今もそうなのか知らないが、私が子供の頃、小中学の成績は相対評価というもので、高校になるとそれが絶対評価になった。相対評価は、テストの点数によって、クラスの生徒を5段階に区分する。絶対評価は、テストの点数そのものを段階区分する。
あっそうだろう総理が所信表明で述べていた「日本は強くあらねばならない」は、絶対評価で「強く」なのか、他所の国と比べての「強く」なのか知らないが、私としては絶対評価で、しかも、「逞しい、元気」といった意味の「強く」であって欲しい。他国との比較でなく、日本は平和を維持して欲しいし、他国との比較でなく、日本国民が最低限生きていけるだけの、国力の逞しさは持っていて欲しいと思う。
「侵略戦争ではなかった」という論文を発表した自衛隊の偉い人がいた。何らかの理由をつけて、他所の国へ行って、他所の国の人を殺すことを「正しい戦争」するならば、自衛隊の幹部にそう考えている人が多くいるのであれば、日本の平和も危うい。
少なくとも、「侵略だった、ごめんね。」と文人(政府)が公式見解を出している以上は、軍人はそれに従うべきである。シビリアンコントロールは微塵も揺るがしてはならない。それこそ、他所の国より我が国はましだ、などと相対評価などしてはならない。絶対評価の、10段階の10を常に維持しておかなければならない。
その偉い自衛官はまた、「憲法は変えた方が良い」などと国会で言ったらしい。自衛隊がもっと自由に動けるようにしてもらいたいということなのだろう。軍の幹部が「俺たちを自由にしろ」と言っている。とても恐ろしいことだと私は思うのだが・・・。
先週亡くなった筑紫哲也は「平和の尊さ」を常に語っていた。戦争を知らない私だが、暢気な私だが、そんな私も同様に思う。「平和」は絶対評価で尊い。
※言葉をあまり知らない友人Hのために
シビリアン・コントロール(civilian control)
「軍隊の指揮権が文民によって統制されること。また、政治の軍事に対する優位を定めた制度。軍部の政治への介入や独走を抑止するためのもの。」(広辞苑)
記:2008.11.14 島乃ガジ丸