唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
桜と桃を追いかけて(その4)
つまり、こういうことなのである。記憶に残っている風景は、それが好ましいと思った風景であったとするならば、好ましいもの、つまり、見渡す限り咲き誇る桃の花だけが記憶に残され、好ましくないもの、つまり、桃源郷の中に立つ「桃源郷」という看板や、県道を行き交うトラック、頭の上を這う電線は記憶されないのである。記憶という作用の中で、好ましいものと好ましくないものが無意識の内に取捨選択されているからである。
しかし、電気的にあるいは化学的に記録される映像においては、無意識の内に取捨選択されることなど勿論有り得ず、無粋な看板もトラックも電線もしっかりと記録されるのである。これが人の記憶の中に残る風景と、写真として電気的にあるいは化学的に残る記録との違いなのである。こうして考えると、絵画は「記憶」そのものであることに気づくだろう。自己にとって都合の悪いもの、好ましくないものはなかった事に出来る。看板やトラックは描かなければ良いのだから。
更に考えると、デジタルカメラによって撮影された写真は、記憶あるいは絵画に似ているということにも気づくだろ。つまり、デジタルカメラによって撮影された桃の花をPhotoshopを使って実際以上に鮮やかに色にすることも出来るし、不必要なもの、つまり看板やトラックや電線を消し去ることも出来るからである。ということは、デジタルカメラとPhotoshopを使うことで、写真家(写真愛好家)は、写真家であるだけではなく、画家にもなることが出来るということか?
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散々講釈を垂れたあとは、その割には全然たいしたことのない一枚。素晴らしいのは、昨日に続いて300mm(相当)F2.8開放のボケ味だけ。トホホ。(山梨県笛吹市一宮町にて)
桜と桃を追いかけて(その3)
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だから、どうしてもミクロ的な写真になってしまうという言い訳のあとの今日の一枚は、「桃下蒲公英之図」。(山梨県笛吹市一宮町にて)
桜と桃を追いかけて(その2)
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今日の一枚は、その釈迦堂PA(下)上方にある桃畑で撮影したもの。PA寄りのところには人も多かったのですが、山を登っていくとどんどん人が少なくなっていきます。それにしても写真撮影目的の方が多かったですね。もっとも郷秋<Gauche>もその中の一人でしたが(^^;。(山梨県笛吹市一宮町にて)
桜と桃を追いかけて
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今日の一枚は、南アルプス連峰をバックにした桜。花は七分咲きと、撮影には絶好のコンディションでした。(山梨県北杜市長坂町にて)
レンズ交換の手間を惜しむな
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これは郷秋<Gauche>常用のVR18-200で撮ったもの。被写界深度を出来る限り浅くするために絞りは開放だけれど、F5.6。当然だけれどレンズの設計限度。10倍を超える高倍率レンズでありながらF5.6なんだから、これ以上を望むべくもない。されどF5.6。
開放値F2.8のレンズを持っていたのにレンズを付け替えることをしなかったから、当然バックのボケ不足。その付けは、手前の主題が引き立たないという結果となって現れる。いづれにしても決して上等な写真ではないけれど、バックがもう少しボケて主題が浮き上がれば、少しは見られる写真にはなったはず。
レンズ交換をしなかったわけは、やはりカメラボディ内への埃・ゴミの侵入を恐れたことだが、交換が面倒でなかったかと聞かれれば、即座に「否」とは答えられない自分がいることも確か。「同じ200mmなんだから、このレンズのままでいいじゃん」と。
見栄を張って手に入れたわけではない。200mm、F2.8のボケ味のために手に入れたレンズだ。使わない手はない。D300にはゴミ取り装置も付いている。少々の埃は恐れるに足らぬはず。「目指す表現のためには手間を惜しむな」と、自分に言い聞かせておく。
進むスバルのトヨタ子会社化
同時に、スバルとしては、軽自動車の製造から撤退することを発表。販売は継続するが、それは同じくトヨタの系列子会社であるダイハツからOEM供給を受けるものなのなのだという。つまり、スバル製の軽自動車は姿を消してしまうということだ。これはどう考えても「×」だな。
確かに、トヨタとしては2つの子会社にそれぞれ軽自動車を生産させるよりも一社に集中させた方が効率が良いと判断したのだろう。ましてや、年内に軽自動車よりも(全長が)小さい「iQ」を発売するトヨタとしてはグループ内の軽自動車比率を下げておきたいという思惑もあるんだろうな。
