父の具合が悪くなって、最初(今回の件で)に病院へ行ったのは4月12日であった。その二日前の10日(土曜日)、模合(モアイ:正当な理由のある飲み会)が那覇であったので、ついでにたっぷりの散歩をしようと決め、そのついでのついでに実家へ寄り、父の顔を見、話をし、いつもと同じく元気であることを確認した。
その二週間前には、介護認定の検査で、「お父さん、要支援2から要支援1になったんですよ。リハビリ頑張っているんですよ。」と役所の担当の人から聞き、「おう、これ以上元気になったら要支援1も貰えなくなるじゃないか、父さん、リハビリもほどほどにした方がいいよ。」なんて、三人で笑っていたくらいだったのに。19日には入院となり、それから約4週間後の5月13日には死んでしまった。命とははかないものだ。
それはさておき、10日(土曜日)の話。
12時過ぎ、バスで実家へ行き、父とちょっとユンタク(おしゃべり)して、実家からバスで奥武山公園へ行き、1時頃から歩き始める。予定は、奥武山公園を突っ切って漫湖公園へ渡り、漫湖公園をくまなく散策して、そこからそのまま歩いて桜坂劇場へ行き、映画を観て、7時半からの模合に出席することとした。
奥武山公園北口から入り、ちょっと回り道して体育館方面へ行き、そこでソーセージノキの写真を撮り、漫湖公園へ渡る。漫湖公園は国場川で南北に仕切られている。その南側を先ずはぐるっと回って、川の北側へ渡る。そこで3時。映画まではまだ余裕がある。
ところが、北側は予想以上に広がった。4時過ぎにはついに足がつり、早く歩けなくなってしまっていた。映画の上映時間は5時頃からであった。早く歩けない足ではとても間に合わない。で、映画は諦める。映画は諦めたが時間はある。そこで、かねてから「いつか調べにいかなくちゃ」と思っていた事を調べるために与儀の中央図書館へ向かう。漫湖公園から桜坂劇場までのほぼ中間辺りに中央図書館はある。そこへ5時過ぎに着く。既に体はバテバテであったが、図書館は5時で閉館だった。心もバテてしまった。
漫湖公園は広かった。前に、浦添大公園を紹介した際、「浦添大公園はあまりに広いので、浦添大大公園と改名した方が良かろう」と書いたが、漫湖公園はそれよりさらに広かった。漫湖公園については『沖縄大百科事典』に記載がある。以下。
漫湖公園 (まんここうえん)
場所:那覇市古波蔵
面積 :43.93ヘクタール (陸地部分 16.0ヘクタール)
1977年に工事を開始する。
漫湖に飛来する野鳥が多い。
ちなみに漫湖(マンコと読む。口にしにくいかもしれないが。)も同事典にあり、
元那覇港湾の一部。
深く真玉橋まで湾入する湖形の部分。
現在ではほとんど埋め立てられ、地図の上から漫湖の名は抹消された。
漫湖の一部で真玉橋から明治橋に達する水路は国場川の下流となっている。
浦添大公園の面積が37.4ヘクタールなのに対し、漫湖公園は43.93ヘクタールとやはり広い。ところが、そのうち陸地部分は16.0ヘクタールとのこと。中央部を川(元は湖だったらしい)が流れていて、その川の部分が面積の6割方を占めているということになる。だったらそう広くはないじゃないかと思うかもしれないが、ところがのところが、川の両岸に細長く公園は作られていて、その距離が長いのだ。端から端を往復するだけで相当長い距離を歩くことになる。歩き慣れた私が途中でバテたくらいだ。
漫湖公園の岸にはマングローブが広がっている。まだここで紹介していないヤエヤマヒルギもあるだろうと思うが、どれがヤエヤマヒルギなのか判らずにいる。花や実の写真が撮れていないのだ。このあいだまで花の時期だったが、行く暇が無かった。
記:2010.7.17 ガジ丸 →沖縄の生活目次