玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ロベルト・ボラーニョ『2666』(6)

2016年01月02日 | ラテン・アメリカ文学

 第3部「フェイトの部」はアメリカ人の黒人雑誌記者オスカー・フェイトの物語であると同時に、アマルフィターノとその娘ロサの物語でもある。またそれ以上に、第1部、第2部とはまったく違った雰囲気の部となっていることも言っておかなければならない。
 第1部、第2部ではインテリ達が主要な登場人物となっていたが、「フェイトの部」はまったく違う。まるで卑猥で低俗なアメリカ映画を見ているような場面が続く。ボラーニョはニューヨークからデトロイトへ、そしてメキシコのサンタテレサへと移動していくフェイトの足どりを追いながら、彼の周りに暴力的なエピソードを積み重ねていく。
 ボラーニョは自身のアメリカ映画への愛好を隠さない。メキシコ系アメリカ人監督のロバート・ロドリゲスやカルト的人気のデビッド・リンチ監督の名前も出てくる。とにかく、この「フェイトの部」自体が映画的な手法によっていて、スピーディーな場面転換と多くの登場人物の出し入れをその特徴としている。
 暴力的なエピソードにも事欠かない。フェイトはサンタテレサにボクシングの試合の取材にやってくるのだが、スポーツ記者でもないフェイトがそんな仕事をするのは試合を取材するはずだった記者が、殺されてしまったからなのである。しかもボクシングは最も暴力的なスポーツではないだろうか。また、フェイトは記者仲間やサンタテレサの不良達とやたらと飲み、暴力の現場に遭遇し、自分でも暴力を振るう。
この部で初めて連続女性強姦殺人の詳細が具体的に示されていく。フェイトは次のようなニュースを、眠っていたために聞き逃すのだが、それをボラーニョが書いてしまう限り、フェイトが聞いたのと同じことになる。
「フェイトが眠っている間に、メキシコ北部のソノラ州サンタテレサ市で行方不明になったアメリカ人女性に関するニュースが流れた。レポーターはディック・メディーナという名のメキシコ系アメリカ人で、サンタテレサでは次々と女性が殺されていて、遺体の多くは引き取りを申し出る人がいないため共同墓地に埋められていると語った」
 メキシコシティからやって来た女性記者グアダルーペ・ロンカルも登場し、彼女が恐怖を代弁する。
「何もかもが恐くて。サンタテレサの連続女性殺人事件に関わる仕事に就くと、女性なら最後に恐くなるんです。痛い目に遭うことへの恐怖。報復への恐怖。拷問の恐怖」
 彼女は同僚の女性アナウンサーが、レイプされ、拷問にかけられ、殺されたことをフェイトに語る。彼女は「殺人事件の第一容疑者に面会をしなくてはならない」とフェイトに告げ、同行してくれるように頼む。
 アメリカのホラー・サスペンス映画におけるように、徐々に恐怖が掻き立てられていく。フェイトは体調不良のせいもあって、やたらと食べたものを吐くのだが、それさえ恐怖の増長に効果的に働く。このあたりのボラーニョの手法は冴えわたっている。
 ではアマルフィターノはどうしているか。フェイトは不良達の仲間に関わっているアマルフィターノの娘ロサと出会い、一目惚れしてしまう。フェイトがロサと二人で父親に会いに行くと、すでにアマルフィターノの恐怖は限界に達していて、フェイトに次のように懇願するのである。
「娘をアメリカに連れていき、それから空港まで送って、バルセロナ行きの飛行機に乗せてもらえませんか?」
 どこの馬の骨とも知れないフェイトに、アマルフィターノはこんなことを頼むのである。狂気と恐怖を逃れるためにはそれしかないからだ。フェイトはそれを実行するだろう。二人は車で国境を越え、アメリカに入るだろう。
 最後にフェイトとロンカルが「殺人事件の第一容疑者」に面会に行く場面がある。金髪の巨人であるその男は、謎の作家アルチンボルディの甥なのだが、そのことは第5部「アルチンボルディの部」まで明かされることはない。
 重要なことは何も語らぬことによって、ボラーニョは読者をこの長大な小説の最後まで引っ張っていく。