ニュースだったかワイドショーだったか、乳母車、って言わないか今は、ベービーカーだ。ベビーカーを4歳過ぎの子供にも使っているという話があった。
4歳といえばもう一人前の子供だ。一人で十分歩けるはずだ。いや、3歳からでも一人で十分歩けるはずだ。それをベビーカーに乗せるなんて、ずいぶん子供に甘い母親がいるもんだと思った。ところが、その母親達は、子供に甘いのではなかった。
何故一人で歩けるほどの子供をベビーカーに乗せるのか?という質問に対する彼女らの答えの多くが、「ベビーカーに乗せていると子供があっちこっち動き回らないので管理しやすい、子供のペースではなく自分のペースで動ける。」などといったことであった。どうやら母親達は、自分の都合でそうしている。自分に甘いみたいである。
モンスターペアレンツという言葉を去年幾度も耳にした。学校に理不尽な要求をする父母達のことを言う。私がテレビで観たり聴いたりした限りでは、彼らの理不尽な要求は子供を愛するが故の行動というわけではない。子供自身、あるいは自分達に責任があるべきことを学校側のせいにし、文句を言い、わけの分らない要求をしている。
子供を躾けるのは親の責任だと思うが、彼らはそれをしない。子供のやることにいちいち注意したり、怒ったりするのは面倒臭いと思っているのだろう。モンスターペアレンツは子供を甘やかせているのではなく、自分を甘やかせているのだと思う。
従姉の息子夫婦には二人の幼い男の子がいる。彼ら家族には年に数回会う機会がある。会うたんびに「厳しいのう」と私は感じる。私がこのブログでたびたび褒めている才色兼備の母親が、息子達の躾に厳しいのだ。「止めなさい!いけません!だめです!」を私は何度も聞いている。「厳しいのう」と私は感じながら、でも、「お母さん頑張ってるな」とも思う。彼女(彼女の夫も)は、厳しく自分の責任を果たしている。
そうやって、自分を甘やかすことなく、面倒な子育てに日々奮闘し、厳しく子供を育てることは、きっと、子供にとってはまともな人間になるための修行となるが、親にとってはさらにその上の、立派な人間になるための修行となるのだろう。
大家の家の隣の敷地が宅地造成されて、道ができて、そこから時々石が投げられる。その道を通って小学校に通う子供たちの仕業だ。「子供はケダモノだからね」と大家の奥さんが言う。彼女は、数年前に引退したが、小学校の校長であった。校長の前は教頭で、教頭の前は一般教諭であった。そんな彼女が言うので、それはその通りであろう。
ケダモノを人間にするのは大変難儀な作業だと思う。難儀な作業を忍耐強く続け、子供を人間に育て上げる。それによって親達は自らも成長する。躾は子供の為ならずだ。子育てどころか、結婚生活という難儀な作業も経験しない私はなかなか成長しない。
記:2009.3.13 島乃ガジ丸