高校時代は共にラグビー部で、高校卒業後は共にお笑い芸人を目指した2人が、数年後にコンビを組んで、そのコンビ名がタックルス・・・という話ではない。
昔、どのくらい昔か私の脳味噌は記憶していないのだが、沖縄を舞台に、アメリカ人の原告と沖縄人の被告という裁判の小説があった。著者は確か伊佐何某、これも私の脳味噌は正確に記憶していない。ただ、その裁判の中でウチナーグチの「クルス」がキーワードになっていたことを覚えている。クルス、私はそれまで「殺す」の沖縄語読みとばかり思っていたが、クルスは「殴る」という意味であることをその小説で知った。
タックルスはラグビー好き漫才コンビの名前ではなく、ウチナーグチの1つ。タッは、先週の記事タッピラカスでも書いてあるように「叩っくるす」の「叩っ」が詰まったものか、あるいは、ただ単に強調を表す接頭語ではないかと素人なりに考えている。
沖縄語辞典には動詞としてクルスンがあり、クルスはその活用形だと思われる。クルスンの第一義は「殺す。主として動物を殺すのにいう。」で、第二義は「打つ。殴る。」とある。その説明の中にソーグルシという言葉もあり「ほんとに殺すこと」という意とあった。人を殺すという意味ではソーグルシを使うのかもしれない。
私の感覚では、これまで多くの沖縄芝居を観てきた経験から言うと、人を殺すという意味ではシナスが使われるのではないかと思う。シナスは沖縄語辞典に無い。シヌンがあって「死ぬ」という意。シナスは「死ぬ状態にしてやる」ということだと思われる。
ちなみに。「死ヌン」は主に動物などが死んだ場合に対して使い、人の場合は「マースン」を使う。「ィエー(ねぇー)、スイ(首里)ぬジラータンメー(二郎爺様)やマーサンでぃやー。」、「ヰー(はい)、ヤシガ(だけど)、ナー(もう)百余トータンディ(百歳過ぎていたんだって)、ソーシチ(葬式)んグスージ(御祝い)ぬグトゥ(事)ヤタンディ(だったって)。」という風な会話となる。
私は争い事が嫌いで、これまでの長い人生で殴り合いのケンカをしたことは、小学校で1回、中学校で1回あるのみ。しかも、その2回とも冗談の喧嘩であった。
私は喧嘩を嫌う大人しい少年であったが、周りの友人達には気の荒い者も多くいて、彼らはたびたび本気で喧嘩していた。その際、殴り合いを始める前に、
「ヌー(何)!」
「ヌーが(何だ)!」
「スミ(やるか)!」
「死ナサリンドーヒャー!」
「クルサリンドーヒャー!」
などといった言葉が交わされ、掴み合いになったり殴り合いになったりする。
上記の「死ナサリン」、「クルサりン」は共に受動態で、能動体で言うとそれぞれ「死ナスン」、「クルスン」となり、ケンカではそう言う場合もある。もちろん、「タックルサリンドーヒャー!」も「タックルスンドーヒャー!」も使う。攻撃する意志がより強烈になる感じがする。「ウチ(打つ)クルスンドーヒャー!」も使う。これも強烈だ。ちなみに、シナスンの頭にタッやウチが付くことはない。語感が悪いからと思われる。
以上は、先週紹介した「タッピラカス」も含め、沖縄でケンカする際の常套句である。そういう機会に巡り逢えたらぜひ使っていただきたい。念のため付け加えておくが、私はけしてケンカを勧めているのではない。ケンカする際はそれらの言葉を使うと迫力が出ますよと言っているだけ。ちなみに、ケンカは逃げるが1番と思っている私なら、
「スミ!(やるか!)」
「墨、・・・筆を使って書道ですな。」
「タックルス!(たった殴(くる)す!)」
「タックルするように半紙に向かう訳ですな。」
「シナス!(殺す!)」
「しなやかにということですか?」
「ウチクルス!(打ち殺す!)」
「いえいえ、お宅まで伺うほどではないです。」
などと言ってみたい。「バカにしているのか!」と殴(く)るされるかもしれない。
記:2016.10.14 ガジ丸 →沖縄の生活目次
