ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

孤独な自由人

2008年08月15日 | 通信-社会・生活

 沖縄ではお盆(旧盆)一週間前の旧暦七月七日(七夕)に墓掃除をする風習がある。先祖を家に迎え入れる準備の一つである。仕事の都合で1日遅れではあったが、先週の金曜日に、その墓掃除に行った。清明祭(5月)にも墓掃除をするので、七夕の墓掃除はその時に比べると楽ではあるが、それでも、沖縄の夏は雑草天国だ。2ヶ月余りでぐんぐん伸びる。除草だけでも1時間はかかる。その他含めて2時間ほどの作業となる。

  我が家の墓の隣には小屋が建てられていて、そこには一人の自由人が暮らしている。掃除を始めて30分ほど経って、自由人が小屋から出てきた。彼は、彼が庭のようにして使っている他家の墓から我が家の墓の傍を通って、反対側の木陰のある別の墓へと何度も往復した。コンロらしい一斗缶、ヤカン、椅子などを運んだ。そして、椅子に腰掛け、新聞に目をやりつつ、コーヒーを飲み始めた。なかなか優雅である。
 彼とはこれまでに何度か言葉を交わしている。彼の生活道具などが我が家の墓の中にもたいてい置かれてあるので、「掃除するので片付けてもらえませんか?」と言うと、さっさと片付けてくれる。そこから、ちょっとした会話となる。今回はしかし、会釈だけで済ませた。私は黙って掃除を続け、彼は黙って自分の持ち物を片付けてくれた。
  話し相手が欲しいのかもしれないと思った。コーヒーを飲みながら世間への愚痴を語りたいのかもしれないと思った。でも、今回は無視した。前に彼と会った時、長々と説教されたので、またそうなったら嫌だなと思って。
          
          

 説教されたのは、私の不用意な発言が原因だった、と思われる。
 私は電気や水道の無い生活をしている彼のことを可哀想などとは思っていない。世間の煩わしい付き合いから逃れる代わりの孤独であり、面倒な労働に束縛されない代わりの貧乏生活である。将来はとても不安だろうし、孤独や貧乏からくる辛いこと悲しいこともたくさんあるだろうが、死ぬほど働かされている都会のサラリーマンと比べたなら、その幸せ度は大差無いと思っている。なので、私は普通に訊いたのであった。
  「食べ物はどこから得ているのですか?」、「お金はどうやって得ているのですか?」などといったことである。彼を浮浪者と決め付けての発言である。私は、思ったことがそのまま口から出るという癖がある。もしかしたら浮浪者じゃないかも、浮浪者風の文学者かも、という思いを込めて、遠慮した言い様にした方が良かったかもしれない。

 強い者がどんどん強くなる。金持ちがどんどん金持ちになる自由競争社会となった日本国では、弱い者はもっと弱くなり、貧乏人はもっと貧乏になる。私の勤める会社は零細企業なので、経営は常に黄色信号であり、そんな中で若くない私はまた、いつリストラに会っても不思議でない状況にいる。ある日突然、収入が途絶えるということになるかもしれない。そうなった時に私は、はたして生きていけるだろうかと考えた。
 なので、私は食べられる草や木の実のことを今、勉強している。野山を駆け回ることのできる体力維持にも努めている。墓を住まいにする状況になっても、生きてやろうと思っているのだ。私には女房も子供もいない。いずれは天涯孤独の身だ。それでも、私を子分扱いする姉の世話には死んでもなりたくない。孤独ではあっても自由でありたい。 
          

 記:2008.8.15 島乃ガジ丸


瓦版066 頭上の河

2008年08月08日 | ユクレー瓦版

 週末では無いが、夕方、ユクレー屋に顔を出した。カウンターにはいつものようにケダマンが座っていて、カウンターの向こうには美女が二人立っている。4人でしばらくユンタク(おしゃべり)する。しばらくしてガジ丸もやってきた。じつは、今日はガジ丸に呼ばれたのだ。「七夕だし、天の川観ながら花火でもやろうか。」とのこと。

