ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

眠れない夜

2016年07月08日 | 通信-環境・自然

 もう40年ほども昔、私が青春だった頃、『眠れない夜』という流行り唄があった。歌っているのはフォーク歌手の・・・老化した脳が名前を思い出せない。1番の歌詞はだいたいだが覚えている。「眠れない夜 風が窓を叩き・・・中略・・・眠れない夜」だったと思う。しかし、その歌の眠れない理由については、私には理解できなかった。
 青春の頃の私には「眠れない夜」がたびたびあった。私が眠れない理由ははっきりしていた。たいていは恋、片思いで悶々とした夜を過ごしていた。恋以外に眠れない夜もあったと思う。台風で風が窓を叩き、煩くて眠れないとか、隣の部屋で徹夜マージャンをしていて、煩くて眠れないとか、隣の部屋の若夫婦のあの時の声が漏れ聞こえ、悶々として眠れないとか、などといったことがあったかもしれない。

 この頃の私は「眠れない夜」が続いている。恋をしているわけではもちろんないが、隣の部屋が煩いというわけでもないのに、ぐっすり睡眠ができないでいる。

 言っても書いても詮無きことだが、今年は暑い、糞暑い。最も気温の高くなる昼後は、太陽光線が殺人光線のように感じられて炎天下に身体を晒す勇気が出ない、そんな元気も無い。炎天下で肉体労働はもうできない。というわけで、先週から昼前には畑を引き上げている。夏農夫は午前中で仕事を切り上げるが、本来なら朝4時半に起きて6時までには畑へ着き、5~6時間は畑仕事に精を出している・・・はずである・・・のだが、この頃は早起きができていない。ぐっすり眠れていないので目覚めてもダラダラしている。
 今年は夜も暑い、糞暑い。暑くてぐっすり眠ることができていない。大雑把に言うと、眠りに入って30分ほど経つと暑さで目が覚める、喉も乾いている、枕元に用意してある飲物を飲む、汗が噴き出る、扇風機の傍に寄る。30分ほどグダグダして眠りに入る、するとまた30分ほどして目が覚める。同じことを何度か繰り返して朝になる。
     

 「今年は暑い」と書いたが、日記を読み返してみると、去年も暑かったみたいだ。それが確かかどうか沖縄気象台の過去の観測データで調べてみた。
 6月の旬ごと(上旬、中旬、下旬)の1日平均気温を2011年から見てみると、2011年から2014年まではそれぞれ大差ない。4年間の平均は上旬26.1、中旬27.6、下旬28.5となっている。2015年のそれは上旬27.5、中旬29.1、下旬29.5だ、確かに去年の6月は暑かった。そして、今年は上旬27.1、中旬28.3、下旬29.8となっていて、下旬は去年より0.3度高いが、上旬中旬は去年の方が高い。でも、私の体感では少し違う。
 夜暑苦しくてが眠れないということは、1日の最低気温が高いということ。ぐっすり眠れるほどの気温にまで下がっていないのだ。ということで、これも調べる。
 6月の旬ごとの平均最低気温、2011年から2014年までの平均は上旬22.9、中旬24.0、下旬25.6。2015年のそれは上旬24.4、中旬25.4、下旬26.8。西日の射す私の部屋はコンクリートの輻射熱でそれより3~4度は高くなる。それでも2011年から2014年までの気温なら私はぐっすり眠れている。去年の下旬だと厳しい。そして、今年のそれは、上旬25.1、中旬26.5、下旬27.6。ほら見ろ、去年よりさらに高い、私が眠れない訳である。7月上旬(6日まで)のデータもあった、27.7度。今月も私は眠れない。
     

 記:2016.7.8 島乃ガジ丸


自殺する自由

2016年07月01日 | 通信-社会・生活

 友人のK子は、今は週一のアルバイト的勤務だが、デイサービスの職員として以前は毎日お年寄りたちの相手をしていた。その頃、彼女が口にしていた言葉「ピンコロ」。
 「何だそれ、ピンキリの親戚か?」
 「はっさ、最近テレビでもよく話題になっているさぁ、知らないの?」
 「テレビは観ない、新聞も雑誌も読まない世捨て人だ俺は。」
 「バッカみたい。ピンコロはピンピンしていてコロッと死ぬってことよ。」
 「それって、つまり、寝たきりにはならないってことか。」
 「そう、施設のお年寄りたちには元気な人もいるけど、ほとんど寝たきりの人もいるのよ。そういう人達を見てるとさぁ、私はピンコロがいいなぁと思う訳よ。」

 そのK子、「私はいつも毒を持ち歩いて、いざとなったらそれを飲んでコロっと逝きたいなぁ。あんた、あんたの畑に毒草を栽培しておいてよ。いつか私が使うから。」とも言う。死ぬ時は自殺したいということだ。さすが男前(彼女はそんな性格)。
 自殺、私はそれをちっとも否定しない。自分の意思に関係なくある日突然生まれてきたのだ。「なんだなんだ!ここはどこだ?俺は誰だ?」と訳も分からずこの世に出て来て、少年になり青年になりオジサンになり爺さんになる。その長い人生で培ってきた知恵によって、いかに死ぬか、いつ死ぬかは自身で決めても良いような気がする。
 「毒草、薬事法に触れない物を探して、その内植えておくよ。」と答えた。実際に、まだ調べていないが、そういう植物があればそうしたいと思っている。

