ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

弁ヶ岳公園

2010年07月02日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 私の出身高校は名門(自分で言うのも何だが)首里高校。進学する高校を選ぶにあたって、中学三年の担任には「成績が少し足りない」と言われたのだが、成績が足りないのは素行の悪さもあったので、試験の結果だけなら名門首里高校に合格する十分の自信が私にはあった。で、迷うことは無かった。試験前一週間の猛勉強で、見事合格。

 高一の春、クラスメートともすぐに打ち解け、多くの友人ができた。美少女の出現率は中学の頃よりはるかに高く、何人もの女子に紅顔は恋をしたが、たったの一つも恋は実らなかった。それでも、思い起こせば懐かしき高校時代、最も楽しかった時代でもある。
 高一の春、中学の時にはあまり無かったことを経験した。高校には応援団という団体があり、彼らが新入生に校歌や応援歌を教え、指導するというものであった。「大きな声を出せ!」と怒鳴られながら校歌を歌った。おかげで、小学校や中学校の校歌はほとんど記憶に無いが、高校の校歌は、少なくとも一番だけなら今でも歌える。

 仰げば高し弁ヶ岳 千歳の緑濃き所

  と始まる。で、首里高校の近くに弁ヶ岳という名の岳があるらしいことを知る。「仰げば高し弁ヶ岳」から、弁ヶ岳とは霊山みたいな場所で、仰ぎ見る高貴な場所であろうというイメージを持つ。校歌の頭に出てきて、名前だけは強く記憶に残った弁ヶ岳だが、霊山などに特に興味を持たなかった当時の私は、訪ねたことは一度も無かった。ガジ丸HPで沖縄の植物を紹介するようになってからやっと、弁ヶ岳を訪れることになる。仰ぎ見る高貴な場所であろうというイメージを持ってから三十数年が過ぎていた。

 弁ヶ岳について、『沖縄大百科事典』に記載があった。以下はその抜粋。
 弁ヶ岳
 那覇市首里汀良町にある丘陵
 方言名:ビンヌタキ
 首里の東端にあり西原町と接する
 那覇市の最高所で、標高約166m
 御嶽でもあり、大嶽と小嶽がある。
 いずれも国王の祈願所で、大嶽は久高島への、小嶽は斎場御嶽への遥拝所。

 「仰げば高し」と首里高校校歌にはあったが、標高は首里城より40mほど高いだけ。もしかしたら「仰げば高し」には、私が昔抱いた「仰ぎ見る高貴な場所」というイメージ通りの、精神的な意味も含まれているのかもしれない。
 弁ヶ岳全体が公園となっている。祈願所の他には大きな施設はない。出入口などにベンチやトイレが設置されている。石畳の園路があり、そこが私の散歩コースとなっている。薄暗い中を歩くが、夏は直射日光を避けられるので助かる。
 鳥は多い。ヒヨドリ、シロガシラ、メジロ、ウグイス、キジバト、ズアカアオバト、カラスの鳴き声がよく聞こえる。夏になるとセミの声が騒がしくなる。チョウやトンボ、バッタ、カメムシなども多く見られる。植物は、施設のある場所、周囲、出入口近辺は植林されているが、石畳の周りは、多くが自然林だと思われる。
     
     
     

 記:2010.7.1 ガジ丸 →沖縄の生活目次


終末思想という流行りもの

2010年07月02日 | 通信-社会・生活

 一昔前の自分を覚えているだろうか。十年一昔というので、一昔前の自分とは十年前の自分のこと。十年前、仕事は何をしていたのか、どのような地位にいたのか。結婚していたのか、女房とは上手くいっていたのか。子供はいたのか、父親の役目はちゃんと果たしていたのか。結婚していない人は、恋をしていたのかどうか、などなど。
 十年前は2000年、2000年は20世紀最後の年、・・・としか印象が無い。バブルの頃だったのか、バブルがはじけていたのかも記憶に無い。なにしろ、私の勤める会社はバブルの頃景気が良かったということもなく、常に底辺をウロチョロしていた。
 その前の年、1999年は少々思い入れがある。高校の頃友人たちの間で流行ったノストラダムスの黙示録、それが世界の終わりを予言した年だ。同じクラスのUNなどはその信奉者で、その時に備えて保存食などを買い込んでいたくらいだ。本に書かれていることやテレビで流される情報を鵜呑みにしないタイプの私は、それに懐疑的で、「科学的根拠が無い」、「科学では無く、心が感じることだ」などとUNと討論した覚えがある。1999年、「ほーら見ろ」とUNに言いたかったのだが、会う機会が無かった。

 1999年、世界の終わりが来るなどとはちっとも思っていなかった私は、今の仕事をしていて、地位も今と変わっていない(給料は現在大きく減っている)。今と同じく結婚しておらず、世の亭主どもを悩ませている女房との諍いなどは無い。当然、子供もいないので子育てに頭を悩ますことも無い。最後の恋から3年ばかり過ぎており、その傷は十分に癒えた上、新たな恋がしたいという欲求も薄れていた。つまり、悩みは何も無く、暢気な日々を過ごしていた。暢気な日々は以後11年、ずっと続いている。
  気分的には呑気な11年だが、経済的には長引く不況、特に小泉改革以来の建設業不況によって、私の勤める会社は右肩下がりの業績で、しかも、その坂は急坂、私のような独り者でも生活がアップアップの状態。今の車は買ってから9年になるが、10年後には買い替えが必要になるだろうと、その頃からコツコツ貯めていた貯金を食い潰し、もはや原付バイクを買うほどしか残っていない。その残りも夏までには消えそうな状態。
 それでも私が呑気なのは、畑で芋を作っていれば何とか生きてはいけるだろうと思っているから。「そりゃあ甘いぜ」と言う友人がいて、私自身も確たる自信は無いのだが「なんとかなるさ」と思っている。「それこそ科学的根拠が無い」と、UNがいれば言いそうだが、「科学では無く、心が感じることだ」と、私は言い返すであろう。

 ここ10年あまり、流行の本というものをほとんど読んでいない。流行りで無い植物図鑑、昆虫図鑑はよく読んでいる。それはともかく、流行の本を読んでいないので全く知らなかったのだが、2012年終末説というものがこの頃流行っているらしい。
 過日、入院した父を見舞うために帰省していた弟から、「面白いから読んでみて」と勧められて読んだ本にそのようなことが書かれてあった。そりゃあ確かに地球温暖化などで異常気象があったり、大規模災害があったり、いろんな病気が出現したりしているが、2012年終末なんて、何の科学的根拠もない。それを面白いだなんて、「うっ、いつの間に我が弟はUNみたいになったんだろう」と、私は思ってしまった。世界の終わりが来たならば、終わればいいのだ。生き残りたいなどという欲望は、私には無い。 
          

 記:2010.7.2 島乃ガジ丸