ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

せっかく集めたのに

2008年11月14日 | 通信-政治・経済

 あっそうだろう総理が景気対策として打ち出した定額給付金が、さんざん迷走して、やっと決着した。決着して良かったね、などと私は思っているわけでは無い。
  私には、定額給付金が何故景気対策になるのかという意味が解らない。給付金に使われる総額2兆円は税金である。税金は国民から集めたお金である。国民が協力してお金を少しずつ出し合って、少しのお金ではできないようなこと、社会全体の役に立てるようなことのためにと集めた2兆円、「税金を取り過ぎました。今、社会全体のために必要なことは特にありません。なので、返します。」というのならともかく、今こそ、社会全体のために何か手を打つべきであろうと思う。食の安全対策、食料の安定的確保、エネルギー資源の確保などなど、いろいろあるはずだ。よく考えてね、と言いたい。

 せっかく集めた大金を、大金にしかできないことに使わず、戻す。集める手間、戻す手間などを考えても無駄なことだ。「定額給付金は選挙用のばらまき」と野党が言っているが、そうなんだろうと私も思ってしまう。でなければ、天下の愚策である。
 であるが、もちろん、言うまでも無く、政策が実行されたなら、私は粛々と給付金を受け取りにいく。私は貧乏人で、老後に不安がある。1万2千円は貯金する。
          

 記:2008.11.14 島乃ガジ丸


絶対評価

2008年11月14日 | 通信-社会・生活

 今もそうなのか知らないが、私が子供の頃、小中学の成績は相対評価というもので、高校になるとそれが絶対評価になった。相対評価は、テストの点数によって、クラスの生徒を5段階に区分する。絶対評価は、テストの点数そのものを段階区分する。
 あっそうだろう総理が所信表明で述べていた「日本は強くあらねばならない」は、絶対評価で「強く」なのか、他所の国と比べての「強く」なのか知らないが、私としては絶対評価で、しかも、「逞しい、元気」といった意味の「強く」であって欲しい。他国との比較でなく、日本は平和を維持して欲しいし、他国との比較でなく、日本国民が最低限生きていけるだけの、国力の逞しさは持っていて欲しいと思う。

  「侵略戦争ではなかった」という論文を発表した自衛隊の偉い人がいた。何らかの理由をつけて、他所の国へ行って、他所の国の人を殺すことを「正しい戦争」するならば、自衛隊の幹部にそう考えている人が多くいるのであれば、日本の平和も危うい。
 少なくとも、「侵略だった、ごめんね。」と文人(政府)が公式見解を出している以上は、軍人はそれに従うべきである。シビリアンコントロールは微塵も揺るがしてはならない。それこそ、他所の国より我が国はましだ、などと相対評価などしてはならない。絶対評価の、10段階の10を常に維持しておかなければならない。
 その偉い自衛官はまた、「憲法は変えた方が良い」などと国会で言ったらしい。自衛隊がもっと自由に動けるようにしてもらいたいということなのだろう。軍の幹部が「俺たちを自由にしろ」と言っている。とても恐ろしいことだと私は思うのだが・・・。

 先週亡くなった筑紫哲也は「平和の尊さ」を常に語っていた。戦争を知らない私だが、暢気な私だが、そんな私も同様に思う。「平和」は絶対評価で尊い。

 ※言葉をあまり知らない友人Hのために
 シビリアン・コントロール(civilian control)
 「軍隊の指揮権が文民によって統制されること。また、政治の軍事に対する優位を定めた制度。軍部の政治への介入や独走を抑止するためのもの。」(広辞苑)
          

 記:2008.11.14 島乃ガジ丸


社会の指標

2008年11月14日 | 通信-社会・生活

 「侵略戦争ではなかった」という論文を発表した自衛隊の偉い人がいた。その偉い自衛官はまた、「憲法は変えた方が良い」などとも国会で述べた。
 大義名分(難癖つけたりも含め)があれば、他所の国へ行って、他所の国の人を殺しても構わないと思っている自衛官が存在する、と考えると恐ろしい。自衛隊は油断がならない、油断すると恐ろしいことをする、危険な奴、などと思ってしまう。

 常に社会の出来事に目を光らせ、注意を喚起する人がいた。特に平和については、油断を怠らない人がいた。「平和の尊さ」を彼は語っていた。彼は私にとって、国のあるべき形、望まれる社会の形を示してくれる人であった。私が思い描いている「良い社会」は、おそらく、彼の影響を大きく受けている。彼は社会の指標であった。
 社会の指標、筑紫哲也は沖縄にも縁が深い。凡人が訪ねていって貴重な時間を無駄にさせては迷惑だろうと思うが、会ってみたい人だった。ウチナーンチュの一人として、沖縄に関心を持ってくれてありがとう、と感謝を述べたい。・・・合掌。

 筑紫哲也が亡くなった日、たまたま酒屋に行ったので、予定外のものを買った。予定していたのは日本酒、予定外に買ったものはウヰスキー、その夜の晩酌の予定は日本酒であったが、急遽変更してウヰスキーにした。筑紫哲也の世代はウヰスキーが好きだろうと思ったからだ。彼を尊敬はしていたが、遠い人なので、悲しいという気分では無い。残念という気分と、沖縄を気にかけてくれたことに感謝する気分。・・・乾杯。

 そういえば、日曜日の朝7時半の、8チャンネル(フジテレビ系)の番組といえば『報道2001』だが、そのコメンテイターであった竹村健一がいつからかいなくなった。解りやすい言葉で政治や社会を語っていた人だ。筑紫哲也が左なら、竹村健一は私にとって右の指標であった。彼の話が聞けないのは残念である。元気なんだろうか。
          

 記:2008.11.14 島乃ガジ丸