玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

デイヴィド・パンター『恐怖の文学』(2)

2017年02月18日 | ゴシック論

 第1章は「序論 ゴシックの諸相」と題されている。この章は概括的に「ゴシック」ということを定義しようとする試みである。表層的にゴシック小説を定義するならば、パンターの言うように以下のようなものとなるだろう。

「なかでも重要なものは恐怖の念を呼び起こすものの描写に重点をおくこと、古めかしい設定を一様に強調していること、超自然の使用が目立つこと、かなり型にはまった登場人物が出てくること、文学的サスペンスの技巧を効果的な使用によって完成させようと試みること」 

 このような定義は私の知っている限りでは、アン・ラドクリフの『ユドルフォの謎』のような作品に過不足なくピタリと当てはまるものであり、パンターは本書のなかで、ラドクリフの作品『ユドルフォの謎』と『イタリアの惨劇』をゴシック小説を代表するものとして、繰り返し取り上げることになる。
『イタリアの惨劇』に関しては古書価が高すぎて、購入して読むにいたっていないが、『ユドルフォの謎』については、ちょうど一年前に原文で読んでいる。『ユドルフォの謎』を読んでいないと、パンターの議論について行けない部分があるので、一年前に苦労して読んでおいてよかったと思う。
 しかも翻訳でなく、原文で読むという体験は、とにかく丁寧に読むこと、すっ飛ばしたりしないできちんと読んでいくことを強いるので、私は『ユドルフォの謎』の様々な場面をよく記憶している。翻訳で読むよりも細かいところまで記憶することになるので、これは小説を原語で読むことの効用の一つということになるかもしれない。
 以上のような定義は初期のゴシック小説には当てはまるが、今日まで連綿と続くゴシックの流れ全体には適用出来ない。パンターもそのことを理解していて、アメリカン・ゴシックと言われるものの存在についても触れている(第7章は初期のアメリカン・ゴシックのために割かれている)。
 しかし、もっと新しい作品、たとえばウィリアム・フォークナーやトマス・ピンチョンのような作品にどう対応するのかは示されていない(ひょっとして翻訳されていない第2巻でその問題は展開されているのだろうか)。
 だから、ここでパンターの言う「ゴシックの諸相」はその誕生から19世紀初めにかけての作品群にのみ当てはまるものだということが分かる。ゴシックの特徴はパンターによれば以下のようなものになる。

「中世的で、原初的で、野性的であったものに、それ自体でひとりでに、積極的な価値が付与されるようになった。」

「ゴシックは古風で異教的な世界であり、確立された文明社会の価値や整然とした社会に先行し、対抗し、抵抗した」

啓蒙の世紀と言われる18世紀に、なぜ中世的なもの、原初的なものへの回帰の運動がおきたのか、それは「文明社会の整然とした社会」に対する抵抗からであったというのが、マルクス主義者らしいパンターの考え方である。


 ところで、今年の読売文学賞を受賞したジェフリー・アングルスさんが英語に翻訳した折口信夫の『死者の書』は、ジェフリーさん自身によってa gothic tale of loveとして紹介されている。
 我々日本人も『死者の書』について、そのような作品として認識し直す必要があるのかも知れない。確かにいにしえの貴族と幽霊との愛を描いたこの小説は日本の小説史の上では例外的にゴシック的であり、この「ゴシック論」でも取り上げるに値する。
 だから、ジェフリーさんの翻訳と折口の原文とを照らし合わせて読んでみようと思っている。なるべく早いうちにやってみることにしたい。