ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

個人は友達、集団は敵

2010年12月18日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 私の父は民政府(米国民政府:詳細は後述)に勤めていた。たまに、基地の中へ連れて行ってくれた。行き交うアメリカ人たちと「ハーイ」などと挨拶をしながら、おそらく「君の息子か?」と訊かれたり、「そうだ、今日は休みなので連れてきた。」などと言葉を交わしたのであろう。私の基地での目的はレストラン。アメリカ人が食うハンバーガーやホットドッグなどを父は食わしてくれた。美味しかった。満足だった。
 アメリカ人たちは皆優しかった。父はアメリカ人の同僚を家に招待することもあった。彼らもまた優しかった。アメリカ人はウチナーンチュと何ら変わらない人間であった。一人一人個人として付き合えば彼らとは友達になれるのであった。しかし、米軍という集団になると彼らは敵になる。私は争いごとを好まぬ軟弱人間なので、ウチナーンチュの人権を守るために基地撤去を訴える人々の運動に参加したことは無い。無いが、米軍と基地が原因で起きる理不尽な事件については大いに憤慨する。個人のアメリカ人は友人として、ずっと沖縄にいて欲しいと思うのだが、集団としての基地は、やはり要らないと思う。
     

 米国民政府
 琉球列島米国民政府(United States Civil Administration of the Ryukyu Islands)との正式名称があり、ウチナーンチュは「民政府」とか「ユースカー(USCAR)」とか言っていた。Civilはシビリアンコントロールのシビル、「(軍のでは無く)民間の」という意味、Administrationは「統治、行政」とかいった意味。で、民政府となる。
 沖縄は、終戦からしばらくは軍の占領下にあり、軍政府に統治されていた。長期の統治を考慮して、原住民であるウチナーンチュともある程度うまくやらなければならないと判断して、1950年から民政府となる。民といってもウチナーンチュは関係ない。アメリカの民であって、それも建前だけ。全ては軍の機能の円滑な運用が優先された。
  民政府の最高権力者は高等弁務官という。広辞苑には「植民地・占領地に派遣された最高施政官。」とある。確認はしていないが、歴代の高等弁務官は皆、4軍司令官なども兼務する軍人であったと思う。彼、及び民政府には強大な権力が与えられ、政治でも司法でも社会でもウチナーンチュは民政府と米軍に虐げられたのであった。
 復帰とともに民政府は消える。ようやくウチナーンチュによるウチナーンチュの沖縄が始まる。・・・はずであったが、日本国及び米国政府の策略により基地は残された。今でも当時ほどでは無いが軍の名の下に不平等が続いている。
 民政府はウチナーンチュも多く採用した。採用されると、それは政府の役人であり、一般人に比べると偉いのであった。給料も高かった。憧れの職場であったらしい。

 記:ガジ丸 2005.7.20 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


キャンプ・シュワブ

2010年12月18日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 先週金曜日に出た現場は名護市辺野古にあった。首里からだと高速を使っても1時間半はかかる場所。現場は、カヌチャリゾートという大きなリゾートホテルの敷地内にあり、社長の話では「ある有名芸能人の別荘」ということであったが、「誰ですか?」という質問に、元々秘密主義者である社長はニヤニヤ笑って答えない。
 後日、一緒に行った同僚から有名芸能人が誰であるかを聞いた。彼は、守衛の人や、他の業者の人から聞いたらしい。別に秘密にするほどのことでもないのである。有名芸能人とは、所ジョージであるらしい。ゴルフの練習場もある広大な敷地に、ゲストハウスもある大きな別荘であった。さすが一流芸能人だと思った。

 そこで作業をしているとき、遠くからアジテーションが聞こえてきた。アジテーションは人を替えて何時間も続いた。名護市で選挙でもあるのかと最初は思ったが、しばらくすると軍歌が聞こえてきて、右翼のアジテーションも聞こえてきた。そういえば、さっきのは市民団体みたいだったな、何かあったのかいなと思いつつ、その日の作業を終え、家に帰って、テレビのニュースを見る。長く続いたアジテーションのわけが判った。
  カヌチャリゾートのちょっと手前に、大きなアメリカ軍基地がある。日本国の片隅の、沖縄県のそのまた片隅にある名護市辺野古ではあるが、そのアメリカ軍基地は近年、ごく有名になって、基地問題に少しでも関心がある人なら誰でも知っている名前。
 キャンプ・シュワブは、前にガジ丸通信に書いたが、アメリカと日本の関係者が、南西諸島しか載っていない「小さな地図」を広げて、普天間基地の移設先に決めた基地。昔から平和を愛する人民であり、周辺諸国にもそう認識され、「武器の無い国」と驚きでもってヨーロッパ諸国にも紹介されたこの島が、人殺しのための手助けをしているのである。心情を言えば、何ともやってられないのである。その日、多くの心ある人々が、海上に出て、基地移設反対の運動をしたとのことであった。
     