6月17日付ガジ丸通信『懐かしの漫画青春』でガロという漫画雑誌に触れたが、「ガロって今もあるのかなぁ」と思ってインターネットで調べた。ガロは残念ながら既に廃刊されたようだ。その後継雑誌はあるようだが、私は既に漫画への興味が薄れている。
インターネットでガロを調べている時、「ガロ系」という言葉を見つけた。ウィキペディアによるその説明は「漫画雑誌『月刊漫画ガロ』および1998年から青林工藝舎によって刊行されている漫画雑誌『アックス』などに掲載された特殊な漫画作品、ないし、その作家である個性派の特殊漫画家、またその作風を指す特殊な表現」とのこと。
ガロの好きだった私は、「そうか、俺は個性派が好きなんだ」と簡単に片付けてもいいのだが、何故、私は個性派が好きなのかをちょっと考えてみた。
自分の感性、思想を絵や文章で表現し、表現したものを世に出し他人の評価を得るということをガロに投稿する作家たちはやっている。私が考えるに、おそらく彼らの優先順位は第一に「表現すること」、次に「世に出すこと」、最後に「他人の評価を得る」ことではないかと思う。売れる漫画を描くのではなく描きたい漫画を描くということ。「俺の漫画が一般受けする訳が無い、だからガロに投稿しよう」という人もいただろう。
私は漫画に精通しているわけではないので、上の考えが正しいかどうかについては自信が無い、私がそう思っているというだけである。同じ考えで、私は美術に精通しているわけではないが、私の好きな画家、熊谷守一も私が思うに、彼の優先順位の第一は「表現すること」であって、売れる絵を描くのではなく描きたい絵を描いたのだと思う。
私はまた、音楽に精通しているわけでもない。私の流行歌はキャンディーズ、ピンクレディー、吉田拓郎、井上陽水あたりで止まっている。その後私の音楽趣味は高田渡、友部正人、いとうたかお辺りへ向かい、オジサンと呼ばれる年齢になってからはクラシック、ジャズ、沖縄民謡となり、洋楽も和楽もポップスはほとんど聴いていない。
そんな私がまたも大胆なことを言うと、流行歌(ポップス)のほとんどは建前の歌ではないかと思っている。「他人の評価を得る=売れる」を第一の目的にしたもの。私の評価ではそんな歌はつまらない。私が聴いて面白いと思うのは本音を語った歌となる。
若い頃好きだった女性がいる。彼女とは恋人付き合いではなかったが、何度かデートをしており、これまでの私の人生で手紙葉書のやり取りが最も多い人だ。彼女とは高校生の頃からの付き合い。何故手を出さなかったんだというと、今考えるとバカみたいなことなんだが、彼女が「私、さだまさしの歌が好き」と言ったことも理由の1つ。
「えっ、何であんな変なの?感性が俺とは離れている」とバカな男は思ったのである。私は、ファンの方には申し訳ないが、少年から青年の頃の私は、彼の歌は気持ち悪いと感じていた。ゴキブリが好きという男とは付き合えないというのと一緒、かな?違う?
何はともあれ、今考えるとそれは全くたいしたことでは無い。音楽の好みのほんの1つに過ぎない。しかも、好みは年を経て変わることもある。その人の感性の本質を表すものでは無い。・・・と今では判断できるのだが、少年はバカだったのである。
彼女と2人、A先輩から高田渡、友部正人の存在を教えて貰い、そのレコードを借りダビングしてくれたのは彼女だった。私の本音を言うと「後悔している」となる。
記:2016.10.14 島乃ガジ丸
タッピラカス、古代ギリシャの哲学者の名前ではない。タッピラカスは沖縄語で、和語にすると「叩き潰す」といったような意味。タッピラカスそのものは沖縄語辞典に無く、フィラカスで「押しつぶす、ぺちゃんこにする」で、タッは、これも沖縄語辞典には無いが、クルスンという言葉の説明の中に「タタックルスン」があった。
タタックルスンの意味は書かれていないが、沖縄語の専門家では無い私が想像するに、タタックルスンは「叩く」の意のタタチュンとクルスン(殴る)の合成語で、「叩いて殴る」という意になる。タタッが詰まってタックルス、タッピラカスも同じように、元はタタッピラカスで「叩いてぺちゃんこにする」となる。和語でも「たたっ殺すぞ」という言い方があるようなもの。あるいは、ただ単に強調を示す接頭語なのかもしれない。
