ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版065 いちゃりばちゅーでー

2008年08月01日 | ユクレー瓦版

 マナとユーナがカウンターの向こうにいて、ウフオバーが台所にいて、ケダマンがカウンターに座っている。今日もいつものユクレー屋だが、私は一週間ぶり。

 「先週末から顔見なかったけど、どこ行ってたの?」(マナ)
 「うん、里帰り。」(私)
 「里帰りって、オキナワだろ?」(ケダ)
 「あっ、そうか、マジムンになる前は普通のネズミだったんだよね。」(ユーナ)
 「じゃあ、前に住んでいた家に行ったんだ?」(マナ)
 「うん、その家の婆さんが亡くなったんでね。手を合わせに行った。」(私)
 「ふーん、律儀なんだね。」(マナ)
 「世話になったからね。昔の話だけど。」(私)
 「昔って、どれくらい?」(ユーナ)
 「80年くらい前さ、初めて会ったのは。その家に嫁に来たんだよ。18か19歳だったと思うな。とても可愛い人だったよ。今でもはっきり覚えているよ。」(私)
 「ネズミだった時の記憶も残っているんだ?」(ユーナ)
 「マジムンになってからその頃のことを思い出せるようになったんだ。その家で私は生まれてね、そこで長く暮らしてね、長生きしてね、マジムンになったんだ。」(私)
 「でもさ、普通のネズミだったんでしょ、最初の何年かは。若い女の人だと家にネズミがいたら嫌がるでしょ?追い出されなかったの?」(マナ)
 「いや、姿を見られることはほとんど無かったと思うよ。こっちはちょくちょく見ていたけどね。ただ、私の子供や孫たちが天井裏で音を立てていたから、ネズミがいるってことは知っていただろうね。でも、知らん振りしていたよ。」(私)
 「あっ、やっぱり、ネズミって、屋根裏にいるんだ?」(ユーナ)
 「まあね、棲家はだいたいそうなるね。」(私)
 「天井裏で大人しくしていてさ、その女の人とはほとんど接点が無かったんでしょ?いったいどんな世話になったの?」(マナ)

 ということで、その頃のことを少し詳しく話した。

 私が普通の3倍位生きていて、そろそろ死にかけて動けなくなっていた頃、その女の人は3人の子供のお母さんになっていた。そしてその頃は、戦争の時代となっていた。
 彼女の亭主は出征していて、義父は既に亡くなっていて、その家には義母と彼女と子供達だけが残されていた。いよいよオキナワが戦場になりそうだということになって、3人の子供は九州へ疎開し、その数日後には義母と彼女もまた、ヤンバルの知人を頼って疎開することになった。立派な造りの古い家が、住人のいない家となった。
 家を離れる日、彼女は天井裏に1個の芋を置いていった。その頃既に物資は不足していて、食料を入手するのも困難となっていた。それなのに、自分達の食料となる貴重な芋を置いていった。そして、「留守の間、家を守ってください。」と手を合わせた。
 彼女はどうやら私に気付いていたようだ。天井裏に普通じゃないネズミがいることに気付いていたようだ。そのネズミが動けなくなっていることに気付いていたようだ。
 彼女の芋は私の命を数日間永らえさせた。でも、その辺りの記憶はとても曖昧なんだけど、その後すぐに私は死んだと思う。宇宙空間へ投げ出されたような景色があって、気がつくと、私は元の天井裏にいた。ただ、これまでとは意識は全く違うものだった。彼女の芋に何か不思議な力があったのだろう。私はマジムンとなっていた。
     

