ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

叫びを静かに歌う人

2009年05月15日 | 通信-文学・美術

 私は家にインターネットを引いていないので、ガジ丸HPやブログのアップ、個人的なPCメールのやり取り、知人のブログを読むなどは、金曜日の職場でやっている。
 家にインターネットは無いが、平日(月~木)も内勤の時はインターネットを利用している。職場のパソコンから役所の、公共工事関係の資料を見たり、積算のための情報や、CAD関連の情報を見たり、取引先とのメールのやり取りをしたりする。
 社長には内緒だが、職場のインターネットを個人的なことに使うこともある。めったにないことではあるが、飲み会のお知らせなどを元同僚達にメールしたりする。それから、インターネットでニュースも時々見ている。インターネット画面を開くと、ヤフーもOCNも最新ニュースを載せているので、気になるものは記事を読んでいる。

 先週金曜日、知人のブログを覗くと、二人のブログに忌野清志郎についての記事があった。私と同世代のMさんは娘からのメールでそのことを知り、泣いたと言う。私とは二世代若いSさんもまた、思い入れの強い内容の記事であった。
 「忌野清志郎が亡くなった」というニュースはテレビでも大きく取り上げていたので私も知っていた。ところが、私は忌野清志郎について思うことがほとんどない。彼の作品で知っているものといえば最初の頃の『僕の好きな先生』くらい。
 情熱、熱く燃える、戦う、叫ぶ、などということを私は苦手としている。なので、熱い心を持って叫ぶようにして歌う忌野清志郎も苦手にしている、と思われる。

 忌野清志郎の訃報から数日後の先週木曜日、インターネットのニュースに、私にとっては忌野清志郎よりずっと関心のある記事があった。漫画家やまだ紫の死。
 今は全くと言っていいくらい読まないが、10年ほど前までは、私は漫画をよく読んでいた。買ってまで読んでいた。よって、私の部屋には数多くの漫画本がある。その中でやまだ紫の本は、いしいひさいち、大友克洋、手塚治虫、ますむらひろし、白土三平、東海林さだおに次ぐ数。さっき棚の奥にあるものも出して数えたら10冊あった。
 私は少女マンガが苦手で、大きな目にキラキラと星が輝いているのが苦手で、女流漫画家は皆そのようなものだと思っていて、作家が女性名の漫画本は、大人になるまで手に取ることもなかった。が、「大きな目にキラキラ星」では無い女流作家もいることを知ってからは、何人かの女流作家の本を買っている。やまだ紫はその内の一人。

  最初に読んだのは、たぶん20年ほど前、本のタイトルは『空におちる』。絵には空間が多く、線は細く少ない。でも、絵の表現している空気は解りやすい。文章は多い。多くて達者。漫画なのにまるで純文学のような、心にずっしりとくる読後感。「こりゃあ面白い」とファンになり、その後、彼女の本を買い求め、読んだ。
 彼女の作品には怒ったり笑ったり泣いたり、憎んだり愛したり拗ねたり、彼女の、もしくは彼女の想像する日常生活が描かれている。ギャーギャー喚いたり、ドロドロしたりの現実の生活を、彼女は冷静な目で表現する。「何という理性!」と思う。思いながら、その淡々とした表現に私は魅入られていく。ギャーギャー騒ぐな、落ち着いて話せ、と、私は熱く叫ぶ人にいつも思うのだが、彼女こそ、叫びを静かに歌う人であった。

 なお、彼女のブログに彼女の夫の記事があった。合掌。

やまだ紫(本名白取三津子)は2009年5月5日
午前4時16分、永眠しました。享年60歳でした。
4月26日未明に脳出血を起こし、病院へ搬送しましたが、
手術も虚しく、5日の早朝に亡くなりました。

やまだ紫を愛してくださった皆様、ありがとうございます。
本人は亡くなりましたが、作品は残ります。
これからも末永くご愛読いただければ、幸いです。

2009年5月6日夕
白取千夏雄(夫)
          