タッピラカスは喧嘩をする時、
「シナスンドー(殺すぞ)」
「タックルスンドー(殴るぞ)」などと同様に、
「タッピラカスンドー(ぺちゃんこにしてやるぞ)」と使われる。
喧嘩の場面ではなくてもタッピラカスは使われる。ボーリングをしている際、手を滑らせてボールを自らの足の上に落とした時には、
「アガーッ(痛い)!ヒサ(足)タッピラカチャン」などと言う。
猛烈台風18号が先週月曜日には沖縄島を襲うと聞いて、その前日の日曜日の午後は畑の台風対策に追われた。2ヶ所あるネットハウスなどのネットを畳み、2ヶ所あるテントを畳み、物置と畑小屋に補強材を打ち付け、頭でっかちのバナナが倒れないようその葉を落とし、風に飛ばされそうなものは小屋や物置の中に片付けた。
台風は当初の予想より速度が遅く、月曜日の予報では夕方に沖縄島が暴風圏に入るとなっていた。そして、悪いことに猛烈台風は前日よりさらに発達していた。最大風速60メートルと言う。そんなのがまともに来たら畑小屋が倒れるかもしれない。小屋より軽い物置は飛ばされるかもしれない。で、その朝、小屋と物置のさらなる補強へ出掛けた。
ネットハウスの骨組みである鉄パイプをロープで縛り、小屋と物置のそれぞれを固定しているワイヤーを締め直し、小屋と物置を繋ぐようにして木材を打ち付け、鉄パイプを物置に接するように地面に打ち付け、その鉄パイプに物置を固定した。
タッピラカス、喧嘩や争いごとの嫌いな私は滅多に口にする言葉ではないのだが、月曜日の朝、台風対策をしている最中にその言葉が出てきた。
鉄パイプを地面に打ち込む時、金槌を使う。何度も何度も金槌をパイプの頭に向かって振り下ろす。金槌を直接パイプの頭に打ち付けると、その衝撃でパイプの頭が少々変形してしまうので、パイプの頭に厚めの板を置いて、その板を叩く。板の端を左手で掴み、右手で金槌を振る。振り下ろすこと20数回目の一撃が、板を掴んでいる左手の親指に手加減無い早さのまま当った。ここ3週間ほど続いている激しい歯痛(先週のお話『ろうかの足音』に詳細あり)を超える痛さ。で、タッピラカスという言葉が頭に浮かんだ。
タッピラカスは酷く負けた時、痛めつけられた時などにも使う。パチンコやパチスロで有り金全て失うほど負けた時に「タッピラカされたぜ」と使うことができる。台風で畑の作物が酷くやられた時には、「台風にタッピラカされたなぁ」と農夫は溜息をつく。
地球温暖化のせいか知らないが、史上最強の最大瞬間風速80mとなった台風18号、しかし、奴は沖縄島を直撃せず、タッピラカされる覚悟の農夫は胸を撫で下ろした。
記:2016.10.9 ガジ丸 →沖縄の生活目次
先週の続き。「密かに散骨」は困難であることが解って、後の人に散骨を頼むことは諦めて、さて、私の死後の始末はどうするか、後の人(具体的には甥や従妹たち)の負担にならない、あまり迷惑にならないための死後の始末をどうするかという話。
「小舟に1人乗って、沖へ出てそのまま帰ってこない」というのは友人Oの提案。それを検証したが、それには先ず、自分の死に時を悟っていなければ「いつ小舟に乗る?」の判断がつかない。死にそうなほど身体が弱って「俺もそろそろ終わりか」と悟ったとしても、死にそうなほど身体が弱っていたならば小舟を漕ぐ力も無いであろう。認知症になったら小舟のことは忘れているし、突然死の場合もできないこと。それに、海で行方不明となれば捜索願が出たりして何かと迷惑になる。ということでOの提案は却下。
他に何か良い案はないかと考えた。その1つ、墓穴掘り案。
腕立て伏せは10回がやっと、というまで体力が衰えた時、畑に直径1メートル、深さ3メートルほどの竪穴を掘り、腕立て伏せは1回がやっと、というまで体力が衰えた時、その穴の中に落ちる。「腕立て伏せは1回がやっと」の上、落ちた衝撃で足腰を痛め、もはや這い上がることはできない。そこで瞑想などしながら静かに息を引き取る。
