私は家にインターネットを引いていないので、ガジ丸HPやブログのアップ、個人的なPCメールのやり取り、知人のブログを読むなどは、金曜日の職場でやっている。
家にインターネットは無いが、平日(月~木)も内勤の時はインターネットを利用している。職場のパソコンから役所の、公共工事関係の資料を見たり、積算のための情報や、CAD関連の情報を見たり、取引先とのメールのやり取りをしたりする。
社長には内緒だが、職場のインターネットを個人的なことに使うこともある。めったにないことではあるが、飲み会のお知らせなどを元同僚達にメールしたりする。それから、インターネットでニュースも時々見ている。インターネット画面を開くと、ヤフーもOCNも最新ニュースを載せているので、気になるものは記事を読んでいる。
先週金曜日、知人のブログを覗くと、二人のブログに忌野清志郎についての記事があった。私と同世代のMさんは娘からのメールでそのことを知り、泣いたと言う。私とは二世代若いSさんもまた、思い入れの強い内容の記事であった。
「忌野清志郎が亡くなった」というニュースはテレビでも大きく取り上げていたので私も知っていた。ところが、私は忌野清志郎について思うことがほとんどない。彼の作品で知っているものといえば最初の頃の『僕の好きな先生』くらい。
情熱、熱く燃える、戦う、叫ぶ、などということを私は苦手としている。なので、熱い心を持って叫ぶようにして歌う忌野清志郎も苦手にしている、と思われる。
忌野清志郎の訃報から数日後の先週木曜日、インターネットのニュースに、私にとっては忌野清志郎よりずっと関心のある記事があった。漫画家やまだ紫の死。
今は全くと言っていいくらい読まないが、10年ほど前までは、私は漫画をよく読んでいた。買ってまで読んでいた。よって、私の部屋には数多くの漫画本がある。その中でやまだ紫の本は、いしいひさいち、大友克洋、手塚治虫、ますむらひろし、白土三平、東海林さだおに次ぐ数。さっき棚の奥にあるものも出して数えたら10冊あった。
私は少女マンガが苦手で、大きな目にキラキラと星が輝いているのが苦手で、女流漫画家は皆そのようなものだと思っていて、作家が女性名の漫画本は、大人になるまで手に取ることもなかった。が、「大きな目にキラキラ星」では無い女流作家もいることを知ってからは、何人かの女流作家の本を買っている。やまだ紫はその内の一人。
最初に読んだのは、たぶん20年ほど前、本のタイトルは『空におちる』。絵には空間が多く、線は細く少ない。でも、絵の表現している空気は解りやすい。文章は多い。多くて達者。漫画なのにまるで純文学のような、心にずっしりとくる読後感。「こりゃあ面白い」とファンになり、その後、彼女の本を買い求め、読んだ。
彼女の作品には怒ったり笑ったり泣いたり、憎んだり愛したり拗ねたり、彼女の、もしくは彼女の想像する日常生活が描かれている。ギャーギャー喚いたり、ドロドロしたりの現実の生活を、彼女は冷静な目で表現する。「何という理性!」と思う。思いながら、その淡々とした表現に私は魅入られていく。ギャーギャー騒ぐな、落ち着いて話せ、と、私は熱く叫ぶ人にいつも思うのだが、彼女こそ、叫びを静かに歌う人であった。
なお、彼女のブログに彼女の夫の記事があった。合掌。
やまだ紫(本名白取三津子)は2009年5月5日
午前4時16分、永眠しました。享年60歳でした。
4月26日未明に脳出血を起こし、病院へ搬送しましたが、
手術も虚しく、5日の早朝に亡くなりました。
やまだ紫を愛してくださった皆様、ありがとうございます。
本人は亡くなりましたが、作品は残ります。
これからも末永くご愛読いただければ、幸いです。
2009年5月6日夕
白取千夏雄(夫)
記:2009.5.15 島乃ガジ丸