 自殺は悪いことと一般的には捉えられているようだが、「ホントに悪いことか?」と私はかねてから疑問を持っていた。「せっかく頂いた命を何で粗末に扱うのよ。」とある宗教の信者から聞いたこともあるが、それについても、「せっかく頂いた大事な命だ、それを自分が納得して自分で終止符を打つことは、けして命を粗末にするものではない。」となる。生きている間を十分楽しむことが命を大事にすることであり、「生きていることは不幸である」と思いながら生きることが命を粗末に扱うことだとも思う訳である。
 安楽死を広辞苑で調べてみた。「助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で人為的に死なせること」とのこと。尊厳死というのもあった。「一個の人格としての尊厳を保って死を迎える、あるいは迎えさせること」とのこと。尊厳死、良い考え方だと私は思う。尊厳死は法律的にも認めて良いものだと思う。

 バカなことを言って世間を賑わすことの多い元総理の現財務相がまたバカなことを言ったという噂を聞いて、ネットの新聞記事で確認した。以下、そこから抜粋。
 「17日、北海道小樽市での自民党支部大会の講演中、「90になって老後が心配とか、訳の分からないことを言っている人がテレビに出ていたけど、『おまえいつまで生きているつもりだ』と思いながら見ていました」と言ってのけたのだ。」とのこと。
 ピンコロには賛成する私だが、彼のその考えには賛成できない。死ぬのも自由だが生きるのも自由、90過ぎようが、その人が生きたいと思うのなら生かして欲しいと思う。もしかしたら、阿呆だろう財務相は90歳になったら自殺する覚悟かもしれない。
          
          
          
          
          

 記:2016.7.1 島乃ガジ丸


空手・未来のチャンピオン

2016年07月01日 | 沖縄02歴史文化・戦跡

 約1ヶ月前の6月4日土曜日、友人O夫妻の次男Kの結婚式があった。その披露宴に私も招かれ出席した。O夫妻は共に私の高校の同級生で、披露宴には他の同級生も呼ばれ、数日ぶりの1人、1ヶ月ぶりの4人、半年ぶりの2人、3~4年ぶりの2人、6~7年ぶりの1人、私を加え11人の同級生が1つのテーブルに集った。楽しかった。
 新郎の父Oが中心メンバーでもあったことから出席した同級生の多くは養老会(高校時代に発足し続いている飲み会、養老乃滝でよく飲んでいたからその名)のメンバーであった。40年以上の付き合いがある気の置けない面々だ。数年間ご無沙汰となっている養老会を復活しようという話も決まる。これからも付き合う仲間、楽しい集いだった。

 そうやって我々オジサンオバサンは勝手に自分たちの話で盛り上がっていたが、その日の主題、Kの結婚披露宴も賑やかであった。私の同級生たちが結婚ラッシュだった頃、その披露宴での余興には、おばさまたちが眉をしかめるような、今ならセクハラで訴えられかねない下品な余興もあったが、今時の余興は我々の頃よりずっと上品になっていた。新郎の友人達によるエイサーは上手で、新郎新婦を紹介するビデオも上出来であった。
     
 でも、その日最も私の目を引いた余興は友人O夫妻の孫Yの空手演舞、空手については素人の私だが、彼女の演舞はすごく上手であった。未来のチャンピオンだと思った。
 友人達とのユンタク(おしゃべり)が楽しくて、Y嬢の演舞をしかとは見ていない。私の席の正面の壁にスクリーンがあって、そこに映し出される映像が目の片隅にちらちら見えていた。そのちらちらが何回かあって「おっ!」と思って舞台の生の姿を見たが、それから数秒後に演舞は終わってしまった。したがって、写真も撮れなかった。
     

 空手については素人の私だが、「彼女の演舞はすごく上手」と評価した訳は、止まっている時の姿が安定していると感じたからだ。私が「おっ!」と思ったのもそれ。
 空手については素人の私なので、ちょっと調べてみた。『沖縄大百科事典』に記載がある。さすが沖縄伝統の空手だけあって説明文も小さな文字で4ページ半に及んでいる。
 空手の発生についてはいつ頃、誰が、どこでなど定説がないようである。中国拳法の影響があり、中国との交易時代に発生したであろうとのこと。現在、剛柔流、小林(しょうりん)流など流派はいくつもあるが、まとめて空手として世界的に発展している。
 私の母方の叔父が小林流の師範であり、父方の伯母の夫(故人)が少林寺流の開祖であった。私は武道にあまり関心が無いので、残念ながら、両方から空手に関する何の話も聞いていない。母方の叔父はまだ存命なので、今度話を聞きに行こうと思う。
     

 武道に関心の無い私であったが、テニスをやっていて膝を痛め、その回復のために若い頃の3年ほど太極拳を習っていた。武術の方ではなく演舞の方。師匠は美人の中国人、彼女は武術、演舞両方とも一流で、中国本国の大会で優勝歴もあるほど。師匠と弟子たちの間には言うまでもなく大きな開きがあった。美人師匠は見た目が美しいだけではなく、身体しなやかで、蹴り上げる脚は180度に開き、動きは素早く、時に緩やかに流れ、何よりも腰が安定していた。止まる時にはどんな形であれピタッと止まる。
 もちろん、Y嬢の演舞が美人師匠に匹敵すると言っているわけではない。ただ、まだ子供なのに姿勢が安定していることに感心した。安定した姿勢があるから素早い動きができるのではないかと、空手については素人の私だが思うのであった。Y嬢の安定した姿勢はおそらく、下半身の筋肉が強いからではないかと思う。何しろ彼女の母親も叔父さん2人も筋肉質、父親はバレーボールの選手だった。何より、Y嬢の祖父母(私の同級生のO夫妻)は恐るべき筋肉質肉体の持ち主、両者とも若い頃に空手を習っていた。
     

 記:2016.6.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次