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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

死後の始末2

2016年10月07日 | 通信-社会・生活

 先週の続き。「密かに散骨」は困難であることが解って、後の人に散骨を頼むことは諦めて、さて、私の死後の始末はどうするか、後の人(具体的には甥や従妹たち)の負担にならない、あまり迷惑にならないための死後の始末をどうするかという話。
 「小舟に1人乗って、沖へ出てそのまま帰ってこない」というのは友人Oの提案。それを検証したが、それには先ず、自分の死に時を悟っていなければ「いつ小舟に乗る?」の判断がつかない。死にそうなほど身体が弱って「俺もそろそろ終わりか」と悟ったとしても、死にそうなほど身体が弱っていたならば小舟を漕ぐ力も無いであろう。認知症になったら小舟のことは忘れているし、突然死の場合もできないこと。それに、海で行方不明となれば捜索願が出たりして何かと迷惑になる。ということでOの提案は却下。
     

 他に何か良い案はないかと考えた。その1つ、墓穴掘り案。
 腕立て伏せは10回がやっと、というまで体力が衰えた時、畑に直径1メートル、深さ3メートルほどの竪穴を掘り、腕立て伏せは1回がやっと、というまで体力が衰えた時、その穴の中に落ちる。「腕立て伏せは1回がやっと」の上、落ちた衝撃で足腰を痛め、もはや這い上がることはできない。そこで瞑想などしながら静かに息を引き取る。
 数週間後、電話しても取らない、メールしても返信がないのを不審に思って従妹が畑を訪ねる。畑に私の姿は見当たらない。「変だなぁ、車はあるのになぁ」と思いつつ畑小屋まで来てみると、小屋の近くに大きな穴が開いている。中を覗くと、座禅を組んだ格好で骸骨になりかけている私がいる。私の意思は予め周囲に伝えているので彼女は慌てない。冷静に対応し、冷静に警察に電話する。遺言書に「墓穴(ぼけつ)を掘って死にます」と書いておくので警察でも特に問題視しない。その後は淡々と処理される。
 この案を検証してみた。「腕立て伏せは1回がやっと」となったら死期が近いか?について疑問。穴に落ちて後、そこで餓死するまでの1~2週間は生きているかもしれない。生きていたら糞をする。狭い穴の中が糞尿まみれとなる。自分の糞とはいえ臭いに違いない。そんな中で瞑想は難しい。そんな中で1~2週間過ごすのは嫌、よって却下。

 他にも、火山の噴火口に飛び込んで跡形も無くなる案、見渡す限り砂漠の真ん中で干からびていく案など考えたが、山に登るだけの元気や、砂漠(沖縄には無い)のある国まで行く元気があれば、死期はまだまだ先だと思われるので、これらも却下。
 良い方法が思い付かないまま先日、金曜日の職場へ行き、ガジ丸ブログのアップ作業など終えて、そこの事務員と死後の始末についてユンタク(おしゃべり)した。すると、彼女から良い話が聞かれた。彼女の友人(女性)が結婚していなくて、後継ぎがいないため親の遺骨と位牌の処分をどうするかでいろいろ調べたらしい。彼女によると、
 葬儀から墓地管理までしている総合葬祭会社が、遺骨の永代供養をしてくれる、その料金はたったの5万円、49日が済んだら大きな墓に多くの人と同じ場所に合同埋葬するらしい。その際、一年忌から最後の三十三年忌までの年忌供養を一括に行うので、合同埋葬が済んだ後は、残された人達は何もしなくていいとのこと。死んだ者はこの世からすっかりさっぱり忘れ去られるのである。もう1つ、その会社は散骨もやってくれるとのこと。それは「密かに散骨」ではなく「公に散骨」で合法らしい。良いことを聞いた。
     

 記:2016.10.7 島乃ガジ丸


ろうかの足音

2016年10月07日 | ガジ丸のお話

 19年間住んでいた首里石嶺のアパートは2階建てで、2世帯ずつの計4世帯という小さなアパート。私の部屋は階段を上った2階の奥で、手前の部屋には、私が越してきた時には若夫婦が住んでおり、その後、2人の娘(中学生と小学生)連れの女性3人家族が長く住んでいて、彼らが去った後は女子大生が数年、その後も女子大生が住んでいた。
 最後の女子大生(たぶんその時既に卒業していた)は音大生で、丸い眼鏡をかけたメイドカフェにいそうな可愛い娘であった。私がそのアパートを去る1年半ほど前に彼女は去っていて、その1年半の間、アパートの2階には私しかいなかった。

