のことを指すべきであろう。多少落ちてきたとは言え、まだまだ日本の風土やそこに住む人々は、愛するに十分値するものと私は信じている。だから、何も強制しなくたっていいのだ。政府は嫌いでも、「日本が大好き」な国民がいっぱいいればいいのだ。

 記:2006.4.14 ガジ丸