 「ドッカーンと賑やかに打ち上げ花火にしようぜ。」とケダマンは言っていたが、ガジ丸が持ってきたのは線香花火などの小さな手持ち花火だけ。
 「お姉さん方、これに着替えな。」とガジ丸は言って、浴衣を二人に渡し、
 「もうすぐマミナも浴衣姿でやってくるはずだ。」と続けた。
 「わー、ありがとう。浴衣かぁ、風情あるねぇ。」(マナ)
 「七夕気分が盛り上がるね。ありがとう。」(ユーナ)
 で、二人が着替えて、勝さん、新さん、太郎さん、マミナも来て、着物姿のウフオバーも加わって、男共はいつもの格好で、皆で庭に出た。頭上には七夕の河が見えていた。庭にベンチを置いて、皆で線香花火を楽しむ。とても風流な夜となった。

 「でもさ、線香花火も切ない感じだけど、織姫と彦星も何か切ないよね。愛し合っているのに会えないなんてね。」と、線香花火の残り火を見ながらユーナがしみじみ言う。
 「切なさも恋の醍醐味さあ。」と、経験豊富なマナは幸せの余裕だ。
 「切ない恋かぁ、それもいいかもしんない。でも、そういう経験もまったく無いんだよね私、はーーーーっ。」少女は溜息ついて、しみじみを続ける。
 「切なさを楽しむにはまだ若すぎるわな。第一、相手もいないんじゃあ切なさを感じることもないわな。道は遠いぜユーナ。」と、いつも通りのケダマンの軽口。
 「ハッ、ハッ、ハッ、道は遠いか、なるほどな。でもな、ユーナ、道があることはケダマンも認めてるじゃないか、遠い道でもよ、歩く道があれば、出会いもきっといっぱいあるさ、安心しな。」と、ガジ丸はいつもの通り、ユーナの味方だ。
 「だよね。ありがとう、ガジ丸。」と、ユーナがニカっと笑う。

 庭にいるのはちょっとだけのつもりだったが、真夏にしては涼しい風が吹いてきて、気持ちが良い。で、「もう少し、外で楽しもう」ということになる。テーブルを出し、酒や食い物を並べ、「今宵は星見酒だ」(ケダマン)となった。
 そしてまた、しばらくユンタクが続く。
 「良かったなユーナ、今年もまた、この島で七夕ができて。」(ガジ丸)
 「うん、浴衣がいいね、花火もいいね、気分が盛り上がるよ。」(ユーナ)
 「オメェよー、オキナワ暮らしが長くなって、心の余裕も失くしていねぇか?花火や浴衣ばかりじゃ無ぇぞ、今日の主役は他にあるぜ。ガジ丸が、この島で七夕ができて良かったなって言ったのは、その主役がきれいだからだぜ。」(ケダマン)
 「主役って、七夕は織姫、彦星、笹の葉だっけ?」(マナ)
 「頭上の河だよ。見上げてみな。」(ケダマン)
 言われて、マナとユーナは一緒に空を見上げる。そして、一緒に声をあげた。
  「わっ、・・・きれい。」と。天の川だ、この島には人工の灯がほとんど無いから、天の川もくっきりと見える。見慣れた私でも、きれいだと思う。
 「オキナワだとこんなにくっきり天の川も見えないだろうよ。」(ガジ丸)
 「そうだね、オキナワでは意識して夜空を見上げることも無かったさあ。バイトが終わるのは夜遅くてさ、たぶん、見てはいると思うんだけど、そういえば、天の川にはまったく気付かなかったさあ。うーん、やっぱり、島の夜空はきれいだね。」(ユーナ)
 「天の川に舟を浮かべてデート、なんてのを想像するんだな、楽しい夢だろ?」と、ガジ丸は顔に似合わずロマンチックでもある。
     

