玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ホセ・ドノソ『別荘』(11)

2015年11月28日 | ゴシック論

⑤―3
 人肉食のテーマは即物的な意味から象徴的な意味へと変貌していくと書いた。人食い人種と人肉食のテーマはさまざまに変奏され、さまざまな像を結んでいく。
 第5章「金箔」で、一族の財産を一手に握るベントゥーラ家の長男エルモヘネスは、倉庫の中に傷物の金箔の包みを見つける。金箔は原住民によって加工され、エルモヘネスがそれを買いたたくことによって、一族の財産は保証されているのだ。彼は傷物の金箔を見てそれを原住民の仕業だと言い立てる。
「恥知らずの泥棒め。こんなことをするのは人食い人種だけだ。見ろこのひどい包みを」
と、エルモヘネスはののしり声を上げる。つまりここで人食い人種とは、ベントゥーラ一族の財産を盗む者という意味を持つのである。だから、親達の出発の後金箔を盗み出すグループの首謀者カシルダ(エルモヘネスの長女)を出し抜き、金箔を奪って逃走するマルビナもまた、後に"人食い人種"と呼ばれるだろう。
 第8章「騎馬行進」で帰還してくる親達に発見されるカシルダは、エルモヘネスに「何も変わってなどいない。何かが変わったとすれば、それは邪悪な人食い人種の仕業だ」と言われ、次のように父親に反駁する。
「人食い人種なんていないわ」「悪徳と暴力を正当化するためにあんたたちがそんな話をでっち上げただけよ!」
 カシルダはマルビナに騙され、置き去りにされ、ファビオと一緒に一年間「飢えと恐怖を凌いできた」経験によって、"人食い人種"などいないということ、さらには本当の人食い人種とは誰なのかということを正しく知るのである。
 第2部で使用人達の軍団が別荘と子供達を支配した後で、人肉食に言及される場面が2カ所ある。一つは使用人軍団の料理長が軍団のボスである"執事"に、人肉食への好奇心について語るところ。料理長は言う。
「クルド料理、ブッシュマン料理、コプト料理、エスキモー料理、これほどあらゆる料理を味わい尽くしてきた人間はごくわずかです。あらゆるグルメ体験の可能性を網羅し尽くした百科事典の編纂をもう少しで終えるところまできているほどです。しかし、その私ですら食べたことがないものが一つあり。それについては、今後も食べることはないと思いますが、好奇心だけはどうしても禁じ得ないのです。そう、人肉です」
 料理長は執事に対して、人肉食の許可を得ようとしているのだが、執事は「この人食い人種め! 怪物め!」と怒声を上げて追い払う。好奇心から、あらゆるものを食べ尽くした飽食からの好奇心によって、人の肉を食うことが許されるはずもないのである。
 この料理長の"贅沢"としての人肉食は、第11章「荒野」でのウェンセスラオ達の"やむを得ぬ"人肉食と対置させられているのだが、そのことには後ほど触れよう。
 もう一カ所は、「侯爵夫人は5時に出発した」ごっこの中の一場面においてである。邪悪な侯爵夫人=フベナル(自称本当のオカマ)は、コスメに言い寄り、夕食に招待する。コスメは料理を平らげた後求愛を拒否するが、公爵夫人は次のように言うのだ。
「薄情者! このアガペーの間、私は果物を少し食べただけだったでしょう? なぜか教えてあげるわ。私につれなくした仕返しに、人肉、そう、人肉を準備させたのよ、人食い人種特製の料理を食べさせてあげたから、これであなたも人食い人種の仲間入りね、そう、そうよ、裏切り者として処刑されたどこかの気色悪い人食い人種の肉を貪り食ったあなたは、今日から人食い人種よ…… 本当のことを教えてあげようか? 実はあなたたちはこれまでも毎日人肉を食べてきたのよ、だから、上の階の住人でない者は、皆人食い人種なのよ……」
 ここで人肉食は、支配の道具としての象徴性を持つ。そして階級を分かつ手段としての意味をも……。