だけどだ、ホンダがN360で殴り込みを掛けるまで、「スバル360」で軽自動車の世界に君臨したスバルが、軽自動車の基礎を築き、日本にマイカー時代の到来を告げ、確固たる軽自動車マーケット確立に貢献してきたスバルが軽自動車から撤退するってのは、日本の自動車文化的にはどうなんだろう。
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桃と言えば、今週土曜日に山梨に桃と桜の写真を撮りに行くことになりましたので、乞う御期待。って、予告しちゃったけれど、お見せできるような写真が撮れなかったときには、この話はなかったことにしてね(^^)。
昨日の風雨がもたらした被害
昨日帰宅してみると、2本のゴールドクレストが南側の道路に倒れかかっていてびっくり。道路側に倒れたりしないようにと棕櫚縄で庭側に引っ張っていたのでしたが、昨日の強風でその縄が切れて倒れてしまったようです。道路を歩いていた人やクルマにぶつからなかったらしいのが、不幸中の幸い。
何とか引き起こせないものかと思い、雨の中で押したり引いたりしてみたのですが、ゴールドクレストと言えども4メートル近くになるとさすがにびくりともせず、止む無く根元から切り倒すことにしました。せっかく大きくなったものを切り倒すのは何とも残念で悲しくもありましたが、庭から道路側にかなり張り出してしまっていたり、すぐ隣なりの楠の木の枝にも干渉していたりで以前から気になっていたので、潮時であったのかも知れません。
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TBSが「会津若松城開城問題」の謝罪・訂正を放送
本年2月16日にTBS系で放送された「歴史王グランプリ2008まさか!の日本史雑学クイズ100連発」において、戊辰戦争時の若松城開城(1868年)理由が出題され、「糞尿(ふんにょう)が城内にたまり、その不衛生さから」が正解とされた問題で、会津若松市は、「開城は、援軍の望みが絶たれたことや傷病兵の増加など様々な要因が重なったもの」とし、正解を「糞尿問題」としたことが「会津人の心情を踏みにじる」として謝罪を求める抗議文をTBS側に送付していた。
これに対してTBS側は、番組の担当プロデューサーらに会津若松市役所を訪問させ、「会津若松市の方々の心情に対する配慮を欠いていた」とするおわびの文書を市側に提出していたが市側はこれだけでは納得せず、菅家市長は「(不衛生な)状況はあったとしても、主たる開城理由とするのは事実と違う。バラエティー番組とは言え、しかるべき対応で責任を果たすべきだ」と指摘。「史実を歪めたことへの謝罪はなく、これで終わりにはできない」とし、改めて謝罪、訂正放送を求めていたが、これに対するTBS側の謝罪、訂正が、4月8日午後0時57分からの1分弱で放送される事が、市側より発表された(当初予定より4分繰り下がり)。
140年も前のこと、しかもバラエティー番組中でのことに、会津人は何故ここまでこだわるのか、不思議に思われる方も多いだろうが、考えても見て欲しい。140年も前の事というが、140年前とは今の年寄りの曽祖父の時代のこと。今を生きる世代も、祖父が若いときに年寄りに聞いた話として、戊辰戦争における屈辱と、その後、斗南藩として再興が許されてからの言い尽くせぬ苦労を聞かされているのである。信じられないという人は、是非、会津の街を訪ねてみて欲しい。いまだに戊辰戦争の時の立ち回の刃で削り取られた柱が、鉄砲の弾がめり込んだままになった建物が残されているのだ。会津の人々にとって、戊辰戦争は過去の出来事ではないのである。
ここで重要なことは、「戊辰戦争における『屈辱』」である。何故、会津人にとって戊辰戦争が「屈辱」であったのか。戊辰戦争勃発時、会津藩主松平容保(かたもり)は京都守護職として、時の天皇を守る役目を負うていた。自分は、つまり会津藩は朝廷、天皇を守る側であり、錦の御旗はまさに我が手にあったわけであるが、薩長との戦が続く中で、会津藩がいつしか「朝敵」と呼ばれ、討つべき対象とされるに至ったのである。
誇り高い会津人は、正義が我が方にあったにも関らず、薩長(官軍)により「朝敵」の汚名を着せられたまま140年が経過していることに対しいて、取り分け会津城下に攻め入った長州藩に対して、いまだに許しがたい気持ちを抱いているのである。極、極々簡単に書けば、これが会津人にとっての「屈辱」である。だから、140年前のこと、たかがバラエティー番組でのこととしても看過するわけにはいかないのである。会津の地においてはいまだに戦は終わっていない。会津人こそ、今を生きる侍なのである。
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例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森唯一の水系、奈良川を流れ行く桜の花片と遊ぶ鯉。
マッサの実力
だがしかし、前戦はと言えば、フェラーリ1-2確実と見られたレースを自らの凡ミスで棒に振っている。更に1年前のマレーシアGPでは、追い詰められたハミルトンがではなく、追い詰めたはずのマッサがコースアウト。郷秋<Gauche>は「マッサはチャンピョンの器ではない」と断じた。