  「以上が、彼女から受けた大きな世話さ。」(私)
 「ふーん、そうなんだ。あんたがマジムンなのは彼女のお陰ってことね。」(マナ)
 「たぶんね、そういうことだと思うよ。」(私)
 「ところでよ、話は違うが、お前の子孫には会ってきたのか?ネズミは多産だろ?いったいどんだけの子孫がいるんだ?」(ケダ)
 「どれくらいって、そんなの考えたことも無いよ。そもそもどのネズミが私の子孫か?なんてのも判らないよ。みんなおんなじ顔してるしさ。」
 「おんなじ顔って、じゃあ、ネズミには仲間意識ってのは無いの?」(ユーナ)
 「仲間意識ってのは小さい内の我が子くらいかな。大人になったら子供も孫も見分けがつかないから皆一緒だな。だから、どこのどのネズミも同じくらい親しい仲間ってことになる。これをネズミの世界では、イチャリバチューデーって言うんだよ。」(私)

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.1


胃の辺りが重くなる映画『靖国』

2008年08月01日 | 通信-音楽・映画

 先々週の土曜日、映画を観に行った。いつものように桜坂劇場。上映時間に遅れることの多い私だが、今回は余裕、3分前に着く。ところが、余裕の3分前に着いたにもかかわらず、目当ての映画を観ることができなかった。
 目当ての映画とは『靖国』、他府県のどこかで、その上映が右翼団体の圧力で中止になったという話を聞いたが、沖縄でもそうなった・・・というわけでは無い。
 チケット売場の前に行列ができていた。桜坂劇場に行列ができているのを私は初めて見た。30~40人ほどが並んでいた。その最後尾に付いて30秒も経たない内に係りの人が言う。「ヤスクニ13時上映のチケットは残り6枚です。」と。で、すぐ後に、「お並びの方、申し訳ありませんが、チケットは完売しました。」とのこと。桜坂劇場の映画が満席になるなんて、これも私にとっては初めての経験であった。

 その後、用があったのでパレット久茂地へ行く。最上階に休憩場所があるので先ずはそこへ向かう。1階からエレベーターに乗った。エレベーターの中には地階から乗ったであろう客が数人いた。乗降口近くに私は立ち、乗降口に体を向ける。私の後ろにはカップルがいた。チラッと目に入っただけだが、二人は抱き合っていた。2階で半数が降りて、そこからはそのカップルと私と、カップルの横に立っていた初老の婦人が残った。
 カップルは5階で降りた。ドアが閉まるや否や、初老の婦人が大声では無いが、私にはちゃんと聞こえるように厳しい口調で言った。「まったく、恥ずかしいとは思わないのかねぇ。公衆の面前であんなことするなんて!」と。
 カップルは確かにイチャイチャしていた。見てはいないがキスも何度かしていた。それは音で判った。しかし、私は特に気にならなかった。他人事であった。しかし、カップルのイチャイチャは、初老の婦人には、自分も関わっている社会の出来事として捉えられたのかもしれない。ということは、イチャイチャの気にならない私は、「社会の出来事は自分にも関わることである」と捉えることのできない無関心野郎なのかもしれない。

 二日後の月曜日、世間一般は休日だが、零細企業である私の職場はいつもの通り出勤となる。ところが、朝飯食っている時に社長から電話があった。「先週言い忘れたが、今日は休みです。」とのこと。急な休日は困るぜと呟きつつ、オジサンは出かける。
 映画『靖国』を観に行った。この日は万全を期して、桜坂劇場へは15分前に着いた。良い席に座って、観た。そして、約1時間後、映画が半分を過ぎた頃から、前に『命の食べかた』を観ても何とも無かった私の胃が、この日はムカムカしだした。
  『靖国』は、靖国の現実を描いただけの映画である。特に政治的主張は感じられない。しかも私は、総理大臣の靖国参拝について絶対反対でも無いし、進軍ラッパと共に靖国を参拝する人たちに対しても強い反感は感じない。それでもムカムカした。
 自分とは違う主張をする者に対し、暴力的な言動でもってその主張を妨害することが私は嫌いみたいである。そんな場面が多くてムカムカしたみたいである。
 私は、生命の危険が無い限りにおいては、互いの主張は互いに尊重しなければならないと常々思っている。・・・と思っていたが、他人の主張は他人事、俺には関係無いと私は思っているだけかもしれない。私は、単なる無関心野郎なのかもしれない。
          

 記:2008.8.1 島乃ガジ丸