ユーナもマナもマミナもケダマンもいなくなって、ユクレー屋を手伝う者がいなくなった。週末だけなら私でもできるのだが、「いいよ、面倒でしょ。」とウフオバーに気遣いされて、私がカウンターに立つことは無い。客相手は概ねオバーがやっている。私は時々洗い物を手伝っているだけ。客も、酒や料理を運ぶのはセルフサービスだ。
それにしても、ウフオバーのエネルギーには驚く。昼間はマミナの代わりに子供たちの面倒を見ている。ユクレー屋の昼間は今、寺子屋みたいになっている。
「勉強も教えられるんだね。」と訊いたら、
「勉強は、村人の何人かに手伝って貰っているさあ。私はね、勉強はあまり教えられないけど、生きることは楽しいってことを教えているさあ。」
「生きることは楽しいか・・・。」そう、それが一番大事なこと、と私は思う。長く長く長く生きているオバーに教えられたら、子供たちも納得するだろう。
そんなある日の金曜日、夜はいつものようにユクレー島運営会議がある。今日帰ってくる予定だったトリオG3のメンバー、勝さん、新さん、太郎さんは、既にジラースーの家まで来ているらしいのだが、帰りを一週間延期するとのこと。で、運営会議には爺さん三人の代わりをしているオジサン二人、トシさんとテツさんが加わっている。
トシさんとテツさんは、ジラースーほどではないが、二人ともオジサン(40代とのこと)にしては逞しい肉体をしている。若い頃に、トシさんはボクシング、テツさんは柔道をやっていたとのこと。現役を退いてからも、ジョギングや筋力トレーニングは続けていて、今流行(はやり)のメタボリックとは無縁の肉体だ。
「運動を続けているのは健康のためなの?」と訊いた。
「それもあるけど、強い肉体でありたいという思いですね。」(トシ)
「私も同じですね。ジラースーには憧れますね。私達よりずっと年上なのに、私達よりずっと強い。20年後、そこまでなれなくても、近付きたいですね。」(テツ)
「ふーん、強くなることは必要なの?」とさらに訊くと、それにはガジ丸が答えた。
「何が強いかの”何”がにはいろいろあるが、肉体が強くなると心に余裕ができる。予期せぬことが起きても慌てない。周りを見定める余裕ができる。」
「それが人生にとっては必要なことなんだ?」
「生き抜くという意味で必要だな。それはつまり、正しい状況判断が素早くできるということだからな。ジラースーなんか見てみろ、空手の達人でありながら、彼の一番の得意技は、どうすれば戦いを回避できるかを一瞬に判断できることだ。」
確かにそうだ。ジラースーがケンカなんてことは、知合ってから何十年にもなるが、これまで一度も、見たことも聞いたこともない。ジラースーを見る。
「いやー、まあ、そうだな。相手の力量を見定めて、相手の立場を考えて、逃げたりすかしたりだな。でもよ、俺なんかよりウフオバーの方がずっと強いんだぜ。」
確かに、言われてみればそうなのだ。それは、オバーがケンカして強いという意味では無い。オバーの力はそんなことよりもずっと高度なもの。どんな相手でも、優しい気分にさせる力である。オバーの周りに争いは無い。それが究極の力なんだろう。
その後、ガジ丸が新曲を披露した。力を持っているものが調子に乗って傲慢になる。それが人間社会の不幸の種の一つになっているとのこと。
記:ゑんちゅ小僧 2009.6.19 →音楽(少々調子に乗ってるね)