ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

医者に殺されない

2015年10月09日 | 通信-科学・空想

 大腸癌が見つかった友人のT、開腹手術は拒否したが、医者から「可能であれば内視鏡による摘出手術をしましょう」と提案され、それには挑戦した。それが先週の火曜日、内視鏡による手術の場合は体への負担が小さく、入院も1泊で済むとのことであった。なわけで3日後の金曜日、「もう元気に働いているだろう」と思って彼にメールした。ところが、彼の返信には「今入院中、退院は週明けになりそう」とあった。
 翌日の土曜日、Tを見舞いに行った。入院が長引いている訳は「癌を摘出した際、腸壁も少し削った、その傷が癒えるのにしばらくかかるらしい」とのこと。「可能であれば内視鏡による摘出」は、「腸を傷付けず、つまり、ほとんど出血することなく摘出できる」意味だと私は理解していたのだが、Tもおそらくそう思っていたのだろうが、医者は無理して内視鏡手術を可能にしたようだ。Tは「しょうがない」と笑っていたが・・・。

 Tが開腹手術を拒否したのはもちろんTの意思であるが、彼がそう決定することを後押しした本がある。この文の表題「医者に殺されない」は随分衝撃的だが、これはTを後押しした本の名前から頂いている。その本とは『医者に殺されない47の心得』、著者は現役のベテラン医師である近藤誠氏。2012年初版出版で、本の帯に「100万部突破」とあるので有名な本なのであろう。きっとテレビでも話題になったに違いない。私がここで改めて説明しなくても「知っているよ」という人も多かろう。テレビ観ない、新聞読まない、雑誌も読まない、本屋へ行かない私だから知らなかっただけなのだ。
 Tが癌と聞いて(そう話したのは私)、共通の友人であるOが「手術するかもしれないその前に」と、Tにその本を貸した。Tが読み終わってOに本を返し、その数日後、「お前も読んでおけ」となって、今、『医者に殺されない47の心得』は私の手元にある。既に読み終わっているが、その感想(この文)を書こうと思ってまだ返していない。
          

 「シタイ!」・・・死体では無い、「でかした、よくやった、よっしゃ」といった意味のウチナーグチ(沖縄語)。『医者に殺されない47の心得』を読んで「シタイ!」と膝を打つ箇所が多くあった。「検診は受けなくていい」、「癌は放っておいていい」、「薬は毒物」などといったことで、「よっしゃ!俺の思っていた通りだ」となった。
 大学受験前に健康診断を受けて以降約40年、私は検診などというものを1度も受けていない。「不具合が無いのに何で病院へ行くの?」が私の素朴な疑問。私が病院の世話になったのは、不摂生で今より体重が14~5キロ多かった若い頃、背中の脂肪腫摘出、瞼の脂肪腫摘出、膝の関節炎治療、左手親指の骨に達する切傷の手術、それらの4回だけ、いずれも入院はしていない。いずれも不具合を感じ、病院へ行く必要を感じたから。
 癌は放っておけば治る(本には治らない癌は治療しても治らないとあった)と思っていたし、薬はもう20年余、何の薬も飲まず、風邪も腹痛も根性で治している。
 その他、血圧が130を超えると高血圧と見なされ降圧剤を飲まされることについても私は疑問を持っていたが、本には「血圧130で病気なんてありえない」、「基準値をいじって、薬の売り上げ6倍増」とあった。「そうか、製薬会社の陰謀か」と納得。
 『医者に殺されない47の心得』にはまた、私の考えていたことと違う箇所もいくつかあった、玄米、塩、免疫細胞のことなど・・・字数も尽きたのでそれらは次回。
          

 記:2015.8.9 島乃ガジ丸


うっちん茶2

2015年10月09日 | 飲食:飲物・嗜好品

 うっちん茶については既に2013年2月12日に、『飲み物も自給を目指し』とサブタイトルを付けて紹介し、その記事の中で「お茶も買っているが、これも今月から自作している」、「(お茶の自作は)生活費を削減しなければならない、という貧乏からくる考えの一つ」などと書いているが、それから今日までの2年半、うっちん茶を自作したのはその時以来無い。老化した脳味噌はそのことをすっかり忘れていた。
 2年半も経ってうっちん茶作りを再開したのは「飲み物も自給しなきゃ」と思い出したからではない。ウコンは畑の果樹園の一角にあり、先日、果樹園を除草、整地している時に邪魔になっているウコンを4株ほど掘り採って、「これどうする?」と考えて、「そうだ、お茶にしよう」と閃いたから。家に帰ってパソコン作業(ガジ丸記事書きなど)している時、「うっちん茶、前に紹介したかも」と思い出して調べたら、紹介していた。