 その時、「ユーナ、こっちおいで。マナもおいで。」とウフオバーから声がかかった。オバーとマミナはゴザの上で、二人並んで寝っ転がっていた。
 「立ったまま見上げていたら、首が痛くなるよ。こっちは楽だよ。」とマミナの声。
 「あっ、いいなあ、行く。今行く。」とマナは言い、ユーナの腕を取る。
 「うん、行く。ねっ、一緒に行こうよ、ガジ丸も。」と、ユーナはマナに引っ張られながら、ガジ丸の腕を掴む。ガジ丸は引っ張られながら、しかし、私やケダマンを掴むことなく二人に付いて行った。なので、私とケダマンは取り残された。
 「切ないのー。」と、私と顔を見合わせて、ケダマンがしみじみ言った。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.8


おっぱいの力

2008年08月08日 | 通信-社会・生活

 先週の金曜日、金曜日のみの職場へ出勤すると、駐車場でそこの社長とばったり顔を合わせた。「おはよ・・・」と言い終わらないうちに、
 「産まれたよ昨日、女の子だ。」と言う。彼の娘が無事出産したとのことだ。その娘は私の従姉の娘であり、私が目の中に入れても痛くないほど可愛がった娘だ。その娘が第一子を無事出産した。母子共に健康とのことである。私も嬉しくなる。
 少々難産だったらしい。その娘はお尻が小さいので、「さもありなん」と思う。彼女はまた、おっぱいも小さい。「ちゃんと母乳が出るのだろうか」と要らぬ心配をする。その翌日、友人のE子に会ってその話をすると、「おっぱいの大小と母乳の出は関係が無い」とのこと。また、「妊娠六ヶ月頃からおっぱいも大きくなる」とのこと。そういえばと、そうなった頃の女友達や友人の娘たちを思い出す。彼女らは、貧乳は普通となり、普通乳は巨乳となっていた。巨乳となったものを1度触らせたもらったが、見事だった。
          

 このところ、無差別殺傷事件のニュースを頻繁に耳にする。我が身の将来を不幸にしてまでも犯罪に走る者たちの心情が、「人生は楽しい」と、日々暢気に生きている私には理解し難い。体の不自由や病気などで苦労している人ならともかく、健康であれば、仕事を選ばなければ、贅沢をしなければ、食ってはいけるはず。
  日本は独裁国家では無い。恐怖政治では無い。仕事で時間を縛られるかもしれないが、少なくとも精神の自由は保障されている。「自由に考えることができて、生きている。」だけで十分「幸せ」のハードルは越していると思うが、犯罪を犯す者たちのハードルは高いのであろうか。「とても幸せじゃなきゃ嫌!」なのであろうか。
 あるいは、もしかしたら彼らは、愛情不足なのかもしれない。愛されている、または愛されていたという実感が足りないのかもしれない。なので、「どうせ俺なんか誰からも相手にされないし、生きていてもしょうがない。」などと思っているかもしれない。
 もしかしたら彼らは、愛情の源である母親から、愛を感じることが少なかったのかもしれない。母から強く抱きしめられたなどという経験が少なかったのかもしれない。「俺なんか必要の無い子供だったんだ。」などと思っているのかもしれない。

 二ヶ月ほど前、歯医者へ出かけた。半年に1回は歯石除去などの掃除が必要ですと言われて、虫歯治療をした去年10月以来の歯医者。
 若い、女性の、歯科衛生士が私の唇や口の中を弄ぶ。それだけでもオジサンは嬉しいのだが、彼女のおっぱいがまれに頭に当たる。ムニュっという弾力を頭が感じる。それはオジサンの小さな幸せとなる。何だかとても楽しくなる。明日も元気に生きてやるぞ!って気分になる。そんなオジサンが増えると、世の中は平和になるに違いない。
 というわけで、おっぱいは世の中を幸せにする力がある。そして、もしかしたら、個人の心の安定にもおっぱいは関与しているかもしれない。母親に抱かれて乳首を含んだことを私は覚えていないが、母親はそうしてくれたと思う。それがおそらく、愛されている実感として記憶の深いところに残り、私の「人生は楽しい」気分があるのだと思う。
 残念ながら乳の出ないお母さんもいるであろうが、それでも、赤ちゃんを胸に抱きしめて欲しい。それが平和の源かもしれないのだ。従姉の娘にもそう進言しよう。
          
