記憶が確かなら私が大学生の頃に流行った歌『異邦人』、歌うのは、顔は全く記憶にないが名前は覚えている。久保田早紀(漢字はあやふや)。
子供達が空に向かい 両手を広げ
鳥や雲や 夢までも掴もうとしている
その姿は昨日までの 何も知らないわたし
あなたへ この指が届くと信じていた。
以上が1番の歌詞、漢字でなく仮名の表記だった個所もあるかもしれないが、内容はたぶん間違いないと思う。2番も覚えているが、曲の紹介はここまで。
久保田早紀の歌う異邦人は片思いの相手のようだが、私がこれから紹介する異邦人は若い人。「今時の若いもんは・・・」と私が若い頃、オヤジの世代達がよく言っていたセリフを私もブツブツ唱えるようになってしまった、というお話。
誰も住む人のいない実家を去年からゲストハウス風にして、倭国から遊びに来た友人知人達に貸していたが、その年の夏の2泊2日(初日は夜遅く着いて寝るだけ)、大学生5人組(女2人、男3人)に貸した。乱交パーティーなどやっても私はちっとも構わないのだが、「夜中騒いで隣近所に迷惑がかからないように、使った部屋はきれいに掃除するように」との注意だけはした。ところがだ、「今時の若いもんは」となった。
実家には寝室が4つあり、その内の一室を布団部屋とし、シーツ、タオルケット、枕などをまとめて置いてある。客はそこから好きな寝具を選んで使うというシステム。若者たちは選ぶのに引っかき回したのか、多くのシーツ、タオルケット、枕カバーがグチャグチャになっていた。そのため、使ったもの使ってないものがごちゃごちゃになっていて、どれを洗濯したらいいのか判らない状態だった。意味の判らないことに圧縮袋に仕舞ってあった布団が開けられていた。真夏だ、何で布団を出そうとしたんだ?
その他、サンダルが紛失していた、一ヶ所の電灯が点けっ放しだった。酒が飲める歳であっても、参政権を持つ歳であっても「大学生はまだガキなんだ」と思った。
ちょうどその頃、私は首里石嶺から宜野湾市我如古へ引っ越しの最中だった。新しいアパートは琉球大学の近くにあり、入居者は大学生が多い。そこの階段にはタバコの吸い殻がいくつもあった。「あー、若者は今でもポイ捨てするんだ」と思った。思えば、私も大学生の頃はガキだったかもしれない。他人の迷惑を考え無かったかもしれない。
車で出かける際、琉大入口の信号前をよく通る。そこは三差路になっていて私は直進するが、琉大へは右折する。直進する車より右折する車の方が多い。右折する車のほとんどは大学生だ。これまで何百回とそこの交差点を通っているが、直進車のために車を右に寄せて対向車が過ぎるのを待っている車に会ったのは2度しか無い。
アパートの住人と階段ですれ違ったり、駐車場で出合ったりする。その時でも大学生たちは挨拶しない。目を合わせようともしない。「異邦人だ」と思った。
私の言う「異邦人」は片思いの相手では無く「理解しがたい人」という意味だが、その意味で言えば、永田町の人々は全く「異邦人」だ。今日、衆議院解散って?
記:2012.11.16 島乃ガジ丸