 前に紹介した「うっちん茶」の文の中に「根茎を薄くスライス、または刻み、それをそのまま煎じて飲むか、スライス、または刻んだものを乾燥させ、それを煎じて飲む」と書いてあって、その時は「刻んだものを乾燥させ」て作っている。なので、今回は「根茎を薄くスライス、または刻み、それをそのまま煎じて」みようと思い立った。
 前回の記事には自作うっちん茶を飲んだ感想が書かれていない。今、思い返してもどんな味だったか思い出せない。特に感想もなく、思い出せもしないということは、おそらく自作うっちん茶、市販のうっちん茶とほとんど変わらなかったものと思われる。

 今回はちゃんと感想を書こう。今回の「そのまま煎じ」たうっちん茶、煎じたものそのままは市販のものと比べて色が濃い。飲むと味も匂いも濃い。元々漢方薬のような「いかにも薬」みたいな味と匂いなので少々飲み辛い。それを水で薄めて飲んだらいくらか飲みやすくなって、市販のものと味も匂いもそう変わらないようになった。
 ウコンの味と匂いは独特で、私としてはちょっと苦手な部類に入る。これを日常の飲物にするについてはちょっと抵抗があるのだが、緑茶にしたって独特の味と匂いだ、うっちん茶も慣れてしまえば普通に飲めるようになるかもしれない。取り敢えず、当分の間は水をたっぷり加えて、ごく薄いうっちん茶にして利用しようと考えている。
 ちなみに、ウッチンはウコンの沖縄語読み。
      

     
     
     

 記:2015.10.5 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


ニリクサリユン

2015年10月02日 | 通信-社会・生活

 9月中旬頃から南の島沖縄も朝夕はだいぶ涼しくなった。涼しくなると私は眠り姫のようによく眠る。朝起きるのが辛い。目覚まし時計をオフにしているのでほとんど毎日寝坊している。それまでは5時前起床6時出勤が、9月は6時過ぎ起床7時過ぎ出勤という日が多い。「早く寝れば早く起きる」と思ってここ数日は9時過ぎに就寝しているが、それでも目覚めは6時過ぎ、寝ても寝ても寝足りない、そんな季節となった。
 寝ている間に何度かレム睡眠を繰り返し、いくつもの夢を見て、そのたびに目覚めかけて、「今の夢は面白かったなぁ」と夢を思い返しながら、一度はトイレに立つこともあるが、概ねははっきりと目覚めることなくすぐにまた眠りに入る。トイレ時間も含め目覚めているのは10~15分くらいだ。なので、8時間半以上は眠っている。
 それだけ眠れば体はリセットされているはずだ。確かに朝は元気に畑へ出勤している。しかし、しゃがんでの草刈作業、1時間もしない内に腰と膝が痛くなり、たっぷりの休憩が必要となる。晴れて太陽が照りつけていると暑さに参って、すぐに青息吐息となる。十分の睡眠も衰えた体を若者に変えてくれることまではしてくれないようだ。
          

 ニリクサリユンはウチナーグチ(沖縄語)で、それはそのままでは沖縄語辞典に載っていない。載っていないけれど「ニリクサリッサー」という表現で良く聞かれる言葉だ。ニリクサリユンは合成語で、ニリユンとクサリユンの2つの動詞を組み合わせたもの。
 ニリユン、クサリユンは辞典にある。ニリユンは「飽きる、いやになる」といった意、クサリユンは「腐る」といった意。クサリユンは食べ物が腐った時に使うが、和語と同じく「心が腐る」意味でも使える。ただし、「クサリッサー」と単独で聞かれることはほとんど無い。ニリユンは「ニリッサー」という表現をよく聞く。同じこと(特に同じ失敗)を繰り返した時などに使い、「嫌になるなぁ、疲れるよ」といった意味になる。
 ニリクサリユンはニリッサーでも言い足りないほど嫌になった場合に出る。なので、落胆した時に口から思わず出てしまう感嘆詞「アギジャビヨー」がその前に付いて、「アギジャビヨー、ニリクサリッサー」とガックリ肩を落とす光景をよく見る。
 「にりくさりっさー!」のシチュエーションは日常にいくらでもある。一昨年も去年も今年も貧乏農夫は台風に痛めつけられている。吹き飛ばされたゴーヤーを見て、倒れたバナナを見て、倒れたグヮバを見て「にりくさりっさー!」と吐く。一昨年も去年も今年も貧乏農夫は害虫にも痛めつけられている。虫に食われたヘチマやトウガンを見て、カタツムリに食われたパパイアを見て「にりくさりっさー!」と吐く。

