ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録027 大人少年コカン

2009年03月27日 | ケダマン見聞録

 オキナワに帰ったユイ姉と入れ替わるようにしてユーナがやって来た。春休みの間、2週間ばかりはいる予定とのこと。ユクレー屋を手伝うとのこと。
 夕方になって、ゑんちゅ小僧が来て、いつものように俺と並んでカウンターに座って、その相手をユーナがする。マナが来る前は、これがいつものユクレー屋の光景だった。その頃はユーナもまだ高校生で、生意気なガキであったが、女子大生を一年経験した今は、どこか落ち着いている。大人の女に近付きつつあるってことだろう。
 と思っていたら、ユーナの奴、ビールの入ったジョッキ2つを俺とゑんちゅの前に置いた後、もう1つジョッキを出し、それにビールを注いで、それを手に持って、
 「かんぱーい。」と、自分のジョッキを俺たちのジョッキにそれぞれ当てて、そして、ジョッキを口に持っていき、グビグビ音を立てて、三口、四口飲んだ。

 「おい、オメエ、酒を飲むのは別にちっとも構わないが、ここには警察もいないから補導される心配も無いが、それにしても、ずいぶん慣れた飲みっぷりだなあ。」
 「そりゃあ慣れてるさあ。コンパなんかで飲むからね。」
 「そうか、・・・まあ、そういやぁそうだな。酒の無いコンパなんてつまらないだろうしな。未成年でも大学生なら酒も許されるだろうしな。」
 「未成年って、私もう大人だよ。今年、成人式だったさあ。」
 「成人式?って、あー、そうか、人間にはそういうのあったね。」(ゑんちゅ)
 「ほー、であったか。しかし、お祝い事じゃないか、誰も知らなかったのか?」
 「私もうっかりしてたさあ。ジラースーに言われて気付いたんだよ。ウフオバーもマミナ先生も知ってたよ。三人からはお祝いも貰ったよ。」
 「ふーん、知ってる奴は知ってたんだな。三人は、・・・って、お前が成人なのはシバイサー博士やガジ丸も当然知っているだろう。お前を育てた二匹だ。あいつらからは何のお祝いも無かったのか?薄情な奴らだな。お前の大好きなガジ丸なのにな。」
 「薄情ってわけじゃないよ。元ネコだったから、成人っていう概念が無いんだよ彼らには。元ネズミの僕もそうだけどね。だから、大好きなガジ丸からお祝いされなかったとしても、ちっとも淋しがることはないよ。」(ゑんちゅ)
  「だよね。何かあっても、何も無くても、ガジ丸はいつも優しいし。」
 「だけど、同じマジムン(魔物)でも元人間だったケダは成人式っていうものを理解できるよな。」なんて、ゑんちゅが余計なことを言う。案の定、
 「あっ、そうだよ。ケダ、あんたこそ薄情者さあ。」となってしまった。
 「俺は忘れっぽいんだよ。それに、ずっとこの島にいたわけじゃないから、誰がいくつなんて、いちいち記憶しちゃあいねぇんだよ。」と、何とか言い訳する。
     

 「それにしても、少女からは卒業しているかもしらんが、大人っていうにはまだ少し幼い気がするなぁ。大人少女ってとこかな。大人少女ユーナだ。」
 「大人少女かぁ、私も何かそんな気分だよ。恋人いないし・・・。」
 「恋人の問題でもないが、・・・あっ、そうだ、大人少女で思い出した。」
 というわけで、ケダマン見聞録その28『大人少年コカン』の始まり。紙数も少ないので短く語る、っていうか、元々短い話。

 ある星のある国に、難病を持った少年がいた。心臓や肝臓やその他の臓器が時々、代わる代わるその機能を失うという病気だった。しかし、その星は地球より科学も医療も発達していた。少年はそのお陰で生き延びることができた。
 主電源が消えた時に動く予備の発電機みたいに、少年の体の中に別の内臓器官が予備としてあって、彼の心臓や肝臓がその機能を失った時に、それらが働き、心臓や肝臓が再生するまでの数日間、あるいは数ヶ月の間、代わりの役目を果たしてくれていた。
 内臓の働いている時間が普通の人より短いため、彼の体は歳を取るのが遅かった。二十歳になっても彼の肉体は、ただ一箇所だけを除いて、十歳の少年のままであった。
 順調に生育した、ただ一箇所の臓器というのは彼の生殖器、そこだけは既に大人の大きさ、むしろ、平均よりずっと立派な大きさであった。そんなことから、彼は大人少年と呼ばれ、小さな体に、大きく肥大した股間ということで、またの名はコカン。

