ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

なまじかけるな薄情け

2007年03月23日 | 通信-社会・生活

 相当古い歌で、そのタイトルも歌手名も覚えていないが、・・・今調べた。インターネットはホントに便利。タイトルは『裏町人生』、歌手は上原敏。『裏町人生』は、そんなタイトルだったかなあと微かな記憶があるが、上原敏(ビンと読む)は全く記憶に無い。『流転』という歌も歌った人らしい。『流転』ももちろん、古い歌であるが、その歌詞を見たら、メロディーが浮かんできた。私も古いなあ。
 さて、『流転』では無く『裏町人生』、その歌詞の中に「なまじかけるな薄情け」というフレーズがある。他の部分は全く覚えていないが、そこだけは強く私の記憶に残っている。「なまじかけるな薄情け」を、「上っ面の愛情でちょっかい出すな」、「面倒見るなら最後まで見ろ」などという意味で私は捉えている。念のため、広辞苑で調べる。
 なまじは「深く心を用いないさま。中途半端。」で、薄情けは「かりそめのはかない情愛。」ということ。私の捉えた意味と、まあ、だいたい同じ様なことである。「毒を食らわば皿まで」とか、「キスをするならディープキス」ということ?である。あるいは、愛と対極にある憎しみで言えば、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とか、「どうせ殴るなら1発より100発」などがあると(たぶん)思われる。

  去年の暮れ辺りから、アパートの周辺でネコの鳴き声が煩くなった。以前から発情期の声は時々聞こえていたが、それとは違う甘えた声が多くなった。セックスでは無い愛情を求める声、人間に餌を求める声である。高い声のミャオ。
 近所の野良ネコ、私の畑に糞を垂れる憎きネコ共に1階の若い男が餌をやっているようなのである。隣の若い女もたまに餌をやっているようで、1階だけでなく、2階にもネコはたまにやってくる。ネコを見ると蹴っ飛ばしてやりたいと常々思っている私にさえ、甘い声を出す。しかし残念ながら、私は薄情けを、なまじかけることはしない。私の部屋の前でミャオ、ミャオと鳴くネコも、「この男はダメだ」とすぐに諦めてくれる。

 「薄情け」の「薄情」は「はくじょう」とも読む。「義理・人情にうすいこと。愛情の薄いこと。心のつめたいこと。」(広辞苑)ということ。1階の若い男や隣の若い女から見れば、私は薄情者に映るかもしれない。「この寒空に、お腹空かせて、建物の陰で縮こまっているんだ。それを見て、お前は可哀想と思わないのか。」と彼らは言うかもしれない。しかし、それでも断固として私は、野良ネコ共に食物を与える気持ちは無い。少なくとも、「野良」を「飼い」にする覚悟が無い限りは与えない。今のところそんな覚悟は微塵も無い。「薄情者め」との非難は甘んじて受ける覚悟はできている。

 野良ネコに、気紛れに餌を与えて、ちょいと優しい心を持った気分になる。その気分はちょいとした幸福感を与える。そういう気分が私はあまり好きでない。優しくも無いのに優しいなどと自分の心を勘違いしてしまう。勘違いの幸福に騙されてしまう。
          

 記:2007.3.23 ガジ丸