 記:ガジ丸 2005.12.26 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


カラオケスナック

2010年12月18日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 金曜日はガジ丸HPの更新の日で、ガジ丸通信の記事を書き、HPのデータを整理し、写真などのリンク付けをし、サイトのアップをする。これらの作業に平均して6~7時間はかかる。で、帰るのはたいてい7時過ぎ、家に着くのは8時頃。
 家に着いて、飯食って、シャワー浴びて、台所の片づけをして9時頃から、酒飲みながら今日アップした記事の確認作業に入る。誤字脱字などが無いかという確認。

 先週金曜日、その校正作業をやっている時に友人のMから電話があった。「飲みに来ないか」と言う。ちょっと渋ると、「どうしても来て欲しい」とさらに言う。で、渋々出かける。家からバスに乗って30分程の場所に、彼が待っている飲み屋があった。飲み屋はカラオケスナック。きれいな姉ちゃんたちが横に座ってくれる店。11時前に着く。
 Mは既に酔っていた。彼は今、女房との間が危険状態にある。1時間前まで、女房もその店にいたらしい。じつは、女房から「会いたい」という電話があって、一週間ぶりの対面だったそうだ。会ってすぐ、「友達呼んでもいいか」とMが訊き、女房はしょうがなく頷く。Mが女房に語った言葉はたったそれだけで、後はずっと何人かの友人たちに電話をかけまくった。女房は、仲直りできたらと思って亭主に電話したのだろう。友達呼ぶといっても1人2人と思っていたのだろう。さすがに怒って、帰ったのであろう。
 「なんで怒るのか俺には解らん」とMは言う。「女なんて自分勝手でバカだ」などと、この後ずっとMの愚痴が続く。彼がその時電話をかけたのは数人だったらしいが、誘いに応諾したのは私とTの二人だけ。二人ともMの愚痴にはうんざりしている。なので、この夜もMを慰めようなどという気持ちはさらさら無い。むしろ、二人してMに意見する。
 いつもニコニコ笑顔のMは多くの人に好かれ、友人も多い。酔うとエロくなるが、通常は穏やかで優しい性格である。私もTも彼のことが好きで、古くから友人である。友人として忠告する私とTなのである。が、Mは聞く耳を持たない。それどころか、さんざん女房の悪口を言いながらも、隣に座ったカワイイお姉ちゃんに迫る。手を握り、抱きつき、おっぱいを掴み、キスを強要する。どうしようもないエロオヤジなのである。

  我々の飲んでいる店は、一応カラオケスナックの体裁である。隣に座るお姉ちゃんたちは客にできるだけ金を使わせるために存在している。酒を勧め、歌を勧め、世辞を言い、客にいい気分を味わわせる。それが彼女たちの仕事。おっぱいを揉まれるなんて、そりゃあ世の中には大勢のエロオヤジがいるので、そういうことも頻繁にあるのではあろうが、一応は想定外の仕事なのである。ただし、想定外のことをさせられてもセクハラだと訴えることはしない。沖縄のカラオケスナックにはそういった店が多い。
 Mの隣に座ったお姉ちゃんは災難であったが、嫌な顔一つせず、胸を掴んでいるMの手をさらりと払い、迫る唇もさらりとかわす。それでいて笑顔のまま、Mに嫌な思いをさせていない。「おー、さすがプロ」と、私は大いに感心したのであった。
     

 記:ガジ丸 2005.12.6 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


季節の変わり目

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 「新潟から山越え東進の旅」で、暑い新潟、暑い群馬を経、雨が降って、いくらかは涼しくなった東京から南の島へ帰った翌日、朝、寒くて目が覚めた。「何だって沖縄が寒いんだ。」と思いつつニュースを見れば、全国的に涼しくなったようである。
 10月から11月にかけては、沖縄でも季節の変わり目となる。日増しに日が短くなっていき、北よりの風が吹き、夜風朝風が肌寒く感じる。
 生物季節という言葉がある。広辞苑に「動植物界に見られる季節現象。開花、落葉、鳥の渡り、虫の発声など。」と説明されている。蝉の声が消え、秋の虫の声が大きくなり、町にトックリキワタの花が開き、畑にアキノノゲシが咲いた。秋ということである。
     

