私が借りている300坪の畑なっぴばるの北隣はSさんのウージ(さとうきび)畑で、今(2月)、収穫の最中である。その向かいのSさんNさんが共同でやっている畑は主にジャガイモを作っていて、これも今、収穫の最中である。SさんNさんの隣は87歳の爺様NHさんの畑となっている。主にシークヮサー、バナナなどを生産している。
過日、その爺様NHさんに会った時、「知り合いの料理人がイーチョーバーを欲しがっているんだけど、探せない」旨のことを話すと、「イーチョーバーなら私の所にいくらでもある。持って行きなさい」と言い、彼の畑に案内してくれた。
爺様NHさんについては2012年12月14日付けのガジ丸通信『立ち往生を目指して』で一度紹介しているが、その内容に間違いがあった。以下引用。
爺様は名前をNさんと言い、御歳87とのこと。畑の場所は坂道を上り切った辺りで、なっぴばるから少なくとも徒歩30分はかかる所。自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所。毎日往復2時間も歩いているようだ。
87歳のNさん、そのお陰かどうか足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭。いつもニコニコしていて心も健康そうだ。
この中で「87歳、足腰はしっかりしており、背中も真っ直ぐ。耳も遠くは無いし、言語明瞭」は確かにその通り。間違いは「畑の場所は坂道を上り切った辺り」、「自宅はと言うとなっぴばるから東南方向へこれも徒歩30分はかかる所」、「毎日往復2時間も歩いている」など。私が人の話をテーゲー(適当)に聞いていることの証拠。
N爺様の畑が「坂道を上り切った辺り」と覚え違いをしていた私は、「私の畑まで案内するよ」と爺様が言った時、「車で行きましょうか?」と提案した。
「何言っている、畑はすぐそこだよ」と言われ、間違いに気付いた。
「坂道を上り切った辺り」にあるのは爺様の家、そこから30分程歩いて畑。東南方向へ行くのは目的も方向も徒歩時間も間違いで、南へ1時間余歩いた場所にある教会へ通っているとのこと。爺様はある宗教団体の熱心な信者であった。
朝と午後の2回、教会まで歩いて行き、お祈りをするのだそうだ。つまり、N爺様はほぼ毎日家から畑、畑から教会、教会から畑を午前中に、そして午後には畑から教会、教会から畑、畑から家の、合計5時間余歩いているわけである。
爺様の「いつもニコニコしていて心も健康そう」はその信仰からきているのかもしれない。じつは、爺様の畑に案内されている数十分の間に息子に対する愚痴を聞かされた。いろいろ悩み事もあるようであった。そんな悩み事から表面上でも離れるために祈りが必要なのかもしれない。悩みから離れて「いつもニコニコ」しているわけだ。
私には日常、思い悩むことが無い。信心深かった母親に似ず、元々不信心者の罰当り者なのだが、私は何かに何かを祈ることもあまり無い。たぶん、女房子供という家族がいないということが悩みの無いことの大きな要因となっているのであろう。一人であれば人生何とかなるのである。淡々と畑仕事をやっていき、もしも、にっちもさっちも行かなくなったら死ねばいいだけのことだ。これが新米農夫、私の信仰と言えるかもしれない。
記:2013.2.8 島乃ガジ丸