 記:2009.5.15 島乃ガジ丸


見聞録029 ほったら菓子

2009年05月08日 | ケダマン見聞録

 ユーナが先週末に帰ってきていて、今日もまだいる。巷では先週末からゴールデンウィークのようで、ユーナも休みが続いているのだが、しかし、休みも一昨日までだ。
 「昨日から学校は始まってるんだろ?」
 「うん、でも別に、2、3日休んだってどうってことないよ。」
 「まあ、だな。真面目に学問して偉い人になろうって器じゃないしな。」
 「失礼だねぇ、これでも成績は良い方なんだよ。とても優秀ではないけどね。でも、まあね、偉い人になれるなんて自分でも思ってないさあ。」
 「うん、なかなか謙虚でよろしい。まあ、自分の食う分は自分で稼いで、真っ当に生きていれば何かしら社会の役には立つさ。それで十分。」

 「役に立つって言えばさあ、ケーキ屋さんでバイトを始めてからクッキーやケーキ作りも得意になったんだよ。友達の誕生日なんかに作ってあげてるさあ。」
 「クッキー?ケーキ?なんて、まったく興味ないんだが俺は。」
 「私の作るお菓子、なかなか評判良いんだよ、何か作ってあげようか?」
 「世界的規模の食糧不足になって、最低限生きていけるだけの食糧を確保するために、余計な食い物はできるだけ削除しようとなった場合、人間が食う食い物で真っ先に削除されるべきものはだ、俺が思うに菓子類だな。甘いものはなくてもいいな。」
 「えーっ、お菓子のない世界なんて夢の無い世界と一緒さあ。お菓子の生る木が欲しい位だよ私は。むしろさ、最低限って言うならさ、お酒なんて全然いらないよ。」
 「何を言うか、酒のない世界なんて・・・おー、そういえば、ある星の話なんだが、あったぞそういうの。酒がなくて、お菓子はたくさんって世界。」
 ということで、ケダマン見聞録その29、『ほったら菓子』。

 その星は概ね平和であった。平和ではあったがつまらない社会であった。念のために言っておくが、「平和だからつまらない」なんてことは絶対無いぞ。平和だからこそ楽しいことがわんさかあるんだ。その星がつまらないのは、酒文化が発達しておらず、酒を飲んで酔うという概念が存在しなかったせいだ。
 酒文化が発達していない代わりにお菓子文化は大いに発達していた。お菓子は、女子供だけじゃなく大人の男も・・・、

 「ちょっと待った!」と、ここでユーナが声を上げ、話はいったん中断。
 「なんだ、話は始まったばかりだ、腰を折るんじゃない。」
 「女子供という表現が差別的だね、取り消してもらいたいね。」
 「煩せぇな、じっさい好きだろうがよ、お菓子が、女も子供も。」
 「男だってお菓子は食べるよ。」
 「そりゃあ食べるさ、一般的な話をしてるんだ。平均的にはとか、一般的にはとか、例外もあるけどとかいちいち注釈入れなくても分かるだろうがよ。」
 ユーナはなおも不満そうな顔をしていたが、話を再開する。

 その星の人類のほとんど、老若男女問わず、甘いもの好きで、そのせいか人々の心は甘く、穏やかで優しい性格をしていた。そのお陰で、その星の平和が続いていたのかもしれない。また、そのせいで酒文化が発達しなかったのかもしれない。

 お菓子文化が発達し、お菓子の科学も進歩したが、お菓子の生る木は無かった。甘いもの好きは果物も好きであった。木に生る甘いものは果物で十分だったのだ。
  お菓子の生る木は無かったけれど、お菓子のできる野菜はあった。地球でも落花生は炒れば菓子になる。ジャガイモは薄くスライスして油で揚げれば菓子になる。しかし、その場合はどちらも土から掘り出して、そのまますぐには食えない。ところが、その星には、土から掘り出して、洗って、皮を剥けば、そのままお菓子としてすぐに食べられる植物があったのだ。品種によってチョコ味、キャラメル味などいろんな味が楽しめた。
 その野菜はまた、育てるのに手間もかからない。種を植えて放っておけば、勝手に育って、そのうちジャガイモのようにして地下にお菓子ができた。
     

