ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

リュウキュウツバメ

2012年12月14日 | 動物:鳥

 赤い額のツバメ

 普通のツバメ、つまり、ツバメという名前のツバメよりひとまわり小型のツバメがいることにはもう何年も前から気付いていた。最近は行く機会を得無いが、私の散歩場所であった那覇市の末吉公園、漫湖公園、浦添市の浦添大公園などでその飛んでいる姿を見ている。本部町備瀬では大群が頭上を飛び、地面すれすれに滑空するのを見ている。停まっているのを見ていないのでツバメとは違う種であるかどうかは判断できなかった。
  図鑑を見ると、普通のツバメよりひとまわり小型のツバメは3種あった。ショウドウツバメとリュウキュウツバメとイワツバメ。「でもなあ、ツバメの子供という可能性もあるからなあ」などと思いつつ、「ちったぁ停まらんかい」と写真の機会を狙っていた。

 今年(2012年)6月1日、沖縄へ遊びに来ていた埼玉の友人Kと、彼の同僚Tさんを車に乗せて斎場御嶽(セーファーウタキ)へ出かけた。駐車場に車を停め、二人は斎場御嶽観光へ、私は一人残って、駐車場のある観光施設のベンチで一服。
 その観光施設の周囲にはツバメが何羽も飛んでいた。施設の建物に行ったり来たりしていたので「おや、巣があるのかな」と調べると、あった。そして、そこのツバメは時々軒下に停まっりもしたので、しっかり写真が撮れた。

 
 リュウキュウツバメ(琉球燕)
 スズメ目ツバメ科の留鳥 奄美以南の南西諸島に分布 方言名:カジフチマッタラー
 『動物名の由来』に「ツバメの名の由来は”土くらひ”あるいは”土食(ば)み”の転であると思える。ツバメが土をついばんで運び巣をつくる習性によるものと思われる」とあった。「思われる」であり、他の説も紹介していることからはっきりはしていないようである。本種は奄美以南の南西諸島に分布することからリュウキュウと付く。
 日本では奄美から与那国までの南西諸島に分布するとのことだが、宮古諸島、八重山諸島、大東諸島では少なく、沖縄諸島には周年いて普通に見られるとある。ただ、沖縄島のどこにでもいるというわけではないようで、私の日常の生活範囲においては見たことが無い。知念岬公園の近くにある観光施設で見た。「営巣は橋げたを利用することが多いが、軒下に作ることもある」と文献にあるが、その建物の壁に営巣していた。
 全長13センチ。農地、畜舎、河川、住宅地などを住処とし、枯草と土を材料に巣を作る。産卵期は4~5月頃。餌は昆虫類。鳴き声はチュル、チュルルルー。
 「ツバメの幼鳥とよく似る」とのことだが、額が赤いのが本種の特徴。

 記:2012.12.12 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄の野鳥』沖縄野鳥研究会編、(株)新報出版発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『検索入門 野鳥の図鑑』中村登流著、株式会社保育社発行


立ち往生を目指して

2012年12月14日 | 通信-その他・雑感

 300坪の畑なっぴばるは、畑と墓地と原野に囲まれた場所にあり、現在、南隣はキャベツ畑で、その向こうはウージ(サトウキビ)畑、さらにその向こうは野菜と果物畑となっている。逆の北隣はウージ畑、その向こうは野菜と果物畑である。
 東側はちょっと行くと民家が立ち並ぶ住宅地となっていて、南側は前述の野菜と果物畑の向こうは工場、さらにいくと住宅地、商業地となっている。北側はしばらく行くと建物半分、畑半分だが、西側は原野や墓地などを挟んで概ねは畑が広がっている。

 北側の建物半分、畑半分の辺りで農業をやっている爺様がなっぴばるの前を朝は北の畑へ向かい、夕方は南の自宅へひょこひょこ歩いて通って行く。なっぴばるで作業をしている私と顔が合うと、離れている時は手を挙げて、近い時は声も出して挨拶する。
  先日、その爺様が小屋で一服している私の所までやってきて、「私の畑で採れたバナナとシークヮーサーだ、シークヮーサーはもう熟しすぎて甘くなってしまったがあげるよ」と言って、40個ばかりのシークヮーサーと数本のバナナをくれた。
 爺様は名前をNさんと言い、御歳87とのこと。畑の場所は坂道を上り切った辺りで、なっぴばるから少なくとも徒歩30分はかかる所。自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所。毎日往復2時間も歩いているようだ。
 87歳のNさん、そのお陰かどうか足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭。いつもニコニコしていて心も健康そうだ。
          

 南西側にも畑が多くあり、なっぴばるから徒歩30分ばかりの場所で農業をしている爺様Kさんとも、私がなっぴばるを始めてすぐに声を交わした。
 Kさんは御歳84。現役ドライバーで、一度彼の畑に案内された時助手席に座ったが、全然歳を感じさせない運転技術だった。それだけでは無い。ビニールハウスの骨組みである鉄のパイプを数本束ねて、それをヒョイと担いで車に積む。束ねた鉄のパイプは20キログラムはあるだろう、それを簡単に運ぶ。恐るべし84歳である。
 それだけでは無い。目の高さの塀ならヒョイとよじ登ることもできるらしい。もちろん背中は真っ直ぐ、耳も遠く無いし、言語明瞭。言語明瞭どころか力のある大きな声でしゃべり、カッ、カッ、カッと明るくよく笑う。
 恐るべし84歳はまた、煙草をよく吸う。「煙草が健康に悪いなんて人によるんだよ。俺なんか若い頃からずっと吸い続けて、今でも一日1箱以上は吸うている。」と言い、カッ、カッ、カッと夏の太陽のように笑った。

  元気な爺様Nさん、Kさんを見て「俺もあのような元気なオジーになりたい」と思っていた私だが、死ぬまで酒も煙草もやれる健康体であるようにと続けていた芋食、週2日の休肝日、そして運動を、なっぴばるを始めた7月以来さぼっていた。
 しかし、今月からは休肝日(まだ週1日だが)が復活。芋食も少しずつ復活。運動は11月末に1日だけやったが、長くやってこなかったせいできつかった。しかし、今週からは復活。そうやって、健康な体で死ぬまで動いてやるつもりだ。鍬を振り下ろし、鍬の歯が地面に突き刺さった状態で往生する。見事な立ち往生で死んでやるつもり。
          

 記:2012.12.14 島乃ガジ丸