いまでは現役時代を知るファンも少なくなりつつあるアラン・プロストだが、彼はトップを走れないレース、マシントラブルなどで出遅れたレースでも、気が付けばしっかり表彰台に上がっていた。上がれなくてもシーズン最後に効いて来る数ポイントを拾っていた。
過去2回、数ポイントに泣いたライッコネンは、昨年、1ポイントで笑った。現役ドライバーの中で1ポイントの重みを最も良く知っているドライバーである。そのライッコネンは、バーレーンGPでは無理をせず2位に甘んじるレースを展開した。
さて、マッサだ。マッサは確かに速い。気分が乗っている時には。しかし、時に速いドライバーはいくらでもいる。だからマッサの代わりはいくらでもいる。時々速いドライバーから強いドライバーになれるかどうかが、来年もフェラーリのドライバーでいられるか否かを決めることになるんだろうな。
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カタクリの花
二輪草の方は翌年から今の時期に顔を出してその可憐な姿を見せてくれているが、カタクリの方は毎年葉っぱだけが出てまたすぐに隠れてしまっていた。ようやく4年目にしての開花である。確か4つ程の球根を植えたはずだが、上手く根付いたのはそのうちの二つだけ。
写真は昨日開花しているのを見つけたもので、もう一株まもなく花が咲きそうなものがある。カタクリと聞けば、雑木林の林床で群生している姿を思い浮かべるが、我が家のカタクリはたったの二輪だ。10年後には群生しているだろうか・・・。
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クビサがポール・ポジション獲得
金曜日から好調で上位グリッド獲得の期待のかかったウィリアムズだが、ロズベルクが8番手に入ったものの、一貴のQ3進出はならず16番手に沈む。トゥルーリが前戦からの好調を維持し7番手、バトンは今期初めてQ3に進出し9番手を確保。アロンソは意地で10番手をもぎ取る。
Q3開始直後には、トップ4にハイドフェルドを筆頭に、ロズベルク、トゥルーリ、バトンが来るなど、波乱が予想された中で見事P.P.を獲得したクビサの決勝レースに注目だが、勿論手をこまねいているわけには行かない4番手スタートのライッコネンの走りと戦略にも注目したい。
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バーレーンGP開幕
初戦で好調振りをアピールしながらマレーシアでは良いところ無しだったウィリアムズが、ここバーレーンではフリー1で3-6位、フリー2でも6-7位(いずれもニコ-一貴)とトップ3に次ぐ位置に来ている。ここでの好調はもちろん良いニュースだが、マレーシアでの不調の原因の解明と対策がきちんとなされているのかどうかが心配ではある。
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ボケ味
「ニッコール千夜一夜物語第30夜」~大口径中望遠レンズ~「Ai Nikkor 135mm F2」によれば、「レンズでつくられる背景のボケの大きさは、被写体と背景との距離やレンズの収差に依存するため一概には言えないが、おおざっぱにはレンズの有効径に比例する」らしい。そして「レンズの有効径は、F値の定義から、(有効径)=(焦点距離)÷(F値)」によって導かれるという。
上記の式に従えば、50mm F1.4のレンズの有効径は35.7、85mm F1.8のレンズの有効径は47.2となる。簡単に言えば、F値の小さい、明るいレンズほど有効径が大きく、つまりは大きなボケが得られるということだ。
レンズの焦点距離が長ければ大きなボケが得られと言うのは写真愛好家の常識だ。前述の式から導かれる135mm F3.5のレンズの有効径は38.5となるが、50mm F1.4のレンズの有効径は35.7であるから、所謂標準レンズであってもF値の小さいレンズであれば、暗めの望遠レンズと同等のボケが得られるということになる訳である。
そこで、本日の一枚。
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今の季節、畑の隅と言わず、道端と言わず随所で見かける紫花菜(むらさきはなな)であるが、紫花菜の前後のボケを作っているのは、最近手に入れた有効径71.4という大口径の望遠レンズである。実は3月31日に掲載した写真も同じレンズで撮影したものであるが、写真のそのものの良、不良は別にして、実に大したボケ具合である。
これのレンズを使いこなすためには相当のセンスと訓練が必要になりそうだが、その前に立ちはだかったのは、まずは郷秋<Gauche>の腕の筋力の問題。実はこのレンズ、郷秋<Gauche>愛用のD300(マルチバッテリーパック付き)に装着すると総重量3kgとう重量級。早速筋力トレーニングを始めたのは言うまでもないが、なんとも「トホホ」な話である。
満開
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トヨタ2000GT復活!
