ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版085 勝さんの慟哭

2009年03月13日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、いつものユクレー屋。夜になって、ガジ丸一行のユクレー島運営会議も終わって、みんなで世間話タイムとなる。先週の「年寄りの脛を齧らなければ生活が立ち行かないほど世の中は不況になっている」が再び話題となる。

 「やっぱり不況は深刻なの?私の店大丈夫かなぁ。」(ユイ姉)
 「だな、失業者に飲む金なんてないからな。飲み屋も客が減るわな。」(ケダ)
 「心配だなぁ、ちょっと見に行こうかな。」(ユイ姉)
 「確かに深刻だな、不況は。だけど、ユイ姉の店はこのあいだ覗いたけど、まぁまぁ客はいたぜ。不況だからこそ癒しの必要な人も多いのさ。」(ガジ)
 「ユイ姉の店は癒される店なんだね。」(私)
 「それは嬉しいねぇ。そうか、大丈夫か、一安心さあ。」(ユイ姉)

 「ユイ姉の店は癒されるんだ、それはいいなぁ。一度訪れてみたいもんだね。」と、テーブル席から新さんが話に加わった。
 「三人で一度行ってみようか?」と太郎さん。
 「そうだなぁ、もう長いことオキナワに帰ってないしな、三人で、それぞれの墓参りをして、その後、ユイ姉の店で一杯やるか。」と勝さんも同調する。
 「おー、いいんじゃねぇか。爺さん三人故郷巡り旅、渋いぜ。」(ケダ)

 「そういえばさ、三人は向こうではどういう扱いになっているの?死んだことになってるの?身寄りとか友人知人とかいないの?」とユイ姉が訊く。
 「たぶん、まだ行方不明者扱いだと思うな。友人知人も親戚もいるよ。」(勝)
 「私もたぶん同じ。」(新)
 「私も同じ。三人とも親兄弟、子供がいないことも同じ。」(太郎)
 「三人とも家族がいないってことか。まあ、この島にいるってことは、親兄弟、子供がいないことになる何か悲しいことがあったって訳だな。」(ケダ)
 「うん、まあ・・・。」と、三人は口を揃え、口を濁す。

 「新さんはずっと独身だったって前に訊いたけど、勝さんや太郎さんは?」(ユイ姉)
 「俺も太郎も結婚はした。太郎は死に別れて、俺は逃げられた。」(勝)
 「勝さんは建築会社の社長だったんだよね。」(私)
 「うん、結局は潰してしまったけどな。」(勝)
 「女房子供に逃げられたってのは何でだ?」(ケダ)
 「それは、たぶん、俺の性格の問題だろうな。」(勝)
  「再婚は考えなかったの?」(私)
 「金のある頃は常に女がいて、もてていると思っていたんだけどな。会社が潰れてからは相手にされなかった。後から思えば、金のある頃も好かれていたかどうかは疑問だな。俺じゃなく、金がもてたんだろうな。何しろ、傲慢だったからな俺は。」(勝)
 「傲慢だったんだ。」(ユイ姉)
 「酷かったと思うよ。会社が潰れて苦しい時期に、女房が一所懸命支えようとしたんだけどな、そんな女房を奴隷扱いしてたんだな。だから、逃げられた。」(勝)
 「それで、この島に?」(私)
 「いや、誰からも相手にされなくなって、孤独になって、もうダメだなと思った時、ふと立ち寄ったお寺の、そこの住職に助けられた。いろいろ教わったよ。人の生きる意味とかね。で、自分がいかに傲慢であったかに気付いたんだ。」(勝)
 「それで、この島に?」(ケダ)
 「いや、先ず、コツコツ真面目に働いて生きていこうと決めたんだが、その前に、一度女房に会って謝っておこうと思った。で、彼女の実家に行った。」(勝)
 「許してもらえたか?」(ケダ)
 「いや、会えなかった。彼女は心を病んで入院しているとのことだった。そして、娘には会わないでくれと彼女の両親に言われた。子供は、・・・俺と別れた後間もなく子供は事故死したらしい。彼女はそれを自分の責任と思って、それで・・・。」(勝)
     