  「もういいよ。助平な話なんでしょ、どうせ。聞きたくないよ。」とユーナ。ここで、場面はユクレー屋に戻る。
 「未来少年コナンのパロディーかと思ったら、サイボーグの話なんだ。」(ゑん)
 「どちらも残念。聞きたくなくても話はこれでお終い。また、未来少年コナンのパロディーでもサイボーグの話でも無い。股の名は股間ってオチだ。ハッ、ハッ、ハッ。」と、俺はシバイサー博士が駄洒落を言う時のような大得意の気分であったが、
 「人の話をけなすのは好きじゃないけど、ケダ、それはちょっと下らなさ過ぎる。」とゑんちゅが言い、ユーナは蔑む目で俺を見ていた。何で?
     

 語り:ケダマン 2009.3.27


サムライ魂

2009年03月27日 | 通信-その他・雑感

 選抜高校野球が開催中のようだが、スポーツ全般にあまり関心のない私は、沖縄の高校が勝ち進んでいるのかどうか不明。そもそも沖縄代表がどこの高校なのかも不明。
 そんな非県民(友人Hにそう呼ばれる)の私はさておいて、一般に肉体労働者たちはスポーツ観戦が好きである。辛い仕事を終えて、家に帰り、風呂に入って、テレビの、年配なら野球や大相撲、若い人はサッカーやK1などをビールを飲みながら観戦するのが好きである。地元の高校が甲子園で決勝戦なんていったら、仕事も休みになりかねない。休まなくても、労働者たちは現場で仕事をしながらラジオに耳を傾ける。
 ところが、私の勤める会社は、たとえ地元高校の甲子園決勝だとしても仕事の手を休めさせない。どころか、仕事中のラジオも禁止となっている。そんなことが長年続いているので、同僚たちも慣れてしまって、特に騒ぐこともない。

 そんな同僚たちだが、今週火曜日の夕方、現場から帰ってきて、事務所の中に入って、私と顔を合わせたとたん、「日本、勝ちましたかね?」と先ず、若いMが訊く。私は、昼休み家に帰って飯を食っている最中もフジテレビの『笑っていいとも』を観ていたので、詳しい経緯は知らないが、パソコン作業中にインターネットのニュースで日本が勝利したということは知っていた。その旨告げると、「そうか、勝ったか。」と年配のKさんが笑顔を見せ、「すごいなぁ。」とか何とか、しばしその話題となった。
 一日の労働を終えて、たっぷり汗をかいて、たっぷり疲れて帰ってきた肉体労働者を笑顔にさせてくれる、そんな力がサムライジャパンにはあった。労働者だけじゃなく、日本国民の多くに喜びを与えてくれた。偉い人たちだと思う。尊敬する。

  スポーツ全般にあまり関心のない私は、サムライジャパンを尊敬はするけれども、WBCの試合をニュース以外ではちっとも観ていない。私は日々、淡々と暮らし、たぶん試合のあったであろう週末も、せっせと畑の草を抜いていた。
 とは言え、優勝祝賀会でのイチロー選手のはしゃぎぶりを見ると、心から祝福したくなる。いつもクールな人があれほどはしゃぐのは、よほどの重圧だったに違いない。韓国のメディアには「イチロー選手は不遜」などと批判するものもあるようだが、それは全くお門違いなのだ。よほどの重圧を跳ね除けて勝ち取った優勝、戦った相手を侮辱する行為で無い限り、どんなにはしゃいでも許されることであろう。
  むしろ、準々決勝だったか、前の日本対韓国戦で、韓国がマウンドに国旗を立てた行為こそが、その時戦った相手を侮辱する行為だと私は思う。それが決勝戦の勝利であれば、世界の頂上に立ったという印の旗になるが、そうでない試合では「俺たちはお前たちを打ち負かしたぞ、どうだ、参ったか。」と言っているみたいで、気分が悪い。

 日本の選手たちも、勝利の後、相手に感謝する態度が見えていたならもっとサムライらしかったであろうと思う。が、重圧の中戦った者たちにそれは求め過ぎだろう。私としては、WBC関連に長い時間を割いたマスコミに期待したのだが、私が観た限りでは、どの番組も『戦った相手を称えるサムライ魂』が欠けているように感じた。
          
          

 記:2009.3.27 島乃ガジ丸