数週間後、電話しても取らない、メールしても返信がないのを不審に思って従妹が畑を訪ねる。畑に私の姿は見当たらない。「変だなぁ、車はあるのになぁ」と思いつつ畑小屋まで来てみると、小屋の近くに大きな穴が開いている。中を覗くと、座禅を組んだ格好で骸骨になりかけている私がいる。私の意思は予め周囲に伝えているので彼女は慌てない。冷静に対応し、冷静に警察に電話する。遺言書に「墓穴(ぼけつ)を掘って死にます」と書いておくので警察でも特に問題視しない。その後は淡々と処理される。
この案を検証してみた。「腕立て伏せは1回がやっと」となったら死期が近いか?について疑問。穴に落ちて後、そこで餓死するまでの1~2週間は生きているかもしれない。生きていたら糞をする。狭い穴の中が糞尿まみれとなる。自分の糞とはいえ臭いに違いない。そんな中で瞑想は難しい。そんな中で1~2週間過ごすのは嫌、よって却下。
他にも、火山の噴火口に飛び込んで跡形も無くなる案、見渡す限り砂漠の真ん中で干からびていく案など考えたが、山に登るだけの元気や、砂漠(沖縄には無い)のある国まで行く元気があれば、死期はまだまだ先だと思われるので、これらも却下。
良い方法が思い付かないまま先日、金曜日の職場へ行き、ガジ丸ブログのアップ作業など終えて、そこの事務員と死後の始末についてユンタク(おしゃべり)した。すると、彼女から良い話が聞かれた。彼女の友人(女性)が結婚していなくて、後継ぎがいないため親の遺骨と位牌の処分をどうするかでいろいろ調べたらしい。彼女によると、
葬儀から墓地管理までしている総合葬祭会社が、遺骨の永代供養をしてくれる、その料金はたったの5万円、49日が済んだら大きな墓に多くの人と同じ場所に合同埋葬するらしい。その際、一年忌から最後の三十三年忌までの年忌供養を一括に行うので、合同埋葬が済んだ後は、残された人達は何もしなくていいとのこと。死んだ者はこの世からすっかりさっぱり忘れ去られるのである。もう1つ、その会社は散骨もやってくれるとのこと。それは「密かに散骨」ではなく「公に散骨」で合法らしい。良いことを聞いた。
記:2016.10.7 島乃ガジ丸
19年間住んでいた首里石嶺のアパートは2階建てで、2世帯ずつの計4世帯という小さなアパート。私の部屋は階段を上った2階の奥で、手前の部屋には、私が越してきた時には若夫婦が住んでおり、その後、2人の娘(中学生と小学生)連れの女性3人家族が長く住んでいて、彼らが去った後は女子大生が数年、その後も女子大生が住んでいた。
最後の女子大生(たぶんその時既に卒業していた)は音大生で、丸い眼鏡をかけたメイドカフェにいそうな可愛い娘であった。私がそのアパートを去る1年半ほど前に彼女は去っていて、その1年半の間、アパートの2階には私しかいなかった。
部屋の入口側に台所の窓とトイレの窓があり、普段台所の窓は数センチ、トイレの窓は開けっ放しにしている。なので、部屋の中にいても階段を上る足音、廊下を歩く足音がそこから聞こえる。丸い眼鏡の可愛い娘が隣に住んでいる頃、彼女は概ねスニーカーで、その足音はそうであるとだいたい判断できたので、階段から上がってくるその足音がいつか私の部屋の前までやってくるのをオジサンは密かに期待していた。ドアをノックする音が聞こえる。ドアを開けると彼女が立っている。「私を抱いて下さい」と彼女が言う。そんな妄想をオジサンは描いていた。「バッカみたい」な妄想であると自覚しております。
現実には、階段から上がってくる足音が私の部屋の前までやってくるのは郵便配達人、NHKの集金人、新聞の勧誘員くらいだ。そういった人達の足音は重い、彼女とは違うので、まったく期待はしない。ドアを開け、事務的処理をするのみである。
