友人のK子は、今は週一のアルバイト的勤務だが、デイサービスの職員として以前は毎日お年寄りたちの相手をしていた。その頃、彼女が口にしていた言葉「ピンコロ」。
「何だそれ、ピンキリの親戚か?」
「はっさ、最近テレビでもよく話題になっているさぁ、知らないの?」
「テレビは観ない、新聞も雑誌も読まない世捨て人だ俺は。」
「バッカみたい。ピンコロはピンピンしていてコロッと死ぬってことよ。」
「それって、つまり、寝たきりにはならないってことか。」
「そう、施設のお年寄りたちには元気な人もいるけど、ほとんど寝たきりの人もいるのよ。そういう人達を見てるとさぁ、私はピンコロがいいなぁと思う訳よ。」
そのK子、「私はいつも毒を持ち歩いて、いざとなったらそれを飲んでコロっと逝きたいなぁ。あんた、あんたの畑に毒草を栽培しておいてよ。いつか私が使うから。」とも言う。死ぬ時は自殺したいということだ。さすが男前(彼女はそんな性格)。
自殺、私はそれをちっとも否定しない。自分の意思に関係なくある日突然生まれてきたのだ。「なんだなんだ!ここはどこだ?俺は誰だ?」と訳も分からずこの世に出て来て、少年になり青年になりオジサンになり爺さんになる。その長い人生で培ってきた知恵によって、いかに死ぬか、いつ死ぬかは自身で決めても良いような気がする。
「毒草、薬事法に触れない物を探して、その内植えておくよ。」と答えた。実際に、まだ調べていないが、そういう植物があればそうしたいと思っている。
自殺は悪いことと一般的には捉えられているようだが、「ホントに悪いことか?」と私はかねてから疑問を持っていた。「せっかく頂いた命を何で粗末に扱うのよ。」とある宗教の信者から聞いたこともあるが、それについても、「せっかく頂いた大事な命だ、それを自分が納得して自分で終止符を打つことは、けして命を粗末にするものではない。」となる。生きている間を十分楽しむことが命を大事にすることであり、「生きていることは不幸である」と思いながら生きることが命を粗末に扱うことだとも思う訳である。
安楽死を広辞苑で調べてみた。「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること」とのこと。尊厳死というのもあった。「一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること」とのこと。尊厳死、良い考え方だと私は思う。尊厳死は法律的にも認めて良いものだと思う。
バカなことを言って世間を賑わすことの多い元総理の現財務相がまたバカなことを言ったという噂を聞いて、ネットの新聞記事で確認した。以下、そこから抜粋。
「17日、北海道小樽市での自民党支部大会の講演中、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『おまえいつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と言ってのけたのだ。」とのこと。
ピンコロには賛成する私だが、彼のその考えには賛成できない。死ぬのも自由だが生きるのも自由、90過ぎようが、その人が生きたいと思うのなら生かして欲しいと思う。もしかしたら、阿呆だろう財務相は90歳になったら自殺する覚悟かもしれない。
記:2016.7.1 島乃ガジ丸
約1ヶ月前の6月4日土曜日、友人O夫妻の次男Kの結婚式があった。その披露宴に私も招かれ出席した。O夫妻は共に私の高校の同級生で、披露宴には他の同級生も呼ばれ、数日ぶりの1人、1ヶ月ぶりの4人、半年ぶりの2人、3~4年ぶりの2人、6~7年ぶりの1人、私を加え11人の同級生が1つのテーブルに集った。楽しかった。
新郎の父Oが中心メンバーでもあったことから出席した同級生の多くは養老会(高校時代に発足し続いている飲み会、養老乃滝でよく飲んでいたからその名)のメンバーであった。40年以上の付き合いがある気の置けない面々だ。数年間ご無沙汰となっている養老会を復活しようという話も決まる。これからも付き合う仲間、楽しい集いだった。
そうやって我々オジサンオバサンは勝手に自分たちの話で盛り上がっていたが、その日の主題、Kの結婚披露宴も賑やかであった。私の同級生たちが結婚ラッシュだった頃、その披露宴での余興には、おばさまたちが眉をしかめるような、今ならセクハラで訴えられかねない下品な余興もあったが、今時の余興は我々の頃よりずっと上品になっていた。新郎の友人達によるエイサーは上手で、新郎新婦を紹介するビデオも上出来であった。
でも、その日最も私の目を引いた余興は友人O夫妻の孫Yの空手演舞、空手については素人の私だが、彼女の演舞はすごく上手であった。未来のチャンピオンだと思った。
友人達とのユンタク(おしゃべり)が楽しくて、Y嬢の演舞をしかとは見ていない。私の席の正面の壁にスクリーンがあって、そこに映し出される映像が目の片隅にちらちら見えていた。そのちらちらが何回かあって「おっ!」と思って舞台の生の姿を見たが、それから数秒後に演舞は終わってしまった。したがって、写真も撮れなかった。
空手については素人の私だが、「彼女の演舞はすごく上手」と評価した訳は、止まっている時の姿が安定していると感じたからだ。私が「おっ!」と思ったのもそれ。
空手については素人の私なので、ちょっと調べてみた。『沖縄大百科事典』に記載がある。さすが沖縄伝統の空手だけあって説明文も小さな文字で4ページ半に及んでいる。
空手の発生についてはいつ頃、誰が、どこでなど定説がないようである。中国拳法の影響があり、中国との交易時代に発生したであろうとのこと。現在、剛柔流、小林(しょうりん)流など流派はいくつもあるが、まとめて空手として世界的に発展している。
私の母方の叔父が小林流の師範であり、父方の伯母の夫(故人)が少林寺流の開祖であった。私は武道にあまり関心が無いので、残念ながら、両方から空手に関する何の話も聞いていない。母方の叔父はまだ存命なので、今度話を聞きに行こうと思う。
武道に関心の無い私であったが、テニスをやっていて膝を痛め、その回復のために若い頃の3年ほど太極拳を習っていた。武術の方ではなく演舞の方。師匠は美人の中国人、彼女は武術、演舞両方とも一流で、中国本国の大会で優勝歴もあるほど。師匠と弟子たちの間には言うまでもなく大きな開きがあった。美人師匠は見た目が美しいだけではなく、身体しなやかで、蹴り上げる脚は180度に開き、動きは素早く、時に緩やかに流れ、何よりも腰が安定していた。止まる時にはどんな形であれピタッと止まる。
もちろん、Y嬢の演舞が美人師匠に匹敵すると言っているわけではない。ただ、まだ子供なのに姿勢が安定していることに感心した。安定した姿勢があるから素早い動きができるのではないかと、空手については素人の私だが思うのであった。Y嬢の安定した姿勢はおそらく、下半身の筋肉が強いからではないかと思う。何しろ彼女の母親も叔父さん2人も筋肉質、父親はバレーボールの選手だった。何より、Y嬢の祖父母(私の同級生のO夫妻)は恐るべき筋肉質肉体の持ち主、両者とも若い頃に空手を習っていた。
記:2016.6.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次