ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版092 ウフオバーの実力

2009年06月19日 | ユクレー瓦版

 ユーナもマナもマミナもケダマンもいなくなって、ユクレー屋を手伝う者がいなくなった。週末だけなら私でもできるのだが、「いいよ、面倒でしょ。」とウフオバーに気遣いされて、私がカウンターに立つことは無い。客相手は概ねオバーがやっている。私は時々洗い物を手伝っているだけ。客も、酒や料理を運ぶのはセルフサービスだ。
 それにしても、ウフオバーのエネルギーには驚く。昼間はマミナの代わりに子供たちの面倒を見ている。ユクレー屋の昼間は今、寺子屋みたいになっている。
 「勉強も教えられるんだね。」と訊いたら、
 「勉強は、村人の何人かに手伝って貰っているさあ。私はね、勉強はあまり教えられないけど、生きることは楽しいってことを教えているさあ。」
 「生きることは楽しいか・・・。」そう、それが一番大事なこと、と私は思う。長く長く長く生きているオバーに教えられたら、子供たちも納得するだろう。

 そんなある日の金曜日、夜はいつものようにユクレー島運営会議がある。今日帰ってくる予定だったトリオG3のメンバー、勝さん、新さん、太郎さんは、既にジラースーの家まで来ているらしいのだが、帰りを一週間延期するとのこと。で、運営会議には爺さん三人の代わりをしているオジサン二人、トシさんとテツさんが加わっている。
 トシさんとテツさんは、ジラースーほどではないが、二人ともオジサン(40代とのこと)にしては逞しい肉体をしている。若い頃に、トシさんはボクシング、テツさんは柔道をやっていたとのこと。現役を退いてからも、ジョギングや筋力トレーニングは続けていて、今流行(はやり)のメタボリックとは無縁の肉体だ。
 「運動を続けているのは健康のためなの?」と訊いた。
 「それもあるけど、強い肉体でありたいという思いですね。」(トシ)
 「私も同じですね。ジラースーには憧れますね。私達よりずっと年上なのに、私達よりずっと強い。20年後、そこまでなれなくても、近付きたいですね。」(テツ)
 「ふーん、強くなることは必要なの?」とさらに訊くと、それにはガジ丸が答えた。
 「何が強いかの”何”がにはいろいろあるが、肉体が強くなると心に余裕ができる。予期せぬことが起きても慌てない。周りを見定める余裕ができる。」
 「それが人生にとっては必要なことなんだ?」
 「生き抜くという意味で必要だな。それはつまり、正しい状況判断が素早くできるということだからな。ジラースーなんか見てみろ、空手の達人でありながら、彼の一番の得意技は、どうすれば戦いを回避できるかを一瞬に判断できることだ。」

  確かにそうだ。ジラースーがケンカなんてことは、知合ってから何十年にもなるが、これまで一度も、見たことも聞いたこともない。ジラースーを見る。
 「いやー、まあ、そうだな。相手の力量を見定めて、相手の立場を考えて、逃げたりすかしたりだな。でもよ、俺なんかよりウフオバーの方がずっと強いんだぜ。」
 確かに、言われてみればそうなのだ。それは、オバーがケンカして強いという意味では無い。オバーの力はそんなことよりもずっと高度なもの。どんな相手でも、優しい気分にさせる力である。オバーの周りに争いは無い。それが究極の力なんだろう。
 その後、ガジ丸が新曲を披露した。力を持っているものが調子に乗って傲慢になる。それが人間社会の不幸の種の一つになっているとのこと。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.6.19 →音楽(少々調子に乗ってるね)


調子に乗って

2009年06月19日 | 通信-社会・生活

 隣の住人が半飼いしているネコは、自由でありながら食うに困らない身分である。半飼いというのはつまり、そういうことを言う。家への出入りは常時自由で、餌はいつでも貰えるということ。そういった身分が、彼を横着者にしている。
  私の部屋の周りをウロチョロし、私の畑のシマラッキョウの上を昼寝場所にして、私を見ても逃げようとしない。奴が寝そべっている辺りのシマラッキョウは、お陰で生育が悪い。「コノヤロー、人が下手に出てりゃいい気になりやがって!」と思うが、他人のネコなので、蹴飛ばすこともできない。蹴飛ばす振りをして追い払うだけ。

 自由でありながら食うに困らないというのは、生きる上で大きな自信になる。その自信は時に、鼻持ちならない態度として現れる。隣のネコのような奴だ。シマラッキョウの上で寝そべって、こっちが睨んでも、「何だ、文句あっか?」というような態度。
 「食うに困らないからといって、調子に乗るんじゃ無ぇ。」と私は思うのだが、向こうにしてみれば、「別にお前に食わして貰っているわけじゃねぇ、俺がどこで何しようと、とやかく言われる筋合いはねぇ。」ということなのであろう。
 「ケンカすれば俺の方が強いぞ!」と思うのだが、だからといって、暴力を振るうなんて真似はしない。勝つと解っているケンカをするほど私はお調子者では無い。「こっちは譲歩してるんだ。そっちもせめて畑の作物を荒らすようなことはするな。」などと、ネコを睨みつけてテレパシーを送るだけだ。むろん、ネコは聞かないが。
          

 「極東の安全のために必要なことだ。」と偉い人がおっしゃる。「沖縄県民はそのことを理解しなければならない。」ともおっしゃる。名護市に新たな軍事基地を建設するのは必要なことだから、沖縄県民は駄々をこねてはいけない、我々の言うことを大人しく聞きなさい、多少のことは我慢しなさい、ということである。
 彼(その偉い人のこと)の表情を見ると、「何でこんな明白なことが理解できないんだろう、バカを相手に説明するのは疲れるぜ。」という感じを受ける。「俺たちはわざわざ太平洋を越えてやってきて、家族や恋人とも離れて、お前達の安全を守ってやっているんだぞ。ありがたいと思え。」という風にも見える。
  「頭良いからといって、ケンカが強いからといって、調子に乗るんじゃ無ぇ。」と私は思うのだが、向こうにしてみれば、「調子に乗ってるわけじゃない。これが最も合理的な考えであり、ごく当然のことだ。」ということなのであろう。

 名護市以外の場所では、受け入れ地を選定し、地元を説得し、など、計画、設計、実施するのに時間がかかり過ぎる。海外移転では米軍に日本国からの金が入らない。私が彼の立場なら、シビアな考えをする私なので当然、「名護移転でGO」だ。
 しかし、私ならそれが「ごく当然のこと」などとは思わない。なので、あれこれ説明して、「沖縄県民には本当に迷惑をかけるが、実に申し訳ないのだが、ここは一つ譲歩してもらえないだろうか。」などと頭を下げて頼むようなことだと思う。
 ※もちろん、頼まれたからといって素直に応じることはない。言い成りになる必要は無い。ならどうするかについては、ちょっと考えてみたが、長くなりそうなので次回。
          

 記:2009.6.19 島乃ガジ丸