 私もケダマンも、もう「それで、この島に?」とは訊かなかった。
 その時の勝さんは死ぬより辛い思いだったに違いない。過去のいろんな場面が蘇ったであろう。女房子供に対する自分の愛情に気付いたであろう。激しく後悔し、慟哭したであろう。そしていつかしら、海辺に佇み、ふと、ユクレー島が見えたのであろう。

 まあ、悲しみを経験しているからこの島にいるわけなので、この島にいる人の話は概ね悲しい話ばかりだ。だから、我々は悲しい話に慣れている。それに、本人も既に悲しみを乗り越えている。というわけなので、その数分後には話題が変わり、いつもの賑やかなユクレー屋となった。そして、その夜、爺さん三人故郷巡り旅の日程が決まった。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.3.13


躾は子供の為ならず

2009年03月13日 | 通信-社会・生活

 ニュースだったかワイドショーだったか、乳母車、って言わないか今は、ベービーカーだ。ベビーカーを4歳過ぎの子供にも使っているという話があった。
 4歳といえばもう一人前の子供だ。一人で十分歩けるはずだ。いや、3歳からでも一人で十分歩けるはずだ。それをベビーカーに乗せるなんて、ずいぶん子供に甘い母親がいるもんだと思った。ところが、その母親達は、子供に甘いのではなかった。
 何故一人で歩けるほどの子供をベビーカーに乗せるのか?という質問に対する彼女らの答えの多くが、「ベビーカーに乗せていると子供があっちこっち動き回らないので管理しやすい、子供のペースではなく自分のペースで動ける。」などといったことであった。どうやら母親達は、自分の都合でそうしている。自分に甘いみたいである。

 モンスターペアレンツという言葉を去年幾度も耳にした。学校に理不尽な要求をする父母達のことを言う。私がテレビで観たり聴いたりした限りでは、彼らの理不尽な要求は子供を愛するが故の行動というわけではない。子供自身、あるいは自分達に責任があるべきことを学校側のせいにし、文句を言い、わけの分らない要求をしている。
 子供を躾けるのは親の責任だと思うが、彼らはそれをしない。子供のやることにいちいち注意したり、怒ったりするのは面倒臭いと思っているのだろう。モンスターペアレンツは子供を甘やかせているのではなく、自分を甘やかせているのだと思う。

 従姉の息子夫婦には二人の幼い男の子がいる。彼ら家族には年に数回会う機会がある。会うたんびに「厳しいのう」と私は感じる。私がこのブログでたびたび褒めている才色兼備の母親が、息子達の躾に厳しいのだ。「止めなさい!いけません!だめです!」を私は何度も聞いている。「厳しいのう」と私は感じながら、でも、「お母さん頑張ってるな」とも思う。彼女(彼女の夫も)は、厳しく自分の責任を果たしている。
 そうやって、自分を甘やかすことなく、面倒な子育てに日々奮闘し、厳しく子供を育てることは、きっと、子供にとってはまともな人間になるための修行となるが、親にとってはさらにその上の、立派な人間になるための修行となるのだろう。

  大家の家の隣の敷地が宅地造成されて、道ができて、そこから時々石が投げられる。その道を通って小学校に通う子供たちの仕業だ。「子供はケダモノだからね」と大家の奥さんが言う。彼女は、数年前に引退したが、小学校の校長であった。校長の前は教頭で、教頭の前は一般教諭であった。そんな彼女が言うので、それはその通りであろう。
 ケダモノを人間にするのは大変難儀な作業だと思う。難儀な作業を忍耐強く続け、子供を人間に育て上げる。それによって親達は自らも成長する。躾は子供の為ならずだ。子育てどころか、結婚生活という難儀な作業も経験しない私はなかなか成長しない。
          

 記:2009.3.13 島乃ガジ丸