ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録029 ほったら菓子

2009年05月08日 | ケダマン見聞録

 ユーナが先週末に帰ってきていて、今日もまだいる。巷では先週末からゴールデンウィークのようで、ユーナも休みが続いているのだが、しかし、休みも一昨日までだ。
 「昨日から学校は始まってるんだろ?」
 「うん、でも別に、2、3日休んだってどうってことないよ。」
 「まあ、だな。真面目に学問して偉い人になろうって器じゃないしな。」
 「失礼だねぇ、これでも成績は良い方なんだよ。とても優秀ではないけどね。でも、まあね、偉い人になれるなんて自分でも思ってないさあ。」
 「うん、なかなか謙虚でよろしい。まあ、自分の食う分は自分で稼いで、真っ当に生きていれば何かしら社会の役には立つさ。それで十分。」

 「役に立つって言えばさあ、ケーキ屋さんでバイトを始めてからクッキーやケーキ作りも得意になったんだよ。友達の誕生日なんかに作ってあげてるさあ。」
 「クッキー?ケーキ?なんて、まったく興味ないんだが俺は。」
 「私の作るお菓子、なかなか評判良いんだよ、何か作ってあげようか?」
 「世界的規模の食糧不足になって、最低限生きていけるだけの食糧を確保するために、余計な食い物はできるだけ削除しようとなった場合、人間が食う食い物で真っ先に削除されるべきものはだ、俺が思うに菓子類だな。甘いものはなくてもいいな。」
 「えーっ、お菓子のない世界なんて夢の無い世界と一緒さあ。お菓子の生る木が欲しい位だよ私は。むしろさ、最低限って言うならさ、お酒なんて全然いらないよ。」
 「何を言うか、酒のない世界なんて・・・おー、そういえば、ある星の話なんだが、あったぞそういうの。酒がなくて、お菓子はたくさんって世界。」
 ということで、ケダマン見聞録その29、『ほったら菓子』。

 その星は概ね平和であった。平和ではあったがつまらない社会であった。念のために言っておくが、「平和だからつまらない」なんてことは絶対無いぞ。平和だからこそ楽しいことがわんさかあるんだ。その星がつまらないのは、酒文化が発達しておらず、酒を飲んで酔うという概念が存在しなかったせいだ。
 酒文化が発達していない代わりにお菓子文化は大いに発達していた。お菓子は、女子供だけじゃなく大人の男も・・・、

 「ちょっと待った!」と、ここでユーナが声を上げ、話はいったん中断。
 「なんだ、話は始まったばかりだ、腰を折るんじゃない。」
 「女子供という表現が差別的だね、取り消してもらいたいね。」
 「煩せぇな、じっさい好きだろうがよ、お菓子が、女も子供も。」
 「男だってお菓子は食べるよ。」
 「そりゃあ食べるさ、一般的な話をしてるんだ。平均的にはとか、一般的にはとか、例外もあるけどとかいちいち注釈入れなくても分かるだろうがよ。」
 ユーナはなおも不満そうな顔をしていたが、話を再開する。

 その星の人類のほとんど、老若男女問わず、甘いもの好きで、そのせいか人々の心は甘く、穏やかで優しい性格をしていた。そのお陰で、その星の平和が続いていたのかもしれない。また、そのせいで酒文化が発達しなかったのかもしれない。

 お菓子文化が発達し、お菓子の科学も進歩したが、お菓子の生る木は無かった。甘いもの好きは果物も好きであった。木に生る甘いものは果物で十分だったのだ。
  お菓子の生る木は無かったけれど、お菓子のできる野菜はあった。地球でも落花生は炒れば菓子になる。ジャガイモは薄くスライスして油で揚げれば菓子になる。しかし、その場合はどちらも土から掘り出して、そのまますぐには食えない。ところが、その星には、土から掘り出して、洗って、皮を剥けば、そのままお菓子としてすぐに食べられる植物があったのだ。品種によってチョコ味、キャラメル味などいろんな味が楽しめた。
 その野菜はまた、育てるのに手間もかからない。種を植えて放っておけば、勝手に育って、そのうちジャガイモのようにして地下にお菓子ができた。
     

