沖縄にはユイマールという言葉がある。ユイは結、マールは周り、労働力の相互扶助といった一つの慣習だが、その精神は現在でもまだ少しは残っていると思う。
結を広辞苑で引くと、その第三義に「田植などの時に互いに力を貸し合うこと」とあるので「労働力の相互扶助」は日本の伝統でもあるようだ。
「ユイユイユイ、ユイユイユイ、ユイマール・・・」と美少女達が歌うヒット曲(民謡なのでたぶん沖縄限定)もあるが、ユイマールについてはいつか別項で述べるとして、社会は助け合うことが必要である、少なくとも貧しかった昔の沖縄では、ユイマールが「人々が生きていく上で必要なもの」であったのだろうと想像できる。
4月の始め、埼玉の友人Kから桜坂劇場の招待券が送られてきた。有効期限は4月20日なので余裕はある。観たい映画もある。ありがたく頂戴した。そして有効期限の切れる2日前の4月18日、晴れていて畑日和ではあったが、Kの厚意を無駄にせぬよう畑を休んで映画鑑賞とした。観た映画は良い映画と噂の『ペコロスの母に会いに行く』。
映画を観に行くのは久々、去年10月の『標的の村』以来。『ペコロスの母に会いに行く』は、桜坂劇場から毎月送られてくる冊子の確か3月号で紹介されており、私の「観たい映画」の一つになっていた。3月はしかし、畑仕事が忙しく行けなかった。でも、4月にリバイバル上映があり、招待券が手に入り、好都合が重なったわけだ。
冊子でそのタイトルを見た時、「老人ホームとか介護施設に入っている母親とその息子の話だな、ペコロスとはその施設の名前だな」と勝手に想像していた。映画の序盤で勝手な想像が違うことが判明した。ペコロスは主人公である息子のあだ名、その禿げた頭がペコロスみたいだと自らつけたあだ名のようであった。
禿げ頭がペコロスみたい、というそのペコロスとは何ぞや?と疑問に思って広辞苑を引く。「小玉葱。通常の玉葱を密集栽培して小さくしたもの」とのこと。私の畑にはペコロスが多くあった。私は「通常の玉葱を密集栽培して小さくした」のではなく、肥料をあげずに育てているのでなかなか大きくならない、で、ペコロスも自然にできる。
ペコロスはどうでもいいことであった。農夫は野菜に興味があるのでついつい話がそこへ逸れてしまった。本題は「助け」、他人の助けを要する人々がいるということ。今はそういった人々を他人ごとのように眺めている私だが、いずれ私も体や頭に不具合が来て、誰かの助け無くしては生きていけないようになるだろう。
前に図書館からスペシャルオリンピックスをテーマとしたDVDを借りて、観た。そこにも「協力して生きる」社会があった。スペシャルオリンピックスのことを私は全く知らなかったのだが、簡単に言えば、知的発達障害者のスポーツ大会である。
そこには助け合う形が様々見られた。障害者の傍にいて普段の練習から彼らの努力を助ける人々、スポーツ大会を運営する人々、ボランティアの人々、そういった人々もまた、障害者に協力を得て、自らも幸せを得ているのだと感じられた。
私は勝った負けたのスポーツにはほとんど興味が無いので、オリンピックもパラリンピックも観ないのだが、スペシャルオリンピックスも、競技そのものには興味は持てなかったのだが、生きるために協力するというその精神には温かいものを感じた。
記:2014.6.20 島乃ガジ丸