 部屋の入口側に台所の窓とトイレの窓があり、普段台所の窓は数センチ、トイレの窓は開けっ放しにしている。なので、部屋の中にいても階段を上る足音、廊下を歩く足音がそこから聞こえる。丸い眼鏡の可愛い娘が隣に住んでいる頃、彼女は概ねスニーカーで、その足音はそうであるとだいたい判断できたので、階段から上がってくるその足音がいつか私の部屋の前までやってくるのをオジサンは密かに期待していた。ドアをノックする音が聞こえる。ドアを開けると彼女が立っている。「私を抱いて下さい」と彼女が言う。そんな妄想をオジサンは描いていた。「バッカみたい」な妄想であると自覚しております。
 現実には、階段から上がってくる足音が私の部屋の前までやってくるのは郵便配達人、NHKの集金人、新聞の勧誘員くらいだ。そういった人達の足音は重い、彼女とは違うので、まったく期待はしない。ドアを開け、事務的処理をするのみである。
 彼女が出て行ってからの1年半の間に、階段から上がってくる軽い足音が私の部屋の前で止まったことが1度ある。彼女が出て行って間もなくのことだ。「あなたのことが忘れられません」と彼女が言うのではないかと呑気なオジサンは妄想したが、ノックの音は聞こえなかった。彼女が出て行ったのは2010年4月、私の父が死んだのは同年5月、私の部屋の前で止まった足音は彼女では無く、あの世の使いだったかもしれない。
     

 さて、表題の「ろうかの足音」の「ろうか」、以上長々と書いたどうでもいい「廊下」のことでは無い。「roukanoasioto」と入力して、「廊下の足音」を想像し、以上のどうでもいい話を思い付いただけ。ここで言う「ろうか」は老化のこと。

 私は、歯は丈夫な方で私に金歯銀歯は1本も無い。20年ほど前に虫歯が1本、右下奥歯にできて、金でも銀でもない何かを詰めて貰う治療を2度(2度目は7~8年前)やっているが、それ以降虫歯の治療はやっていない。
 虫歯は無いが、2年ほど前から熱いもの冷たいものを食べると左下奥歯が少し、右下奥歯が激しく沁みて痛かったので去年の2月、歯医者へ行ったら歯周病と診断された。「定期的治療」を歯医者に勧められたが、「年相応、歯が弱るのはしょうがないこと、去る者追わずだ、抜ける者も追わずだ。」と私は思い、その後歯医者へ行っていない。
 小康状態だった右下奥歯の痛みが2ヶ月程前からぶり返した。1ヶ月程前からは口に何も入れなくても痛みを感じるようになった。あまりの痛さで目が覚める日もあった。「この痛さは虫歯か?詰め物が取れたか?」と思って、9月30日、鏡の前で口を開け右下奥歯を見てみた。虫歯である一番奥の歯が小さくなっていたが、詰め物は取れていないようであった。指を入れて触ってみた。「おっ!」と驚いた。歯がグラグラしたのだ。

 他の歯も調べると、右下奥歯の2本と左下奥歯の1本がグラグラした。特に、虫歯でもある右下一番奥の歯は、指で摘まんでグラグラさせて引っ張ればそのまま抜けるのではないかと思われるほど動いた。グラグラさせるだけでも痛いのに、抜いたら激しく痛いだろうなと思い、引っ張るのは止めて、少し浮いていた歯を押しこんだ。
 「そうか、こうやって歯が1本1本抜けていくんだな、そして、やがて入れ歯になるんだな、これが老化ということなんだな」と納得する。歯(正確には歯の根元の歯茎辺り)の痛み、歯がグラグラする、歯が抜けていくなどは老化の足音であると判断した。
 歯をグラグラさせたのは拙かったようで、その後ずっと右下奥歯辺りに違和感が残り、四六時中痛みを感じる。何もしなければ激しい痛みではないが、食べ物を右下奥歯で噛むと激しく痛い。冷たいもの熱いものも右下奥歯へは送れない。何もしなくても鈍痛はずっとある。グーで軽く連打されているような痛み。鬱陶しいことこの上ない。
 歯医者へ行かないのには「老化ならばしょうがない」という理由だからではない。痛みが鬱陶しいので少なくともその痛みを緩和するような治療はしたいと思っている。今住んでいるアパートのすぐ近くに歯医者はあるが、鬱陶しい痛みを我慢し続けている。
 何故我慢しているかと言うと、歯が抜けたら入れ歯になる、抜けるのにも入れ歯を作るのにも時間がかかるはず。歯医者とは長い付き合いになるはず。であれば、次の住まいとなるアパートへ越してから、そこから近くの歯医者へ行こうと思っているから。しかし、新居となるアパートはまだ見つかっていない。我慢はもうしばらく続くかも。
     

 実は、歯が痛みだしたのは2ヶ月ほど前からだが、1ヶ月ほど前に血圧を計ってみたらとても高くなっていた。それ以降ほぼ毎日のように計っているが、160超えが普通、170を超える日もあった。脈拍数も70近い数値、「歯痛は痛いだけでなく、身体全体の健康にも関わるんだ」と認識する。高血圧が原因で脳梗塞とか心筋梗塞で倒れる。高血圧の原因は歯痛である。「奴は歯痛が元で死んだ」と言われるかもしれない。
 うーん、そう言われるのはちょっと情けない気もする。すぐにでも近くの歯医者へ行こうかと思ってしまう。でも引っ越ししたい。どうしようかと今悩んでいるところ。

