首里石嶺に住んでいた頃(1994年~2011年)は会社勤めをしていて、月給も頂いていた。住んでいたアパートは家賃3万円のボロアパート、扶養家族のいない1人暮らし、恋人がいないのでデート代も不要、会社へは徒歩通勤、などということもあって、安月給ではあったが生活費には余裕があった。模合(相互扶助的飲み会)へ参加し、テニスサークルや太極拳教室に通い、体の具合が悪いと病院へも通っていた。・・・いや、日記で確認したら、1995年の膝の治療以来、私は自身の治療目的で病院へ行っていない。定期健診もサボっていたし、風邪などは根性で治していた。であるが、歯科医は別。
2000年頃から2009年頃までは年に1回、もしくは2回は歯科医へ通い、歯の掃除(歯石取りなど)をしてもらっていた。初めは虫歯の治療であったが、「歯石がたまっています、歯周病の原因となります」とその時言われ、で、通っていた。
2010年以降は、会社の時短が始まり、生活費に余裕が無くなって、2011年には宜野湾市我如古のワンルームアパートに引っ越す。その後も病院から遠ざかっていたが、2014年11月、約5年ぶりに歯科へ行って歯の掃除をお願いする。掃除が一通り済んで、「どんな状態ですか?」と訊くと、「歯周病」と診断された。
2016年12月に、何か硬いものを噛んだせいだと思うが、右下奥歯の1本が縦半分に割れた。その後、割れた外側の半分がグラグラ動いてそこでものを噛むと痛みが出た。で、しばらくものを噛むのは左側に任せていたのだが、それから2年3ヶ月も経った2018年3月、グラグラしていた歯の外側半分が自然に抜けて、その後は右側でもものが噛めるようになり、しばらくは右でも左でもものが噛める快食となった。
それはしかし、「しばらく」だったのだ。1ヶ月も経つと、今度は左下奥歯の1本がグラグラしだして、5月になると、そこでものを噛んだら痛むようになった。
「そうか、そうやって歯は抜けていき、そのうち歯の無い爺さんになって、話す言葉がフガフガするようになるんだな、俺も歳だ、しょうがない」と一旦は思ったのだが、「いやいや、フガフガするようになるにはまだ早いはず、何とかしよう」と思い直し、
「歯周病」と診断されてから3年半が過ぎた今年5月末、歯科医へ行く。診断の結果は歯槽膿漏。「歯周ポケットがとても深い、歯石などが多く溜まっている」とのことで、歯の掃除をしてもらう。私の担当をした歯科衛生士と思われる若い女性は何度も何度も「深いです、作業に時間がかかります」と言い、とても苦労しているようであった。
病院嫌いの私が歯科医へ通っている。じつは、2014年11月に「歯周病」と診断された時は「歳相応ってことですね」と医者に言って、自身では「動物の運命だ、しょうが無ぇか」と思い、なので、その後3年半も歯科医へ行かなかったわけだが、「歯が無いと楽しくない」ということを、その時の私の脳味噌は想像できなかったようだ。
「歯が抜けたら歯茎で噛めばいいさ」と簡単に考えていた。私はよく噛んで食べる方である。良く噛んでものを味わって食べるようにしている。だから、白米より玄米が好き、玄米はよく噛むほどに美味しく感じる。玄米だけでは無い。野菜類も肉類も私はよく噛んで、細かく噛み砕いて味わって食べている。「歯が無いとよく噛んで味わうことができない、歯茎だけでは細かく噛み砕けない」ということにやっと気付いたわけ。
記:2018.7.3 島乃ガジ丸