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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明032 触らんラップ

2008年12月26日 | 博士の発明

 週末の夕方、いつもとはちょっと違うユクレー屋、カウンターのこちら側はケダマンと私の毎度お馴染みだが、向こう側はいつもより賑やかだ。ユイ姉がいて、ユーナもいて、4、5日中には出産予定のマナもいる。大丈夫?と思うが、大丈夫らしい。
 「助産婦さんが、母屋で一緒に寝泊りしているんだよ。」とのこと。
 「へぇー、そりゃあマナは助かるけど、助産婦さんは大変だね。」(私)
 「だな。ここへ呼んで、酒でもご馳走したらどうなんだ?」(ケダ)
 「いつ陣痛がくるか判らないから、お酒は飲めないんだって。それに、ウフオバーとユンタクしているのが楽しいみたいよ。今も二人一緒だよ。」(マナ)とのこと。

 台所で料理していたユイ姉が戻ってきて、一皿の肴を我々の前に置いた。料理は刺身、シメサバのようだ。ユイ姉お手製のものかと思って、訊いた。
 「シメサバも作れるんだ。さすがだね。」
 「作れはするけど、これは私が作ったんじゃなくて、ガジ丸。」(ユイ姉)
 「あー、そういえば、昼間来て、さっさと仕込んでいったな。サバをさっと3枚に下ろし、塩をふるまで5分ほど。手早かったぜ。」(ケダ)
 さすが元ネコ、魚料理はお手の物のようである。
 「でも、シメサバって、塩漬けじゃなく酢漬けだろ?」(私)
 「その後、ちょっといなくなって、しばらくして戻ってきて、酢に漬けたんだよ。そのまま寝かせて、夜には食べごろになるって言ってたさあ。」(ユーナ)
 「シメサバって時間がかかるんだね。」(私)
 「しかし、よくそんな面倒なもんガジ丸は作るな。」(ケダ)

 ということで、夜、ガジ丸がやってきた時に訊いた。
 「ネコだった頃からサバは大好物だったな。生でも、煮ても焼いても、肉も内臓も、頭も骨も大好きだったな。シメサバだけはちょっと苦手だったんだが、マジムンとなってからはシメサバも大好きになったんだ。で、自分で作ったりする。」とのこと。
 「サバにはちょっと苦い思い出もある。ネコだった頃、俺に親切にしてくれて、家にも入れてくれて、餌もくれていた女の子がいたんだ。ある日、その家の台所を見ると、テーブルの上に生のサバがあったんだ。それを見て、俺は理性が効かなくなった。ラップをかけられていたけど、それを剥がして、ガブッと齧りついた。あとで、えらい怒られたよ。俺はしょうがないが、女の子まで怒られた。彼女は泣いていた。それを見てるのが辛くてな、とても後悔したよ。」と、ガジ丸が珍しく思い出話を語ってくれた。

 ついでなので、その頃の思い出話をさらに語ってもらったが、長くなるので、その件については別項とし、いずれ発表したい。「ガジ丸の生い立ち」となる。

 あんなことこんなこといろいろあったガジ丸の話が終わって、あんなことこんなことに我々もいろいろ想像をかき立てられたが、ユイ姉が話を現実に戻す。
  「そういえばさ、私もよく猫に魚を齧られていたさあ。で、さ、その当時、シバイサー博士に頼んだことがあるよ。店に置いてあるものに、飼い猫が口をつけないようなラップができないかねぇって。そしたら、作ってくれたんだよ。そんなもの。」
 「博士の発明だね。具体的にはどんなだったの?」
 「名前は『触らんラップ』、猫も触らないラップという意味。唐辛子の成分が練りこまれているラップでさ、舐めると殺人的な辛さ、で、猫も寄り付かない。」
 「うん、それはなかなか役に立ちそうだね。」
 「いやー、それがさ、あんまり辛くてさ、私が手で触ってもヒリヒリするし、食べ物にその辛さや匂いも移るしさ、そんなもん、二度と使えなかったさあ。」
 「やはり、使いモンにならん発明品だったか。いつものこった。」と、ケダマンが感想を述べたが、私もまったく、同様の意見を持った。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2008.12.26


明日は明日の風が福袋

2008年12月26日 | 通信-社会・生活

 長い人生の中で、かつて一度だけ福袋なるものを購入した経験がある。東京に住んでいる頃、学生だった頃だ。買った場所は、吉祥寺だったか、武蔵境だったか、国分寺だったか、伊勢丹だったか、東急だったか、イトーヨーカドーだったか覚えていないが、いくらだったか、袋の中身は何だったかも記憶に無いが、中身にガッカリしたことはよく覚えている。そのせいで、福袋、以降二度と買うことは無い。
 いくらだったか忘れたが、中身は値段よりお得だったことは確かだ。でも、多分、その多くが、よく考えれば自分の必要とするものでは無かったのだと思う。貧乏学生は、何て無駄なことをしたんだろうと、大いに反省したのであった。

  福袋、最近は中身の分っているものも多いらしいが、私が買った頃は、袋を開けるまでは何が入っているか分らなかった。なので、「何か良い物が入っているかもしれない」と期待する。けれども、期待は裏切られて、ガッカリとなる。
 「前の人に比べると明るくて元気がありそうだ。何とか上手く舵取りをしてくれるに違いない。」と大いに期待する。が、いざ、仕事をさせてみると、決断はぶれる、行動は遅い、トンチンカンなことを考える、などとなって、期待は裏切られる。
 船長は乗員の命を守る義務があると思うのだが、今度の船長はそういう意識があまり無いのか、「乗員がどうなっても、俺はこれからも裕福だ。」などと思っているのか、事態の深刻さを、緊急事態であることを感じていないみたいである。

  年内の景気対策を何もしないまま、かといって、解散もしないまま国会が閉幕した。船長には庶民の生活の厳しさが見えないのだから、しょうがないのだ。
 じつは、かくいう私も、船長が何もしなくたって、年度内(来年の3月いっぱい)は仕事があり、リストラの危険が無く、食うには困らない。じつは、かくいう私は、生来の楽天家なので、4月以降リストラにあったとしても、何とかなると思っている。
 けしてそうでは無いことも多いのだが、私の明日は、あるいは来月は、あるいは来年はきっと、何か良いことが待っていると思っている。私の未来は福袋である。

 寒風の中、不安を抱きつつ年末を過ごしている人々がいる。そんな彼らに「明日は明日の風が吹く」なんて言うと怒鳴られるかもしれないが、何とか希望を見つけて、生きていって欲しいと願う。来年にはきっと、口の歪んだ船長も辞めているだろう。
          
          

 記:2008.12.26 島乃ガジ丸