 記:2016.10.4 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次


しつこい幽霊

2016年10月07日 | ガジ丸のお話

 夏の夜に寝苦しくて目が覚めるというのはたびたびあるが、悪夢でうなされて目覚めるということは滅多にない。私の夢は概ねが楽しい夢である。身に余るほどの幸せな夢も多くあって、そんな時の夢の主人公は私ではなく、私の分身の真迦哉(マカヤ)ということにしている。分身ということにしないと、夢と現実の雲泥の差に悲しくなるからだ。
 夜涼しくてぐっすり睡眠のできた先月9月5日の未明、久々に悪夢にうなされて目覚めるということがあった。私は、若い頃はお化けとか幽霊を怖がったが、少なくともオジサンと呼ばれる歳になってからは幽霊を恐れなくなっている。「頂いた命だ、いつあの世に召されても文句は無い」と思っているので幽霊に呪われても怖くはない。そもそも、幽霊に呪われるようなことを私はやっていない。幽霊が目の前に現れて「うらめしや~」と言ったとしても、「私に?何で?人違いでしょ?」と追い払えると思っている。
 さて、久々の悪夢は幽霊が登場し、私はその幽霊にすごく怯えて目が覚めてしまった。真迦哉は何事にも動じないカッコいい男なので、この時の夢の主人公は私だ。
     

 場所は私が小学生の頃の実家、庭に面した掃き出しの窓を開けると縁側がある。小学生の頃の景色だが、そこにいる私は大人となっている。
 家の中には家族ではなく私の友人達が数名いる。飲んだり食ったりしている。夜も遅くなって女子の1人を男子の1人が家まで送ると言って出ていく。しかし、彼らはすぐに、顔面蒼白となって戻ってくる。「どうした、何があったんだ?」と訊いても、2人は口をアワアワさせるだけで言葉にならない。その時、もう1人の女子が「ギャーー!」と叫び声をあげて縁側を指差した。振り向いて縁側を見ると、そこには赤ん坊がいた。
 全体の形は赤ん坊だが、何か違う、この世のものではないということが判る。それが縁側をハイハイして、閉めていた網戸を開けて部屋の中へ入ろうとしている。私は持てる勇気の全てを搾り出して彼に近付き、「ここにお前が来る用事はなかろう」と言いながら、彼を押し戻し(冷たいが肉体の感触はあった)網戸を閉め、ガラス戸を閉めた。
 部屋の片隅に身体を寄せ合って震えている皆のもとに戻りかけると、女子の何人かがまたも「ギャーー!」と叫び声をあげて縁側を指差す。振り向くと、網戸がゆっくりと動いて、ガラス戸がゆっくりと開いた。そして、さっきの(かどうか、表情がさらに怖い)赤ん坊が顔を見せた。私はまたも彼を押し戻し、ガラス戸を閉め、鍵もおろした。
 縁側から私を睨んでいる赤ん坊がガラス越しに見える。その表情は怖さを増し、身体全体も大きくなっている。しばらく睨みあって、というか、私は彼の目を見て「しつこい奴だ、ここに恨まれるような人間はいない、さっさと去れ」とテレパシーを送っているつもり。そんな私のテレパシーが届かないのか、おろしていた鍵がゆっくりと動いて外れた。ガラス戸がゆっくりと開いた。そして、赤ん坊が入ってきた。彼はもう私の力では動かせないほどに体が大きくなっていた。オジサンという年齢になってからは経験の無い恐怖感が私を襲い、そこで目が覚めた。「わっ!」と声をあげていたかもしれない。

 幽霊に対しても「話せば解る」と思っていたのだが、赤ん坊には話が通じないのであった。解って貰えないと「人違いされたまま呪い殺されるかもしれない」と思って恐怖を感じたのだ。そしてまた、「そうか、相手が日本語の解らない外国人の幽霊の場合もそうなるか」と気付いた。そうなると、幽霊もなかなか手強いぞと思ってしまった。

 怖い話のお口直しに、もう1つ、ほんのちょっと怖い話。
 「柳野優でーす」。「柳野玲でーす」、「2人合わせて柳野ゆうれいでーす」という姉妹漫才コンビが舞台に登場する。
 「柳野ゆうれいですってさぁ、私たちが幽霊みたいに聞こえるね」
 「幽霊って、あのヒュードロドロうらめしや~の幽霊のことね」
 「そう、こんな可愛い2人なのにね、幽霊に見えるかしら?」
 「こんな可愛い2人だもの、幽霊には見えないかもね」
 「それはちょっと悔しいね、だったら、証拠を見せてやろうよ」
 「そうだね、そうしよう」
と言って2人はヒュードロドロとその場から消えてしまう。会場がざわつき、会場内の気温が一気に下がる。公演の内容を予め知っている舞台の裏方や主催者、そして、他の出演者たちは存在しない芸人の登場に、恐怖で既に腰を抜かしている。・・・お終い。 
     

 記:2016.10.6 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次