          
          
          

 記:2008.8.8 島乃ガジ丸


瓦版065 いちゃりばちゅーでー

2008年08月01日 | ユクレー瓦版

 マナとユーナがカウンターの向こうにいて、ウフオバーが台所にいて、ケダマンがカウンターに座っている。今日もいつものユクレー屋だが、私は一週間ぶり。

 「先週末から顔見なかったけど、どこ行ってたの?」(マナ)
 「うん、里帰り。」(私)
 「里帰りって、オキナワだろ?」(ケダ)
 「あっ、そうか、マジムンになる前は普通のネズミだったんだよね。」(ユーナ)
 「じゃあ、前に住んでいた家に行ったんだ?」(マナ)
 「うん、その家の婆さんが亡くなったんでね。手を合わせに行った。」(私)
 「ふーん、律儀なんだね。」(マナ)
 「世話になったからね。昔の話だけど。」(私)
 「昔って、どれくらい?」(ユーナ)
 「80年くらい前さ、初めて会ったのは。その家に嫁に来たんだよ。18か19歳だったと思うな。とても可愛い人だったよ。今でもはっきり覚えているよ。」(私)
 「ネズミだった時の記憶も残っているんだ?」(ユーナ)
 「マジムンになってからその頃のことを思い出せるようになったんだ。その家で私は生まれてね、そこで長く暮らしてね、長生きしてね、マジムンになったんだ。」(私)
 「でもさ、普通のネズミだったんでしょ、最初の何年かは。若い女の人だと家にネズミがいたら嫌がるでしょ?追い出されなかったの?」(マナ)
 「いや、姿を見られることはほとんど無かったと思うよ。こっちはちょくちょく見ていたけどね。ただ、私の子供や孫たちが天井裏で音を立てていたから、ネズミがいるってことは知っていただろうね。でも、知らん振りしていたよ。」(私)
 「あっ、やっぱり、ネズミって、屋根裏にいるんだ?」(ユーナ)
 「まあね、棲家はだいたいそうなるね。」(私)
 「天井裏で大人しくしていてさ、その女の人とはほとんど接点が無かったんでしょ?いったいどんな世話になったの?」(マナ)

 ということで、その頃のことを少し詳しく話した。

 私が普通の3倍位生きていて、そろそろ死にかけて動けなくなっていた頃、その女の人は3人の子供のお母さんになっていた。そしてその頃は、戦争の時代となっていた。
 彼女の亭主は出征していて、義父は既に亡くなっていて、その家には義母と彼女と子供達だけが残されていた。いよいよオキナワが戦場になりそうだということになって、3人の子供は九州へ疎開し、その数日後には義母と彼女もまた、ヤンバルの知人を頼って疎開することになった。立派な造りの古い家が、住人のいない家となった。
 家を離れる日、彼女は天井裏に1個の芋を置いていった。その頃既に物資は不足していて、食料を入手するのも困難となっていた。それなのに、自分達の食料となる貴重な芋を置いていった。そして、「留守の間、家を守ってください。」と手を合わせた。
 彼女はどうやら私に気付いていたようだ。天井裏に普通じゃないネズミがいることに気付いていたようだ。そのネズミが動けなくなっていることに気付いていたようだ。
 彼女の芋は私の命を数日間永らえさせた。でも、その辺りの記憶はとても曖昧なんだけど、その後すぐに私は死んだと思う。宇宙空間へ投げ出されたような景色があって、気がつくと、私は元の天井裏にいた。ただ、これまでとは意識は全く違うものだった。彼女の芋に何か不思議な力があったのだろう。私はマジムンとなっていた。
     

