玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

クリス・ボルディック選『ゴシック短編小説集』(2)

2016年01月12日 | ゴシック論

 クリス・ボルディックは次のように議論を進める。もともとゴシックとは"ゴート族の"という意味の形容詞であった。それはローマ帝国にとっての"野蛮"を意味したが、いつしかヨーロッパ中世の暗黒時代を形容する言葉ともなっていった。
「中世的、それゆえに野蛮」というのが、ウォルポールの『オトラント城奇譚』が前提としたゴシックへの認識であった。だからゴシックという言葉は、「文学的用法においては、文化の再評価に関わる肯定的な用語とは決してならない」とボルディックは言う。
 そうした意味で中世のゴシック建築を復活させようとした、建築様式としてのゴシック・リバイバルとはまったく違う。ゴシック・リバイバルにあっては肯定的なものとして捉えられていた"ゴシック"という言葉は、文学上においては否定的なものでしかあり得ない。ボルディックは次のように続ける。
「ゴシック小説やゴシック譚は、ほとんど確実に古典的な嗜好や合理的な諸規範を愚弄するであろう。しかしながら、たとえそうしたところで、中世に対するいかなる肯定的な見方も、惹起はしない」
 つまり、ウォルポールに始まるゴシック・ロマンスが理想としたのは、決して中世の持っていた諸価値ではない。18世紀は言うまでもなく合理主義と啓蒙の時代ではあったが、ゴシック・ロマンスはそれに対して反旗を翻して、中世的なものを至上としたのでもなければ、それに憧れたのでもない。
 ボルディックは続いて決定的なことを言う。「文学におけるゴシックは、実は反ゴシックである」というのである。ボルディックが「ゴシックの反ゴシック主義」と言う時、それは「中世文明に対する根深い不信と、主に専制と迷信に関する過去としての中世文明の表象」を意味している。
 だから、日本の紹介者達が行ったようなこと、つまりゴシックを中世的なものへの憧れと捉えること、あるいは時代の合理主義的な思潮への反抗と規定することは、決定的に間違っている。ゴシック・ロマンスは18世紀の"光明"に対して、中世の"暗黒"を称揚したのではまったくない。
 たとえばルイスの『マンク』でもいいが、多くのゴシック小説が、厳格な規律の修道院、罰を与える場としての地下牢、残酷な異端審問所、つまりはカトリックの専制を好んで描いたにしても、それはそうしたものを賞賛するためでなどなかったことは誰にでも分かることだ。そうではなくゴシック小説は、カトリックの専制に代表される"ゴシック的なもの"を否定するためにこそ書かれたのである。
『放浪者メルモス』を書いたチャールズ・ロバート・マチューリンは、プロテスタントの牧師であった。『放浪者メルモス』に見られる、激烈なカトリック批判は、むしろゴシック小説の原動力でさえあった。ボルディックはカトリックによる反宗教改革によって迫害された、イギリスのプロテスタント達の記憶に触れて次のように言う。
「ゴシック文学の反ゴシック的感情の基底には、反宗教改革によって迫害されたあの時へと引き戻されるのではないか、という悪夢が横たわっている」
 さらにボルディックは続ける。
「初期ゴシックのころに競い合った諸派の間には、しばしば相違が見出された。そうした相違は、カトリックの迷信に対する全会一致の同意の中で消失する。カトリックの迷信は、情け容赦なく皮肉られ、非難されるのである」
 ボルディックはなぜに初期のゴシックを担った作家達が、プロテスタントであったのか、そして彼らがいかに共闘してカトリックと闘ったのかということを明らかにしている。それだけではなく、ボルディックの議論はなぜゴシック・ロマンス、あるいはゴシック小説が、イギリスをその起源としなければならなかったかということを、完全に説明するものとなっている。
 ボルディックは、建築様式としてのゴシック・リバイバルと、文学上のゴシックというものを峻別する。しかし、日本の紹介者達はこの二つのことを完全に混同してしまっていた。
 中世の古城への憧れ(それは、カトリックの修道院や地下牢への憧れとも通じる)のようなものを、ゴシックの本質と考えたのである。だから"反時代的美学"なるものが至上のものとされた。だからゴシックはいつでも過去へと押しやられ、その現代的展開などあり得ないものとなる。
 結局、日本の創作の世界でゴシック的なものが根付かなかったのは、作家達の責任であるよりも、紹介者達の責任に帰せられなければならない。