4175×1600という、現代の標準からすると恐ろしいほど小柄であったオリジナル2000GTと比べるとふた周り以上大きなボディサイズとなるようだが、現代の安全基準をクリアし、更に十分異常の運動性能を持たせるためのV6エンジン(レクサスIS用のGR-FSE型 2.5L V6 215ps、3GR-FSE型 3.0L V6が想定される。残念ながらIS-F用のV8はそのエンジンベイには収まらない)搭載のためにはボディの拡大も止むを得ないことだろう。結果としては、最大のライバルとなるであろうアルファ・ロメオ8Cコンペティツィオーネのそれに近いものとなる事が予想される。
オリジナル2000GTの最大の特徴といっても良い、ロータス・エランを模した鋼板製のX型バックボーンは採用されず、ボディーはカーボンファイバー、チタン、アルミ、更にはそれの複合材など最先端の技術を用いかつ高価な素材を適所にふんだんに投入したモノコックになる。スタイルはオリジナルの流麗さを忠実に再現しながら、その中に現代水準以上の空力特性を持たせるという二律背反を実現する、高度なデザインがなされているという。
AWDの計画はなくもっぱら後輪を駆動することになるが、トヨタ関係筋の情報によれば、エンジン、ステアリング、ブレーキ、サスペンションを高度かつ総合的に制御する電子デバイスにより、駆動力が常に最適化されることからAWDの必要はないというのがトヨタに結論であるらしい。トランスミッションはパドルシフトも可能な7速セミATをデフと共にリアアクスルに配するトランスアクスル方式で、サスペンションは四輪バブルウイッシュボーンと、8Cコンペティツィオーネに酷似する。
こうして数少ない情報を繋ぎ合わせ、更に最高レベルの想像力を動員すると、おぼろげながらニュー2000GTの姿が見えてくる。その姿は、紛れもない2000GTであると同時に、一足先に登場したアルファ・ロメオ8Cコンペティツィオーネのライバルとして相応しいもののように思えてならない。否、自動車の世界の巨人、トヨタが作る以上、8Cコンペティツィオーネ以上のものであることは間違いないだろ。
現実的な問題としてのニュー2000GTの価格であるが、前出の関係筋からの情報によれば、ライバルとなるであろう8Cよりは安い、2000万円以下を想定しているという。となると、911GT3あたりとの競合も考えられるが、2000GTはあくまでもGTであり、サーキットを主たる生息地とする911GT3とは趣が異なるということになるだろう。
なお、ニュー2000GTは、500台限定のアルファ・ロメオ8Cコンペティツィオーネとは違いカタログモデルとして登場する。つまり、2000万円さえ用意する事が出来れば、誰でもいつでもニュー2000GTを手に入れることが出来るということである。つまり郷秋<Gauche>でも買う事が出来るということだが、残念ながら郷秋<Gauche>に2000万円を用意するだけの財力はない。ニュー2000GTと共に、ニュー・トヨタ800の開発も同時に進めてもらえればありがたいところである。
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