 「いいなぁ、それ。欲しいね地球にも。」と、ここでまたユーナが話の腰を折る。
 「まだ、終わってないぜ、最後のオチが・・・、」
 「オチなんて聞かなくてもいいよ別に、どうせ駄洒落でしょ。地下にできるから『掘ったら菓子』って名前なんでしょ。放ったらかしでもできるんでしょ。」
 「あっ、コノヤロウ、俺が一番言いたかったことを先に言いやがって!」
 ということで、見聞録その29『ほったら菓子』は終了となった。

 語り:ケダマン 2009.5.8


ウチナーンチュの本性

2009年05月08日 | 通信-沖縄関連

  二十四節気の一つに清明がある。今年は4月5日から19日までがその節で、沖縄ではその間に墓参りをするシーミー(清明祭)と呼ばれる行事がある。
 母の三回忌がまだなので、我が家は今年清明祭はやらない。そういう決まりとのこと。ではあるが、1年放っておくと雑草が大変なので、掃除はやっておこうと先週の土曜日に出かけた。掃除は40分で済んだが、墓には1時間ほどいた。残りの20分は、我が家の墓の隣の隣に小屋を建てて住みついている自由人の話し相手であった。
 話を長引かせたくないので私からは話さない。たまに相槌を打つだけで、もっぱら聞き役となる。それでも、他に話し相手がいないのか、彼はとても饒舌で、半年ぶりの私をなかなか離そうとしない。20分間、愚痴を聞かされる。
  彼の話は、「俺は東京でも大阪でも浮浪者をやっていたが、ウチナーンチュが一番根性が悪い。」といった内容。どうやら、隣の墓の清明祭の時に、そこの人とひと悶着あったらしい。「青い空とか青い海とか人が優しいとかきれいごとばっかり言っているがよ。」なんて、まるで、ガジ丸の唄『シークヮーサーの反逆』みたいなことを言う。
          
          

 琉球人が倭人に比べて優しいなどとは私も思っていないが、(概ねの)琉球人が(概ねの)倭人に比べていい加減な性格であるとは、私がそうなので、思っている。
 墓掃除の後、実家へ寄って1時間ばかり父のパソコン教室をやって、その後、末吉公園を散策する。その時の散策には一つの目的があった。五弁のクチナシ(普通は六弁)を去年見ていて、その花の写真を撮るという目的。しかし、既に花は散っていた。せっかく来たのにとがっくりだったが、「ま、いいか。」とすぐに開き直る。
  その翌日の日曜日、散歩を30分で済ませ、畑仕事も30分で済ませ、部屋を夏の装いにする作業に時間を割いた。四月になった時点で、火鉢を片付け、長袖シャツを押入れに仕舞い、半袖シャツを表に出すなどの衣替えしなくちゃあと思っていたが、そのうちそのうちにと引き伸ばして、例年よりだいぶ遅れた衣替えとなった。
 「ま、いいか」とか「そのうちそのうち」という性格は私の性格であるが、ウチナーンチュの代表的な性格でもある。私は真っ当なウチナーンチュというわけだ。

 私がよく利用しているバスは、古くからある沖縄資本のバス会社であったが、数年前に本土資本の会社に経営が移った。本土資本になるのは、ウチナーンチュとしてはあまり気持ちの良いものではないのだが、経営が移ったとたん、バス運転手のマナーが格段に向上した。そういう教育をしたのであろう。客としては乗っていて気持ち良い。
 ところが、先日乗った同社のバスは以前の運転に戻っていた。「機嫌悪いのかな、女房とケンカでもしたのかな。」と思いつつ、「ナイチャーの運転手だったら私事を仕事に影響させないだろうな。」と思って、運転席の上部にある名札を見ると、案の定、運転手はウチナーンチュであった。その日の帰りのバスは、いつも通りの丁寧な運転、名札を見るとナイチャー(沖縄は独特の苗字が多いので、名前である程度判断できる)であった。その数日後に乗ったバスは粗い運転、運転手はウチナーンチュ。どうやら機嫌が悪いのでは無く、ウチナーンチュの本性が現れたようである。ちゃんと教育はしても、喉元過ぎればということなのであろう。本性はなかなか消えてはくれないのである。
          

 記:2009.5.8 島乃ガジ丸