  「以上が、彼女から受けた大きな世話さ。」(私)
 「ふーん、そうなんだ。あんたがマジムンなのは彼女のお陰ってことね。」(マナ)
 「たぶんね、そういうことだと思うよ。」(私)
 「ところでよ、話は違うが、お前の子孫には会ってきたのか?ネズミは多産だろ?いったいどんだけの子孫がいるんだ?」(ケダ)
 「どれくらいって、そんなの考えたことも無いよ。そもそもどのネズミが私の子孫か?なんてのも判らないよ。みんなおんなじ顔してるしさ。」
 「おんなじ顔って、じゃあ、ネズミには仲間意識ってのは無いの?」(ユーナ)
 「仲間意識ってのは小さい内の我が子くらいかな。大人になったら子供も孫も見分けがつかないから皆一緒だな。だから、どこのどのネズミも同じくらい親しい仲間ってことになる。これをネズミの世界では、イチャリバチューデーって言うんだよ。」(私)

 記:ゑんちゅ小僧 2008.8.1


胃の辺りが重くなる映画『靖国』

2008年08月01日 | 通信-音楽・映画

 先々週の土曜日、映画を観に行った。いつものように桜坂劇場。上映時間に遅れることの多い私だが、今回は余裕、3分前に着く。ところが、余裕の3分前に着いたにもかかわらず、目当ての映画を観ることができなかった。
 目当ての映画とは『靖国』、他府県のどこかで、その上映が右翼団体の圧力で中止になったという話を聞いたが、沖縄でもそうなった・・・というわけでは無い。
 チケット売場の前に行列ができていた。桜坂劇場に行列ができているのを私は初めて見た。30~40人ほどが並んでいた。その最後尾に付いて30秒も経たない内に係りの人が言う。「ヤスクニ13時上映のチケットは残り6枚です。」と。で、すぐ後に、「お並びの方、申し訳ありませんが、チケットは完売しました。」とのこと。桜坂劇場の映画が満席になるなんて、これも私にとっては初めての経験であった。

 その後、用があったのでパレット久茂地へ行く。最上階に休憩場所があるので先ずはそこへ向かう。1階からエレベーターに乗った。エレベーターの中には地階から乗ったであろう客が数人いた。乗降口近くに私は立ち、乗降口に体を向ける。私の後ろにはカップルがいた。チラッと目に入っただけだが、二人は抱き合っていた。2階で半数が降りて、そこからはそのカップルと私と、カップルの横に立っていた初老の婦人が残った。
 カップルは5階で降りた。ドアが閉まるや否や、初老の婦人が大声では無いが、私にはちゃんと聞こえるように厳しい口調で言った。「まったく、恥ずかしいとは思わないのかねぇ。公衆の面前であんなことするなんて!」と。
 カップルは確かにイチャイチャしていた。見てはいないがキスも何度かしていた。それは音で判った。しかし、私は特に気にならなかった。他人事であった。しかし、カップルのイチャイチャは、初老の婦人には、自分も関わっている社会の出来事として捉えられたのかもしれない。ということは、イチャイチャの気にならない私は、「社会の出来事は自分にも関わることである」と捉えることのできない無関心野郎なのかもしれない。

 二日後の月曜日、世間一般は休日だが、零細企業である私の職場はいつもの通り出勤となる。ところが、朝飯食っている時に社長から電話があった。「先週言い忘れたが、今日は休みです。」とのこと。急な休日は困るぜと呟きつつ、オジサンは出かける。
 映画『靖国』を観に行った。この日は万全を期して、桜坂劇場へは15分前に着いた。良い席に座って、観た。そして、約1時間後、映画が半分を過ぎた頃から、前に『命の食べかた』を観ても何とも無かった私の胃が、この日はムカムカしだした。
  『靖国』は、靖国の現実を描いただけの映画である。特に政治的主張は感じられない。しかも私は、総理大臣の靖国参拝について絶対反対でも無いし、進軍ラッパと共に靖国を参拝する人たちに対しても強い反感は感じない。それでもムカムカした。
 自分とは違う主張をする者に対し、暴力的な言動でもってその主張を妨害することが私は嫌いみたいである。そんな場面が多くてムカムカしたみたいである。
 私は、生命の危険が無い限りにおいては、互いの主張は互いに尊重しなければならないと常々思っている。・・・と思っていたが、他人の主張は他人事、俺には関係無いと私は思っているだけかもしれない。私は、単なる無関心野郎なのかもしれない。
          

 記:2008.8.1 島乃ガジ丸