ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版067 たましいの墓

2008年08月15日 | ユクレー瓦版

 午後、久しぶりにシバイサー博士の研究所を訪ねた。今日は盆のウークイ(送り)の日ということもあって、先週に引き続き、ユクレー屋で花火大会をする。そのお誘い。博士は熟睡中だったので、メモを残して、後はゴリコとガジポの遊び相手をする。
 研究所裏の浜辺に出て、彼らと共に走り回る。一人と一匹は元気だ。白い砂浜の上、容赦なく照りつける灼熱の太陽の下でも疲れを知らない。まるで太陽の子だ。1時間ほど遊んで、私の体はたっぷりの汗で濡れていた。私の喉が「ビール、ビール、ビール。」と叫んでいる。もう限界、ということで、まだ遊び足りないって顔をしている一人と一匹にサヨナラする。「夕方、ユクレー屋においで、花火大会だ。」と言い残して。

 で、夕方、いつものようにユクレー屋、早速、ジョッキを注文して、グビグビやる。
 「プハーッ、旨い!」と思わず声が出る。
 「何だ、ビールはいつものビールで、目の前はいつもの年増と生意気な小娘だぞ。今日が特別旨いってわけでも無かろうが。」とケダマン。
 「いやー、浜辺でゴリコとガジポと遊んでね、今さら言うまでも無いんだけどね、南の島の真夏の太陽は激しく熱くてね、たっぷり汗をかいたのさ。」
 「そういうわけか。まあ、そりゃあそうだな。どの銘柄のビールが旨いかなんてどーのこーの言うよりも先に、汗をかいた後のビールが一番旨いわな。」
 と、これだけの会話の間に、ジョッキ1杯を飲み乾した。
 「マナ、おかわり。」
 「はいよ。体は衰えても、肝臓は衰えないんだね、あんたたち。」

 「はい、」と、マナはおかわりのジョッキを私の前に置いて、
 「ところでさ、ゑんちゅはユクレー島のお墓って知ってる?」と訊いてきた。
 「ん?・・・何?・・・はかって?」
 「さっきさあ、ユクレー島にもたった一つだけどお墓があるってウフオバーが言ってたんだけどさ、ゑんちゅはそのお墓のことを知ってるの?」
 「あー、ユクレー島の墓ね、そりゃあ知ってるよ。って言うか、ケダマンも知っているはずだよ。なっ?」と言って、ケダマンの顔を見る。
 「うん、そうだ、そういえば思い出した。確かに墓はあったな。しかし、あるってことは思い出したが、その墓の詳しいことを俺は聞いてないな。」
 「それならウフオバーが詳しいはずだよ。って言っても、いないね、オバー。」
 「オバーは、この島にもお墓はあるよー、って言った後、ウークイの準備があるからって、ずっと母屋に行ってるさあ、だから、話が聞けないままなのさ。」
 「私もそれほど詳しくはないんだけどね。」と言いつつ、少し語った。

 この島にもたった一つだが墓がある。ウフオバーが頼んで、シバイサー博士が作ったものだ。ユクレー屋の裏手の、山の中腹にひっそりとある。
 ごく僅かな者を除いて、この島に永く住む人はいない。この島には病院が無いので、重い病気や大怪我をした人(滅多にいないが)は島から出て行く。永く住んでいる僅かな人もまた、死期が近付いたら島を出て行くことになる。マミナ先生、勝さん、新さん、太郎さんもいずれそうなる。ウフオバーだけが例外だ。彼女は不死身なのだ。ということでつまり、この島で死んだ人はいない。死んだ人がいないのに墓がある。
  その墓には沖縄の墓らしく遺骨を納める空間はあるが、よって、遺骨は一つも入っていない。それじゃあ何のための墓なんだというと、行先を見失って彷徨っている魂が奉られているらしい。墓碑にはその通り、「たましいの墓」と書かれてある。
 オバーの考え方はこうだ。深い悲しみを背負って生きている人は、運が良ければユクレー島に辿り着いて、心を慰める機会を得る。しかし、死んだ人の中にも深い悲しみを負った者はいる。彼らの救いになればと願っての「たましいの墓」ということである。
     