 「いいなぁ、それ。欲しいね地球にも。」と、ここでまたユーナが話の腰を折る。
 「まだ、終わってないぜ、最後のオチが・・・、」
 「オチなんて聞かなくてもいいよ別に、どうせ駄洒落でしょ。地下にできるから『掘ったら菓子』って名前なんでしょ。放ったらかしでもできるんでしょ。」
 「あっ、コノヤロウ、俺が一番言いたかったことを先に言いやがって!」
 ということで、見聞録その29『ほったら菓子』は終了となった。

 語り:ケダマン 2009.5.8


ウチナーンチュの本性

2009年05月08日 | 通信-沖縄関連

  二十四節気の一つに清明がある。今年は4月5日から19日までがその節で、沖縄ではその間に墓参りをするシーミー(清明祭)と呼ばれる行事がある。
 母の三回忌がまだなので、我が家は今年清明祭はやらない。そういう決まりとのこと。ではあるが、1年放っておくと雑草が大変なので、掃除はやっておこうと先週の土曜日に出かけた。掃除は40分で済んだが、墓には1時間ほどいた。残りの20分は、我が家の墓の隣の隣に小屋を建てて住みついている自由人の話し相手であった。
 話を長引かせたくないので私からは話さない。たまに相槌を打つだけで、もっぱら聞き役となる。それでも、他に話し相手がいないのか、彼はとても饒舌で、半年ぶりの私をなかなか離そうとしない。20分間、愚痴を聞かされる。
  彼の話は、「俺は東京でも大阪でも浮浪者をやっていたが、ウチナーンチュが一番根性が悪い。」といった内容。どうやら、隣の墓の清明祭の時に、そこの人とひと悶着あったらしい。「青い空とか青い海とか人が優しいとかきれいごとばっかり言っているがよ。」なんて、まるで、ガジ丸の唄『シークヮーサーの反逆』みたいなことを言う。
          
          

 琉球人が倭人に比べて優しいなどとは私も思っていないが、(概ねの)琉球人が(概ねの)倭人に比べていい加減な性格であるとは、私がそうなので、思っている。
 墓掃除の後、実家へ寄って1時間ばかり父のパソコン教室をやって、その後、末吉公園を散策する。その時の散策には一つの目的があった。五弁のクチナシ(普通は六弁)を去年見ていて、その花の写真を撮るという目的。しかし、既に花は散っていた。せっかく来たのにとがっくりだったが、「ま、いいか。」とすぐに開き直る。
  その翌日の日曜日、散歩を30分で済ませ、畑仕事も30分で済ませ、部屋を夏の装いにする作業に時間を割いた。四月になった時点で、火鉢を片付け、長袖シャツを押入れに仕舞い、半袖シャツを表に出すなどの衣替えしなくちゃあと思っていたが、そのうちそのうちにと引き伸ばして、例年よりだいぶ遅れた衣替えとなった。
 「ま、いいか」とか「そのうちそのうち」という性格は私の性格であるが、ウチナーンチュの代表的な性格でもある。私は真っ当なウチナーンチュというわけだ。

