玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『別荘』(2)

2015年11月18日 | ゴシック論

ホセ・ドノソ『別荘』(2)

④もうひとつは、ドノソがヨーロッパで暮らしていた1973年に起きた、故国チリでのピノチェト将軍によるクーデターに衝撃を受けて『別荘』が書かれたという事情に関わっている。
 ほとんど政治に関心など持たなかったホセ・ドノソが書いた、唯一政治性に彩られた作品と言えるのであり、彼がそこにどのような思想を盛り込んだのか、ということが問題とされなければならない。
『別荘』全編を権力闘争の歴史として読むことも可能なのであり、だとすればそこで子供達が演ずる役割は何か? ということもテーマとなるだろう。
 なぜ『別荘』に出てくる子供達が、ひとり残らず大人のような口の利き方をするのか、ということもこの問題と関係しているのだろうか。

⑤『別荘』の槍の柵の外に広がる荒野には、原住民が暮らしていて、彼らはベントゥーラ一族によって「人食いの習慣を捨てられない野蛮な人種」と呼ばれている。冒頭の原住民による豚を生贄にする儀式の場面が、人肉食のテーマを起動させ、全編を貫きながら最後の場面につながっていく。
 人肉食のテーマはドノソにとって何だったのか? ということも探究されなければならないし、至るところにこのテーマが隠されているので、見逃すことなく見ていかなければならない。

⑥『別荘』は第一部「出発」と第二部「帰還」とに分かれ、それぞれ七つの章で構成されている。第一部なら「ハイキング」「原住民」「槍」「侯爵夫人」「金箔」「逃亡」「ティオ」という章名がついているが、それらが必ず象徴性を負っているのだということをドノソは言っている。
 だとすれば、これらの章名は何を象徴しているのか、特に最後の第十四章「綿毛」が象徴するものは何か? という問題は重要である。荒野を覆い尽くすグラミネア(訳者の寺尾によれば、これは種名ではなく、穂を持った植物の総称であるという)が一斉に放ち、人間をも窒息させる威力を持った「綿毛」の象徴するものについて考えることは、『別荘』全編を覆い尽くすグラミネアが象徴するものについて考えることでもあるだろう。

⑦『別荘』では子供達が行う「侯爵夫人は五時に出発した」という、いわゆる"ごっこ遊び"の場面が繰り返し、繰り返し出てくる。「侯爵夫人は五時に出発した」という文言は、ポール・ヴァレリーが言った言葉としてアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』(第一宣言)に出てくるものである。ポール・ヴァレリーはそのような文章を書く気はないと言っているのだが、つまりは「侯爵夫人は五時に出発した」というような型にはまったリアリズム的な文章への否定を意味している(「侯爵夫人は五時に外出した」の方が正しい訳文と思うが、寺尾訳では"出発"となっているので)。
 ドノソがいかに伝統的なリアリズムを嫌ったかということは、彼が書いた『ラテン・アメリカ文学のブーム』を読めばよく分かるが、「侯爵夫人は五時に出発した」というような文章はドノソにとって最も唾棄すべきものであった。ドノソのそうした考えと、子供達に「侯爵夫人は五時に出発した」ごっこを繰り返しやらせていることの関連はどこにあるのかということも考えなければならない。
(まだ次回につづく)

ホセ・ドノソ『ラテン・アメリカ文学のブーム』(1983、東海大学出版会)内田吉彦訳