ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

老頑

2009年08月28日 | 通信-その他・雑感

 老頑(ろうがん)という言葉があるのかどうか、私の造語かもしれないが、年寄りの頑固なこと、自己中なこと、ついでに、我儘なことを言う。
 先週金曜日の朝、父から電話があった。
 「銀行に大事な用があるから来てくれ。」
 「今日はダメだ。子供達(従姉の孫達)を遊びに連れて行く約束をしている。」
 「そんなの後回しにしたらいい。こっちが大事だ。」
 「2週間も前から子供達が楽しみにしてるんだ、それに、もうこっちへ向かっている頃だ。子供たちの気持ちを考えたら中止はできない。夕方ではダメか?」
 「夕方は銀行が閉まっている。3時までだ。」
 「コザまで行くんだ、3時はとても無理だろう。来週の金曜日ではダメなのか?」
 「来週金曜では遅い。何とかならんか?」
 「わかった、じゃあ、月曜日に行くわ。」
 「あー、月曜日ならいい。なるべく早い時間にな。」

  以上が電話の内容のおおよそだが、銀行が開いている時間でなければダメ、ということから、大事な用事とは銀行の人と話をしなければならないような大事、例えば、定期を始めるとか解約するとか、などの大事かもと私は思った。
 翌日の土曜日、いつものパソコン講座で実家へ行く。実家へはいつもバスを利用するのだが、この日は、前日、子供達の遊び相手をしてできなかった金曜日の職場の庭掃除があるため、車で行く。午前中で父のパソコン講座を済ませ、午後は庭掃除の予定。
 「あー、ちょうどいいところに来た。」と父が言う。来るのは知っていたくせにだ。
 「パンとハムとチーズを買ってきてくれ。」と続ける。私は実家へ行く前に、前回頼まれていたキャベツとコーラを買うためにスーパーへ寄っていた。
 「欲しいものがあったら事前に電話しろと言っただろう!2度手間じゃないか!」
 「あー、今日で無くなったんだ。」と平然とした顔。
 「月曜日に来るからその時でいいか?」
 「明日の朝食べるのが無いんだ。2、30分じゃないか、行ってこいよ。」ということで、私はあからさまに憮然とした表情を見せつつ、言いつけのものを買いに行った。

  さて、今週の月曜日である。朝10時、実家へ行く。行ってすぐに腰砕けとなる。父が言っていた大事な用事とは、5万円引き出すこと、たったそれだけのことであった。
 「それだけで俺を呼んだのか!近いんだから、自分で歩いて行けよ。」
 「最近歩くのが辛いんだ、死期が近いかもしれない。」
 「歩かないから歩けなくなるんだ。」
 「何を言っている!僕は毎日散歩してるぞ!」
 「散歩してるんだったら銀行まで歩けるだろ?」
 「まったく、あー言えばこー言う。親の言うことは黙って聞け。」などと仰る。「あー言えばこー言うって自分のことだろ!」と私は言いたかったのだが、もう諦めた。こんちくしょうと思いつつ銀行へ行った。その帰り道、老頑という言葉を思いついた。
          
          

 記:2009.8.28 島乃ガジ丸


世界が百戸の農家なら

2009年08月28日 | 通信-社会・生活

 その島には百戸の農家が暮らしていて、それぞれが耕作し、魚釣をし、塩や砂糖を生産し、ほぼ自給自足していた。また、それぞれが綿花を栽培し、農閑期にそれぞれの服を仕立てた。家を建てるときは、今年は誰と誰の家をと計画し、皆が協力した。
 島は平和であったが、そういう暮らしは年中休む暇が無く、皆が忙しかった。ということである年、百戸が集まって話し合いをした。作業は分担した方が効率的であり、専門となることで生産も向上し、時間に余裕が生まれるであろうとなった。
 そこで、百戸のうちの半分は米作りから離れた。残りの五十戸はそれまでの倍の面積を耕作することになったが、米作りと自給の野菜を作るだけなら楽であった。米作りから開放された五十戸は、それぞれ魚釣専門、服作り専門、建築専門などとなった。
 魚釣専門は皆が必要とする分の魚を提供することで、自分が必要とする米を得た。服作り専門も建築専門も同様であった。百戸はそれぞれがそれぞれの仕事に専念することで生きていけた。専念は効率が良かった。皆に時間の余裕ができた。
 時間に余裕があれば、祭りが生まれる。春夏秋冬の祭りや、山祭り、里祭り、海祭りなどの他、個人的な祭りも多く生まれた。個人的な祭りとはつまり、恋のこと。で、島の生活は楽しいものとなった。なにしろ、食っていけるという安心感があるのだ。時間だけで無く、心にも余裕ができるというものだ。心に余裕があると、優しい気分になれる。恋人達だけでなく老若男女皆、互いに優しかった。島は楽しくて平和だった。

  そんな楽しくて平和な島が他にもあった。仮に一つを北島、もう一つを南島としておこう。ある日、両島の代表が会合を持った。じつは、北島は稲作に適し、南島は綿花栽培に適した環境であることが分かっていた。で、北島は米を多く生産し、南島は綿を多く生産し、それぞれを交換することにした。その方がより合理的であった。その他、野菜や果物にもそれぞれに適したものが多くあり、それらも交換しあった。
 南島は島で生産する米だけでは島民の食糧をまかなえず、北島は南島の綿がなければパンツや靴下も作れなかった。よって、両島がケンカするなんてことはありえなかった。北も南もお互いを尊敬し合い、いつまでも仲良く暮らした。・・・とさ。
          

 一つ、生産を全滅させるほどの天変地異が無いこと、もう一つ、ルールを破って自分だけが甘い汁を吸うなんて悪党がいないこと、という条件付きなら、私もその島で平和に生きていけそうな気がする。テレビもパソコンも無い生活だとしても大丈夫。
  食っていけるという安心感があれば、私は自由である。私の心は空を飛び、私の脳味噌は時間を駆け巡ることができる。テレビが無くてもラジオが無くても、映画が無くてもパソコンが無くても、私は私自身でドラマや音楽を作り、楽しむだろう。
 食っていける安心感と祭り(恋)に参加できる時間と心の余裕があれば、人は幸せに生きていけると思う。松坂牛もフォアグラもキャビアも要らない。エルメスもグッチもティファニーも要らない。スマップもエグザエルも要らない。
 食っていける安心感、言い換えれば、生きていけるという安心感は、人が、言い換えれば、国や民族が互いに信頼しなければ生まれない。夢みたいな話だが、いつかそんな世界になるだろう。日本に徳川泰平の世が訪れたみたいに。・・・本当かなぁ・・・。
          

 記:2009.8.28 島乃ガジ丸