 病院嫌いの私は、ここ40年ほど検診を受けたことがなく、ちゃんと検査した訳ではないが、間違いなく老化している。前述したように肉体的老化ははっきり自覚している。筋肉の老化だけで無く空間認識能力も衰えている。畑では、自分が刈った草に足をもつれさせ、身長より低い位置にあるパイプには、そこにあると熟知しているのによく頭をぶつける。釘を打つ時に左手甲を何度ハンマーで叩いたことか。家では、家具の角に体をよくぶつけ、洗い物をしていると食器を落とす。コーヒー豆の箱を落とし床にばら撒いたりもする。そういった時などに「にりくさりっさー」となる。辺野古基地に関する官房長官の、木で鼻を括ったようなコメントを聞いた時などにも「にりくさりっさー」は使える。
          

 記:2015.10.2 島乃ガジ丸


穀物酒-キャッサバ酒

2015年10月02日 | 飲食:飲物・嗜好品

 自給自足芋生活を目指している私は、基本の主食として芋(甘藷)を植えているが、その他、主食になりうる澱粉質としてサトイモ、キクイモ、キャッサバなども植えている。サトイモは小さくて主食とするには量が足りないが、美味いので酒の肴には最高。キクイモはさらに小さく、薬効はあるらしいが、これも主食とするには量が足りない。
 キャッサバは良い。蒸したり茹でたりして食えばまあまあ美味いし、澱粉を製粉すれば長持ちするし、それをタピオカとして食えばなお美味い。そして、挿し木で簡単に増え、1株からの収獲量も多い。芋(甘藷)の代わりの主食として十分成り立つ。
 そのキャッサバ、「1株からの収獲量も多い」と判ったのはつい最近のこと。西原の畑ナッピバルに十数株あり、過日、その1株を掘り採ってみたら思いの外、予想していた4倍位の収獲量があった。主食として食ったとして10食分は余裕の量であった。キャッサバは、宜野湾の畑ナツヤにはナッピバルのそれの倍以上の量がある。

 「過日、掘り採ったキャッサバの1株」は、主食の用途にするつもりで掘り採ったのではない。自家醸造果実酒グヮバ酒を作っている時に閃いた。「果実からも酒はできるが、米、芋などの澱粉質からも酒ができる。キャッサバ芋は澱粉の塊みたいなものだ、当然、酒の材になるはず、作ってみよう」と思い立って掘ってみたわけ。
 当初は、「4~5株掘れば1升の酒ができるかな」と予想していたのだが、1株掘り採ってみると、私が予想していた4~5株の量が1株で十分あった。
     
 掘り採ったその日(9月16日)に早速、酒造りにとりかかる。皮を剥いて、細かく切って、蒸して、潰す。潰している時、餅のように粘りがあることを知る。「澱粉質が豊富なんだ」と判断し、良い酒になるはずと期待が膨らむ。
 潰したキャッサバは良い香りもした。美味しそうな匂いだ、ちょっと食べてみた。微かに甘みもあって美味い。で、閃いた。フライパンに油を引き、潰したキャッサバをお好み焼きのように焼いてみた。焼きあがったものはそのまま美味しく、醤油をつけて美味しかった。「こういう食べ方もできる、主食として飽きないな」とほくそ笑む。
     
     
     
 潰したキャッサバ、そのまま水を加えてもアルコール発酵は期待できない。日本酒造りに使った米麹が少し残っていたので、十分冷めてから米麹を加え、混ぜる。
 麹菌は「アミラーゼを生産し澱粉を糖に変える」(広辞苑)でアルコール発酵はしてくれない。アルコール発酵は酵母菌だ、酵母菌は「アルコール発酵を営む」(広辞苑)で、パン作りに用いるイースト菌は酵母菌の一種。家にイースト菌はある。が、今回それは使わなかった。日本酒造りでもイースト菌は使っていない。部屋の中に酵母菌があると期待し、その期待通り日本酒造りは成功した。キャッサバ酒もそれと同じ期待をする。
     
     
     
     
 米麹を混ぜたキャッサバに約2リットルの水(水道水)を加え寝かす。2日後から沸々と泡が立ち始め、3日後には強いアルコール臭がするようになった。期待通り部屋の中に酵母菌が存在していたわけだ。5日後に搾って、その夜飲む。
 米麹の匂いも少しするが、ヨーグルトの匂いもする。乳酸菌発酵もしているようだ。なので、甘みもあるが酸味も強い。酒造りの参考書には確か、アルコール発酵の後に乳酸菌発酵が来るとあった。もう1日早く搾れば酸味は弱かったかもしれない。
 キャッサバ酒、少々残念な結果になったが、不味くは無いのでほぼ毎日飲んでいる。アルコールも入っているアミノ酸たっぷりの酢を飲んでいると思えば、健康には良いに違いない。キャッサバ、何はともあれ、酒になると判っただけでもめでたしめでたし。
     

 記:2015.9.29 ガジ丸 →沖縄の飲食目次