梅雨の晴れ間の5月30日、薬草研究家のH爺様と朝から6時間ほどのドライブ及びあちこち散策をご一緒した。当初の目的はある薬草の調査のためだったが、その場所は沖縄島南部にあったので、「ついでに南部戦跡を回りましょうか?」となり、戦跡である摩文仁の丘や姫百合の塔を訪問した。平和運動家でもあるHさんであるが、70代で運転免許返上して、家から遠い南部戦跡はもう何年も行ってないとのことだった。
摩文仁の平和祈念公園に着いて、「膝が少し悪いんだよ」というHさんのことを考慮して、「駐車場」と標識のある駐車場ではなく、なるべく平和祈念堂や平和の礎の近くに車を停めようとその辺りを探す。「いかにも駐車場」の形は呈していないが、何台もの車が停められてある一角に車を停め、「正規の駐車場では無いのでは?」と思ったので、近くにある売店のオバサンに「ここ停めてもいい所ですか?」と念のために訊く。
「大丈夫よ、何時間でも停めたらいいさぁ。」とオバサンは笑って答える。いかにも沖縄のオバサン、テーゲー(大概:適当という意)でいいさぁといった笑顔。
「膝が少し悪いんだよ」というHさんだが、ゆっくりではあるがよく歩く。日頃から良く歩いているからそのための筋肉がしっかりしているのかもしれない。摩文仁の平和祈念公園は広い。その中をトコトコ歩く。平和の礎の刻銘を確かめながら歩く。
平和の礎には沖縄戦での戦没者の名前が刻まれている。戦没者はウチナーンチュだけではなく、ヤマトゥー(倭人)もアメリカーも、朝鮮人もその他の国の人も、民間人も軍人も等しく刻まれている。ウチナーが悪いのではない、アメリカーが悪いのではない、軍人が悪いのではない、戦争という行為が悪いのであるという気分に満ちている。
さて、たっぷり歩き回って12時を過ぎていた。車に戻る。車を停めた傍の、あのいかにも沖縄のオバサン(70代半ばくらい)の店に入る。中は売店でもあったが、食堂も兼ねていた。で、そこで昼食となる。Hさんは沖縄ソバ、普段は昼飯を食わない私は天麩羅にする、イモ天麩羅2個、野菜かき揚げ2個を頼む。1個50円なので小さかろうと予想していたのだが出てきてビックリ、イモも野菜も私の予想の倍以上あった。
私の予想通りだったのは店主のオバサン、いかにもウチナーンチュのオバサンはフランクで明るく、よくしゃべった。楽しい賑やかな昼食時間となった。Hさんも元気だがこのオバサンも元気。食べ終わった食器をカウンターに返しながら
「ごちそうさま、天ぷら大きいですね」と、中のオバサンへ声を掛ける。
「揚げ物はこれが今日の最後だから、大サービスしたさぁ。」とのこと。
「大きいだけじゃなく、とても美味しかったですよ。」と私、これはお世辞じゃない。ホントに美味しい天麩羅だった。揚げ方が上手なのだと思った。
「1人でやっているんですか?」とさらに訊く。
「姪が手伝ってくれてるけど、1人のことが多いよ。」
「後継ぎがいるのなら、この天麩羅の味も受け継がれますね。」
「天麩羅はねぇ、難しいからね、教えてないさぁ、死ぬまで私がやるさぁ。」
オバサマは生涯現役の心づもりのようである。見上げた精神、そのやる気が元気の源だと思われた。そうか、Hさんも生涯現役の気持ちだから元気なんだ、と気付いた。
記:2019.6.21 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行