ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

口切式

2010年12月26日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 10年前に、姉の長男(甥S)のために泡盛の10年古酒入り5升甕を買った。甕の表には彼の名前と購入した日付が彫られてある。その5年後には次男(甥T)のために泡盛の10年古酒入り5升甕を買った。甕の表には彼の名前と購入した日付が彫られてある。二人がそれぞれ二十歳になった時に、それぞれの蓋を開けて酒を楽しもうという計画。その日が来たら、Sの甕は20年古酒になっており、Tの甕は17年古酒になっている。
 二人の甥は両親と共にアメリカに住んでいる。次男のTは沖縄で生まれたが、育ちはずっとアメリカで、長男のSは生まれも育ちもアメリカである。二人とも日本語より英語の方がはるかに達者である。それでも彼らには沖縄にたくさんの友人がいる。アメリカの学校は夏休みが長く、だいたい6月からの3ヶ月間あって、彼らは6月の半ばに沖縄にやってきて、夏休みに入るまでの約1ヵ月は学校に通っていたのである。小学校、中学校、高校も特例として彼らを受け入れてくれた。しかも無料で。さすが沖縄。

 Tは高校三年の去年まで毎年沖縄に来ているが、Sは沖縄の空気があまり好きでなかったのか、高校二年からは来なくなっていた。 それでもSは、高校一年までに小学校、中学校、高校のそれぞれで友人を多く作っていた。去年、二十歳になったSは、その友人たちと成人式を祝うため今回、数年ぶりの沖縄訪問となり、そのついでに、叔父からの贈り物である泡盛古酒入り酒甕の口切式をやることになったのである。
  10歳のSが、「これはお前の酒だ。お前が二十歳になった時に蓋を開け、一緒に酒を酌み交わして成人を祝おう。」という叔父の話を覚えていたわけでは無かろう。むしろ、そのことを楽しみにしていたのは彼の父親の方で、「叔父さんが十年前に買った泡盛の酒甕」の話は、アメリカを発つ前に父親から聞かされたのであろう。ビール党で、泡盛は好きじゃないという彼にとっては、20年古酒といえどほとんど魅力は無い。叔父に気を使って、付き合ってくれたのであろう。優しい奴である。
 口切式は今週の月曜日(9日)に行った。私の実家に、Sと彼の友人二人の合わせて三人の新成人が集まった。その友人の一人はTといい、私もよく知っている。Tとは家族ぐるみの付き合いがあるので、その両親と妹、それに私の両親(彼の祖父祖母)を加えて総勢9人によって、泡盛古酒入り酒甕口切式が行われた。
 泡盛が好きじゃないというSは、ちょっと口をつけただけで、「臭えー、飲めねー」だったのだが、泡盛二十年古酒はじつに旨かった。あんまり旨かったので、今年、何らかの理由を考えてもう一甕購入しようと、私は決心したのであった。

 ※泡盛の酒甕の蓋を開ける口切式という行事は、沖縄の伝統行事には無い。私が勝手にそう名付けただけのもの。ちなみに、『口切り』という言葉は広辞苑にあり、「密封した容器の口を開くこと」となっている。また、「新茶の茶壺の口を切ること」もいう。
     

 記:ガジ丸 2006.1.14 →沖縄の生活目次


ムーチービーサ

2010年12月26日 | 沖縄01自然風景季節

 先週土曜日の1月7日は、倭国では七草の日で、七草粥を食う日のようであるが、その日は旧暦(太陰暦)でいうと12月8日にあたっていた。旧暦12月8日は、沖縄ではムーチーの日で、カーサムーチーを食う日である。
 ムーチーについては既に、去年の今頃に「沖縄の飲食」で紹介済みである。紹介しておきながら私は、その内容をまったく覚えていなかったので、どんなことを書いたのかと、その記事「ムーチー」を読みかえしてみた。
 馴染みの喫茶店のオバサンたちが、いかにいい加減であるかを改めて認識する。「ムーチーの日はだいたい2月」と彼女らは言っていたが、よく考えると、旧暦は新暦(太陽暦)の約1ヶ月遅れだから、旧暦12月8日は新暦の1月上旬から中旬になるはずだ。で、去年が1月17日、今年は1月7日が旧暦12月8日にあたった。

 ムーチーの日には気候を表す、ウチナーンチュの多くが知っているほどに有名な言葉もある。それは、ムーチービーサと言う。ビーサはヒーサが変化したもので、「寒さ」という意味。全体では「ムーチーの日からは寒さが厳しくなる」といったようなことを表している。ムーチーの日から10日前後で二十四節季の大寒となるから、その季節感はだいたい合っている。沖縄は概ね1月下旬から2月一杯にかけてが最も寒い。まあ、しかし、寒いといっても南の島のこと。倭国に比べれば、その寒さは屁みたいなものだろうが。
  そんな屁みたいな沖縄の寒さの中、ここ4、5年、あるいは5、6年間、着る機会の無かった革ジャンを押入れから出した。冬の寒い日にバイクに乗る時、冬の寒い日にキャンプをする時などに着るための革ジャンなのであるが、冬の寒い日にバイクに乗ったり、キャンプをしたりすることが、ここ4、5年、あるいは5、6年、私は無かった。寒さに立ち向かう元気が無かったのだ。若さが無くなったということなのであろう。屁みたいな寒さにも勝てなくなってしまった私は、北国にはきっと住めない。
 押入れから出された革ジャン、久々に娑婆の空気に触れさせようと思ったのだが、土曜日出かける予定が急にキャンセルになって、そして、翌日から沖縄は暖かくなって、革ジャン、出されたまま部屋の中で、どうしたもんかと壁に飾られたままなのである。
     
 →参考記事(鬼より怖い先公より怖い

 記:ガジ丸 2006.1.13 →沖縄の生活目次