彼女が出て行ってからの1年半の間に、階段から上がってくる軽い足音が私の部屋の前で止まったことが1度ある。彼女が出て行って間もなくのことだ。「あなたのことが忘れられません」と彼女が言うのではないかと呑気なオジサンは妄想したが、ノックの音は聞こえなかった。彼女が出て行ったのは2010年4月、私の父が死んだのは同年5月、私の部屋の前で止まった足音は彼女では無く、あの世の使いだったかもしれない。
さて、表題の「ろうかの足音」の「ろうか」、以上長々と書いたどうでもいい「廊下」のことでは無い。「roukanoasioto」と入力して、「廊下の足音」を想像し、以上のどうでもいい話を思い付いただけ。ここで言う「ろうか」は老化のこと。
私は、歯は丈夫な方で私に金歯銀歯は1本も無い。20年ほど前に虫歯が1本、右下奥歯にできて、金でも銀でもない何かを詰めて貰う治療を2度(2度目は7~8年前)やっているが、それ以降虫歯の治療はやっていない。
虫歯は無いが、2年ほど前から熱いもの冷たいものを食べると左下奥歯が少し、右下奥歯が激しく沁みて痛かったので去年の2月、歯医者へ行ったら歯周病と診断された。「定期的治療」を歯医者に勧められたが、「年相応、歯が弱るのはしょうがないこと、去る者追わずだ、抜ける者も追わずだ。」と私は思い、その後歯医者へ行っていない。
小康状態だった右下奥歯の痛みが2ヶ月程前からぶり返した。1ヶ月程前からは口に何も入れなくても痛みを感じるようになった。あまりの痛さで目が覚める日もあった。「この痛さは虫歯か?詰め物が取れたか?」と思って、9月30日、鏡の前で口を開け右下奥歯を見てみた。虫歯である一番奥の歯が小さくなっていたが、詰め物は取れていないようであった。指を入れて触ってみた。「おっ!」と驚いた。歯がグラグラしたのだ。
他の歯も調べると、右下奥歯の2本と左下奥歯の1本がグラグラした。特に、虫歯でもある右下一番奥の歯は、指で摘まんでグラグラさせて引っ張ればそのまま抜けるのではないかと思われるほど動いた。グラグラさせるだけでも痛いのに、抜いたら激しく痛いだろうなと思い、引っ張るのは止めて、少し浮いていた歯を押しこんだ。
「そうか、こうやって歯が1本1本抜けていくんだな、そして、やがて入れ歯になるんだな、これが老化ということなんだな」と納得する。歯(正確には歯の根元の歯茎辺り)の痛み、歯がグラグラする、歯が抜けていくなどは老化の足音であると判断した。
歯をグラグラさせたのは拙かったようで、その後ずっと右下奥歯辺りに違和感が残り、四六時中痛みを感じる。何もしなければ激しい痛みではないが、食べ物を右下奥歯で噛むと激しく痛い。冷たいもの熱いものも右下奥歯へは送れない。何もしなくても鈍痛はずっとある。グーで軽く連打されているような痛み。鬱陶しいことこの上ない。
歯医者へ行かないのには「老化ならばしょうがない」という理由だからではない。痛みが鬱陶しいので少なくともその痛みを緩和するような治療はしたいと思っている。今住んでいるアパートのすぐ近くに歯医者はあるが、鬱陶しい痛みを我慢し続けている。
何故我慢しているかと言うと、歯が抜けたら入れ歯になる、抜けるのにも入れ歯を作るのにも時間がかかるはず。歯医者とは長い付き合いになるはず。であれば、次の住まいとなるアパートへ越してから、そこから近くの歯医者へ行こうと思っているから。しかし、新居となるアパートはまだ見つかっていない。我慢はもうしばらく続くかも。
実は、歯が痛みだしたのは2ヶ月ほど前からだが、1ヶ月ほど前に血圧を計ってみたらとても高くなっていた。それ以降ほぼ毎日のように計っているが、160超えが普通、170を超える日もあった。脈拍数も70近い数値、「歯痛は痛いだけでなく、身体全体の健康にも関わるんだ」と認識する。高血圧が原因で脳梗塞とか心筋梗塞で倒れる。高血圧の原因は歯痛である。「奴は歯痛が元で死んだ」と言われるかもしれない。
うーん、そう言われるのはちょっと情けない気もする。すぐにでも近くの歯医者へ行こうかと思ってしまう。でも引っ越ししたい。どうしようかと今悩んでいるところ。
記:2016.10.4 ガジ丸 →ガジ丸の生活目次