父の一年忌に呼んだお坊さんは禅宗のお坊さん、母の一年忌と同じ寺だが、母の時は副住職で、今回は住職であった。住職と副住職は親子である。母の時のこと、脳に記憶はほとんど残っていないが、日記には書いてある。それを読んで、今回と比べると、
父親より息子の方が丁寧であった。真面目な雰囲気があった。父親の方は、世の中のさまざまなことやさまざまな人との付き合いを多く経てきたせいか、あるいは、ウチナーンチュ気質を正しく受け継いでいるせいか、多少大雑把な感じを受けた。「人間だもの多少のことは許していいさあ、酒も飲んでいいさあ、女遊びもいいさあ」という感じ。もちろん、実際に住職がそうであると言っているわけでは無い。私がそう感じたということ。
副住職は母の一年忌に40分の読経をしたが、住職は20分で済ませ、後はお話(法話というのか)となる。お話は、列席者との会話、質問受け付け等を含み40分続いた。副住職も読経の後、お話が20分程あったので、全体の時間は二人同じ1時間となった。
住職の話はいろいろあったが、「へー」と思ったのは、沖縄の伝統的言葉であるハーリー、シーサー、サバニなどが梵語から来ているということ。ハーリーは沖縄の伝統的行事(旧暦5月4日に漁師の町、那覇や糸満で行われる舟漕ぎ競争)の爬竜、シーサーは守り神とか魔除けとして屋根の上などに置かれる獅子、サバニは沖縄の伝統的漁船。
爬竜や獅子という漢字は中国から来ているが、言葉は元々インドの仏教の経典にあり、仏教と共にインドから中国に渡り、漢字が充てられ、沖縄にやってきたとのこと。
サバニの漢字表記を私は知らなかったが、
「サバニのサバも梵語で、サバはシャバのことですよ。」と住職が言う。
「シャバって、刑務所から出てきた人の、娑婆の空気は旨ぇなぁの娑婆ですか?」
「そうです。修行の場である娑婆に繰り出す舟ということですね。」とのこと。
確かに、舟は沖縄でフニと発音するので、娑婆舟と書いてシャバブニ、それが訛って、詰まってサバニとなった。納得できる。そしてまた、海は常に命の危険がある。サバニは小さい舟だ。いつ死んでもおかしくない厳しい修行の場とも言える。
ちなみに、娑婆は「苦しみが多く、忍耐すべき世界の意。人間が現実に住んでいるこの世界。」(広辞苑)のこと。
サバニが娑婆舟であるという住職の蘊蓄、納得はできるけど一応の確認で『沖縄大百科事典』を見る。そこにはしかし、サバニは小舟とあった。しかもそれは、沖縄学の大権威である伊波普猷によるとある。伊波普猷は「伊波普猷が言うなら間違いなかろう」というくらいの大権威だ。しかしながら、小舟は沖縄発音するとグマブニとなり、発音的にサバニとは遠い。で、私は、サバニについては大権威よりも住職の方に軍配を上げたい。
サバニは、現代はエンジンで動いているが、昔は手漕ぎや帆であったらしい。小さな舟で、『沖縄大百科事典』によると「戦前久米島でみられた実測例では長さ7.1m、最大幅90センチ、深さ50センチ」とあった。その舟で遠洋まで漁に出たとのこと。
サバニは今でも使われていて、漁港に行けば見ることができる。小さな舟であることのメリットが昔も今も変わらずにある。沖縄の海はサンゴが発達(年々減りつつあるが)していて、そんな中を小さなサバニはひょいひょいと通り抜けることができるのだ。
記:ガジ丸 2011.5.16 →沖縄の生活目次
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行