 以上が、ユクレー島にたった一つだけある墓の概要。
 「母屋に仏壇があるよね、だけど、仏壇にトートーメー(位牌)は一つも無いよね、つまりはさ、仏壇も誰と決まった人を奉ってるわけじゃ無いんだ。」と締めくくる。
 「ふーん、そうか、彷徨っている魂のためなんだ。オバーはそんな魂を感じることができるんだね。だから、今日もお盆のご馳走を供えてるんだね。」
 と、ユーナが感想を述べたところで、仲間が集まりだした。今日はいつものメンバーにシバイサー博士、ゴリコ、ガジポも加わる。ゴリコと仲良しのユーナが大いに喜ぶ。
 で、その後は予想通りの、賑やかで楽しい花火大会となった。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.15


孤独な自由人

2008年08月15日 | 通信-社会・生活

 沖縄ではお盆(旧盆)一週間前の旧暦七月七日(七夕)に墓掃除をする風習がある。先祖を家に迎え入れる準備の一つである。仕事の都合で1日遅れではあったが、先週の金曜日に、その墓掃除に行った。清明祭(5月)にも墓掃除をするので、七夕の墓掃除はその時に比べると楽ではあるが、それでも、沖縄の夏は雑草天国だ。2ヶ月余りでぐんぐん伸びる。除草だけでも1時間はかかる。その他含めて2時間ほどの作業となる。

  我が家の墓の隣には小屋が建てられていて、そこには一人の自由人が暮らしている。掃除を始めて30分ほど経って、自由人が小屋から出てきた。彼は、彼が庭のようにして使っている他家の墓から我が家の墓の傍を通って、反対側の木陰のある別の墓へと何度も往復した。コンロらしい一斗缶、ヤカン、椅子などを運んだ。そして、椅子に腰掛け、新聞に目をやりつつ、コーヒーを飲み始めた。なかなか優雅である。
 彼とはこれまでに何度か言葉を交わしている。彼の生活道具などが我が家の墓の中にもたいてい置かれてあるので、「掃除するので片付けてもらえませんか?」と言うと、さっさと片付けてくれる。そこから、ちょっとした会話となる。今回はしかし、会釈だけで済ませた。私は黙って掃除を続け、彼は黙って自分の持ち物を片付けてくれた。
  話し相手が欲しいのかもしれないと思った。コーヒーを飲みながら世間への愚痴を語りたいのかもしれないと思った。でも、今回は無視した。前に彼と会った時、長々と説教されたので、またそうなったら嫌だなと思って。
          
          

 説教されたのは、私の不用意な発言が原因だった、と思われる。
 私は電気や水道の無い生活をしている彼のことを可哀想などとは思っていない。世間の煩わしい付き合いから逃れる代わりの孤独であり、面倒な労働に束縛されない代わりの貧乏生活である。将来はとても不安だろうし、孤独や貧乏からくる辛いこと悲しいこともたくさんあるだろうが、死ぬほど働かされている都会のサラリーマンと比べたなら、その幸せ度は大差無いと思っている。なので、私は普通に訊いたのであった。
  「食べ物はどこから得ているのですか?」、「お金はどうやって得ているのですか?」などといったことである。彼を浮浪者と決め付けての発言である。私は、思ったことがそのまま口から出るという癖がある。もしかしたら浮浪者じゃないかも、浮浪者風の文学者かも、という思いを込めて、遠慮した言い様にした方が良かったかもしれない。

 強い者がどんどん強くなる。金持ちがどんどん金持ちになる自由競争社会となった日本国では、弱い者はもっと弱くなり、貧乏人はもっと貧乏になる。私の勤める会社は零細企業なので、経営は常に黄色信号であり、そんな中で若くない私はまた、いつリストラに会っても不思議でない状況にいる。ある日突然、収入が途絶えるということになるかもしれない。そうなった時に私は、はたして生きていけるだろうかと考えた。
 なので、私は食べられる草や木の実のことを今、勉強している。野山を駆け回ることのできる体力維持にも努めている。墓を住まいにする状況になっても、生きてやろうと思っているのだ。私には女房も子供もいない。いずれは天涯孤独の身だ。それでも、私を子分扱いする姉の世話には死んでもなりたくない。孤独ではあっても自由でありたい。 
          

 記:2008.8.15 島乃ガジ丸