 私がよく利用しているバスは、古くからある沖縄資本のバス会社であったが、数年前に本土資本の会社に経営が移った。本土資本になるのは、ウチナーンチュとしてはあまり気持ちの良いものではないのだが、経営が移ったとたん、バス運転手のマナーが格段に向上した。そういう教育をしたのであろう。客としては乗っていて気持ち良い。
 ところが、先日乗った同社のバスは以前の運転に戻っていた。「機嫌悪いのかな、女房とケンカでもしたのかな。」と思いつつ、「ナイチャーの運転手だったら私事を仕事に影響させないだろうな。」と思って、運転席の上部にある名札を見ると、案の定、運転手はウチナーンチュであった。その日の帰りのバスは、いつも通りの丁寧な運転、名札を見るとナイチャー(沖縄は独特の苗字が多いので、名前である程度判断できる)であった。その数日後に乗ったバスは粗い運転、運転手はウチナーンチュ。どうやら機嫌が悪いのでは無く、ウチナーンチュの本性が現れたようである。ちゃんと教育はしても、喉元過ぎればということなのであろう。本性はなかなか消えてはくれないのである。
          

 記:2009.5.8 島乃ガジ丸


瓦版089 太郎さんの目に涙

2009年05月01日 | ユクレー瓦版

 ユクレー屋のカウンター、週末の金土はケダマンと私が立っているが、先週から平日はガジ丸が立っている。悔しいけど、週末より平日の方が客の入りは良い。
 金曜日、この日はケダマンがカウンターの担当。夕方から店は開いているが、やはり、客はいない。私一人カウンターに座っているという相変わらずの光景。

 「村人の中でも、勝さんたちのように慣れている者たちは、俺たちマジムン(魔物)相手に普通に会話もできるのだが、その他の人たちは、俺たちの存 在を知ってはいても、まともには相手もし辛いのだろう。」とケダマンは言うが、私は違う意見を持っている。カウンターで客を相手にしている時、ガジ丸は、 自分からはあまりしゃべらない。相手の話を静かに聞いて、時々相槌を打つくらいだ。瓦版の取材で、日々村人達の話を聞いている私には、それはよく理解でき る。聞き上手は相手を楽にさせる。その旨告げると、
 「そうか、聞き上手になるってことが良いマスターってわけだ。」
 「お前、長く生きている割には気付くのが遅いよ。」
 「長く生きていても、慣れてないことには慣れてないだけだ。そういうお前は、そういうこと知っていて、なんで客が少ないんだ?」
 「それは、・・・何でかなぁ。・・・見た目かなぁ。ガジ丸に比べると、俺は頼り無さそうに見えるかもしれないなぁ。」と言うと、ケダマンは私の顔をじっと見て、
 「うん、確かにお前は頼りない顔だ。」ときっぱり。しかし、
 「それは、そっちも一緒だ。でも、その言葉、そっくりそのままは返さないよ。頼りない顔をしている上に聞き上手じゃないんだぜ、お前は。」

 などと会話をしている内に夜になって、ガジ丸一行がやってきて、いつもの会議も終わって、そして今日は、明後日旅立つ爺さん三人の壮行会が開かれ た。参加者は主役の三人に、シバイサー博士、ガジ丸、ジラースー、ウフオバー、そして、爺さん三人が留守のあいだ、三人の代わりを勤めるトシさんとテツさ ん。
 ユイ姉の店で歌手デビューをする予定の爺さん三人だが、トリオの名前をまだ決めていない、で、爺さんトリオの名前を決めようという話になった。
  「和風の名前にしよう」とか、「オキナワ風がいいんじゃないか」とか、皆からいろいろ案が出たのだが、ガジ丸の鶴の一声で「トリオG3」という名に決まっ た。G3はジースリーと読むが、もちろん「ジイサン」のもじり。安易だと私は思ったが、「カッコイイ名前がいい。」と言う勝さんたちの意見もあって、即決 となった。

 ユイ姉の店でのデビュー前に、予行演習ということで、ユクレー屋でのトリオG3演奏会となる。演目は、これまでにガジ丸が作った民謡『すねかじり節』などの他、デビューのためにとガジ丸が作った新曲、『チャンプルーの肝心』。
  トリオG3が歌い終わった後、「おまけだ」と言って、ガジ丸が1曲披露した。ガジ丸は先週も、新曲『爺さんも旅をする』を発表したが、今回もまた新曲。た だ、『爺さんも旅をする』は勝さんたちの応援歌という解りやすい曲だったが、今回は何か趣が違う。今生の別れみたいな内容。何で今ここで、と不思議に思っ たが、ガジ丸が歌い終わった後、太郎さんの目に涙が浮かんでいるのに、ふと気付いた。

