第6章は「ゴシックと歴史と中産階級」であり、ゴシック小説への歴史的テーマの導入を扱っている。前章で取り上げた3人の作家にはなかった視点である。取り上げられている作家は、ウォルター・スコット、ブルワー=リットン、G・P・R・ジェイムズ、ウィリアム・ハリソン、エインズワース、G・W・M・レノルズであるが、いずれも超多作の大衆作家であるらしい。
ウォルター・スコットとブルワー=リットン以外は名前さえ知らなかったし、読んだことのあるのはリットンの作品だけである。だから私はリットンの作品ついて触れることしかできない。
ブルワー=リットンの代表作は、短編では「幽霊屋敷」という作品である。この作品が世界中で最も恐い小説三作のうちの一つとされていることは前にも書いた。パンターは次のように書いている。
「リットンは怪物の姿そのものを描こうとするような過ちは犯さない。むしろ、それを曖昧で正体が知れないままにしておいて、怪物が引き起こす次第に高まっていく恐怖の感情を綿密に描写することで、怪物が与える衝撃を高めようとするのである。」
パンターがここで言っていることは恐怖を煽り立てる技術的な側面についてであって、前章で展開された恐怖の原因となる迫害といった、本質的な問題についてではない。
私も「幽霊屋敷」を読んで戦慄を覚えた人間の一人であるが、評価したいのはやはり描写の技術であって、文学の本質に関わる部分ではない。
リットンの本格的なゴシック小説『ザノーニ』は邦訳があって、私も読んだ。しかし、どう読んでも先行するゴシック小説を換骨奪胎した作品以上のものではない。それでもパンターはこの作品を積極的に評価するのである。
その理由は『ザノーニ』が社会から締め出された個人の悲劇的な運命を描いているからだという。リットンは「中産階級と対決した作家」であったし、貴族社会の復権を望んでいたにも拘わらず、パンターは彼を擁護する。このマルクス主義者としてはかなり屈折した考え方は、パンターのゴシック小説への偏愛そのものから来るのだとみなさなければならない。
リットンもたくさんの本を書いたが、レノルズはもっと膨大な量の本を書いた大衆作家であったという。マルクス主義者であるパンターはその作品の質に拘わらず、レノルズが「女性の権利の承認、反ユダヤ主義運動の排斥、私有財産の廃止、国教会の解散に賛成し、死刑と貴族の特権に反対する論陣を張った」がために、彼の作品を評価する。
しかしこれでは、作品論はおろか文学研究にもならない。パンターは「階級間の問題に、明白にそして教訓的にさえ関連した事柄が、ゴシックというジャンルで始めて述べられたのである」と言っているが、これが彼の階級論の結論だとすれば、私にはとうてい受け入れられない考え方である。せっかく第5章で優れたゴシック作家を取り上げて、その作品を評価して見せたのに、これでは台無しである。
確かに、もともとゴシック小説は大衆小説として出発した。そのほとんどが通俗的で、文学的価値の薄いものであることは認めるが、今日見向きもされない作家たちの作品を取り上げて賞賛し、ゴシック小説の本質をそこに見るという姿勢は褒めたものではない。