  生物の1種である私にもまた、私なりの生物季節がある。部屋の夜の気温が30度以下になり、夜ぐっすり寝られる。明け方にはタオルケットを必要とする。これが秋。タオルケットが毛布に替わると晩秋、毛布が布団に替わると冬、ということに概ねしている。私は毛布が肌に触れる感触が好きでないので、じっさいには、タオルケットから直接ふとんになるが、タオルケットでは寒く、布団では暑いという時期があって、それが毛布の季節となる。布団に毛布を重ねるようになると真冬となる。
 夏から秋、及び冬から春へと移る季節の変わり目の頃に、もう1つ私の生物季節の現象が現れる。右手を右から、左手を左から、頭皮の上を滑らすようにして髪の毛の中を通していく。両手がぶつかった辺りで、親指を除いた4本の指を互いにしっかりと組み合わせる。髪の毛が指と指の間に何本も挟まったまま手を頭皮から離す。その手を見ると、髪の毛がそのまま何本も挟まったままとなっている。髪の毛をティッシュに落とす。この動作を頭皮のあちこちで十数回繰り返す。そうやって抜けた毛は、ティッシュの上に黒い塊となる。季節の変わり目は、私にとって切なくも寂しい抜け毛の季節でもあるのだ。

 記:ガジ丸 2005.10.31 →沖縄の生活目次


秋は来(き)ぬ

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 9月2週目の週末、10日辺りに台風15号が先島諸島を襲って、沖縄本島も強風圏に入った。さほど強い風では無かったのだが、九州を襲ったその前の週の台風14号に続いて、2週連続の強風圏となる。そのせいなのか何なのか、沖縄の季節が一つ消えた。
 9月11日からピタッと蝉の声が消えた。以来、昨日(23日)まで、首里でも宜野湾でも蝉の声はまったく聞こえない。9月になると確かにクマゼミもアブラゼミも数は少なくなる。が、でも、まだ消えるには早い。また、それらのセミの数が少なくなる頃にはクロイワツクツクが入れ替わるように現れて、ジーワ、ジーーーワと夏の終わりを告げてくれる。これが例年なのだが、今年は変。ちょっと早い蝉の季節の終わりである。
     

  吉田拓郎の古い歌に『夏休み』というのがあって、その歌詞の中に「ひまわり、夕立、セミの声」というのがある。「ひまわり、夕立、セミの声」が夏のものであることは、拓郎さんの故郷、広島でも、おそらく今住んでいらっしゃる東京でも、そして、ガジ丸が住むここ沖縄でも同じなのである。・・・たぶん・・・一昔前までは。
 8月19日付のガジ丸通信の記事「晩立」で書いたが、夏の風物詩の一つであると拓郎さんも認める夕立が、ここ数年来、あるいは十数年来、沖縄では少なくなった。それは、温暖化という地球規模での環境変化のせいだと思う。セミの声も、そのうち聞こえる時期が変わってくるかもしれない。ひまわりが、春の花になるかもしれない。

 と、ここまでは昨日(23日)書いた。壊れたパソコンの修復などに時間がかかって、最後まで書けず、アップできなかった。で、今、続きを書いているわけなんだが、
 朝9時から10時頃、クロイワツクツクの声が聞こえた。数は少ないが、近くにいる。タイワンシロガシラが、これは数日前からだが、しきりにさえずっている。彼らの恋の季節が始まったということ。そして、東北に面した台所の窓から北寄りの涼しい風が吹き込んでいる。これはまぎれもなく秋の風。ほんの一つか二つ小さな季節が消えたとしても、大まかに言えば、秋はちゃんとやってきた。
 今は午前11時。私の格好は相変わらずパンツとTシャツ姿だが、汗はかいていない。今日は晴天。よって、午後には陽光が差し込み暑くなるだろう。汗を滲ませるであろう。外に出て畑仕事をしたならば、汗が滴り落ちるであろう。でも、今、窓から吹く風は秋の風。秋の匂いが間違いなくする。したがって、沖縄は、今日から秋です。
 というわけで、前半の内容は「消えた季節」だが、タイトルは「秋は来ぬ」。

 ※国語の苦手な友人がいるので、彼のために注釈。
 「秋は来ぬ」の「来ぬ」は「こぬ」と読むと否定形になり、「秋はこない」ということになるが、「きぬ」と読むと「秋がきて、今は秋」と完了形になる。友人は画家であり、感性はいいのだが、唱歌の「夏は来ぬ」を未だに「夏はこない」と解釈している。

 記:ガジ丸 2005.9.24 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行