  「何の唄なの?太郎さんがウルウルしているけど。」と戻ってきたガジ丸に訊いた。
 「太郎さんが昔書いた詩があってな、それに曲をつけた。」
 「そうなんだ、太郎さんの詩なんだ。」と、太郎さんを見る。
 「自分が書いたのは初めの4行だけ、後はガジ丸が付け足してくれた。歌手デビューするからには自分の唄も1曲は欲しいと思って、ガジ丸に頼んだんだ。」
 「恋人に去られたみたいな内容だね。」
 「そうか、太郎さんの昔振られた話の唄か。」
 「いや、唄はそういうふうになったが、詩は、死んだ娘を想ってのものだ。」
 「そうなんだ、そういう詩を作っていたんだ。」とまた、太郎さんを見る。
  「娘が死んで、ずっと辛い日々を過ごしていた頃、何となくあるフレーズが頭の中に浮かんで、それを口ずさむようになっていた。それをこのあいだ、ふと思い 出して、唄にしようと思ったのだが、私が口ずさんでいたのは文章も短いし、歌って言うほどのメロディーでもなかったけど、ガジ丸がちゃんと形にしてくれた んだ。」とのこと。
     

 その唄は『宇宙船に乗って』という題。ちなみに、トリオG3の新曲『チャンプルーの肝心』は、運が良けりゃあ島豆腐協会のテーマソングになって、CDになって、爺さん3人の生活の足しになればいいなぁというつもりで作った唄とのこと。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.5.1 →音楽(チャンプルーの肝心 宇宙船に乗って


携帯電話の機能

2009年05月01日 | 通信-科学・空想

 1年ほど前に機種変更した私の携帯電話は、「らくらくほん」という名前の年寄り向きの機種で、表示文字が大きくて見易いものだ。年寄り向きの特徴としては他に、カメラとかワンセグ(実は、何のことかよく判らない、テレビのようなものらしい)とか余計な機能が付いていない。代わりに万歩計が付いている。それは、ずっと利用している。
 いつだったか、フジテレビの朝の情報番組『トクダネ』で、携帯電話が車のキーにもなるという話があった。お財布携帯(これについても詳しくは知らない。クレジットカードのような働きだと思われる)という機能もあるらしい。

 私は、携帯電話は電話とメールが使えれば十分と思っている。万歩計も、あるから使っているだけで、1日どれだけ歩いたなんて気にしながら散歩はしていない。写真はデジカメを使うし、インターネットで情報を得たい場合は職場のパソコンを使う。外で、しかも小さな画面でテレビを観ようなんて思わないし、支払いは概ね現金で、クレジットカードを使うのは稀である。そういった生活に特に不便を感じていない。
 携帯電話を紛失した際のことを考えると、多くの機能をつけることには、むしろ不安を感じる。携帯電話は命の次に大事なんて、携帯依存症の若者が増えているというが、車のキーになったり、クレジットカードになったりしたら、依存の度合いは益々深まりそうである。「携帯電話が無いと生活できない」なんてことになりそうだ。

  携帯電話は電話とメールが使えれば十分と思っているが、じつは、こういった機能が付いていると便利だろうなと思ったことはある。
 嘉数高台公園には長い階段がある。夏の暑い盛りに散策した折、その階段を上りきって大量の汗をかいた。多少息切れもした。その時、今の脈拍数、血圧が分るといいなと思った。携帯電話に血圧計の機能が付いていると便利だろうなと思った。
 「らくらくほん」は年寄り向けの携帯電話である。健康管理のために万歩計の機能もついている。健康管理のために、血圧計にもなってくれたらなお嬉しい。
          

 記:2009.5.1 島乃ガジ丸