第2章は「ゴシック小説の起源」であり、いわゆる墓畔派の詩歌から、ゴシック小説の創始者ホレース・ウォルポール、クララ・リーヴにいたるまでを扱っている。墓畔派というと聞こえはいいが、原語のGraveyard Schoolを直訳すれば
墓場派ということになり、墓場のことばかりを作品にしていた詩人たちがそれである。
パンターはエドワード・ヤングなどの詩人を取り上げているが、私は読んだことがないので知らない。ただし、パンターが引用する以下のような詩句を読めば、それがゴシック的世界に直結していることが理解される。たとえば……
沈黙と暗黒よ、厳粛な姉妹よ! 双児よ、
太鼓の夜から生まれ、理性に向けて優しい思いを育て、
理性に堅忍不抜をもたらすものよ。
(それは人間の真の尊厳の柱なのだ)
私をたすけよ、私は墓にあっておまえたちに感謝する。
ここに見られるのは理性主義と、墓に象徴される死への洞察との同居である。18世紀はこのようにして啓蒙の世紀、理性の世紀であったのである。では啓蒙思想が席巻していた時代に、反理性的とも思えるゴシック小説が誕生する余地がどこにあったのかというのが、パンターの議論になる。
パンターはマルクス主義者らしく、ナチスの反ユダヤ主義の原理に〝啓蒙〟というものが関わっていたと主張する、ホルクハイマー、アドルノの『啓蒙の弁証法』を援用しながら、次のように述べている。
「恐怖とは、あらゆるものを理性の支配下に置こうとする試みの、根源でもあり、結果でもある。理性的には同化し得ないものが、同化できないがゆえになおさらタブーになるので、理性主義は、自己破壊的な論理となる。つまり理性そのものが、自らの敵を作り出すこととなるのである。」
ここで言われていることは、20世紀のヨーロッパで行き過ぎた画一的な理性主義が、その反動として反ユダヤ主義を生んだように、18世紀の啓蒙思想はその画一的な理性主義から逸脱するものを生んでいったということに他ならない。
しかし、本当にそうなのだろうか。ゴシック小説は理性主義からの反動形成にすぎないのだろうか。私はそうは思わない。
啓蒙思想が生み出したものが理性主義であるとすれば、それは自然と超自然というものを峻別する考え方につながったと考えるべきである。怪異が怪異として認識されるためには、そこに理性の介在がなければならない。
啓蒙思想以前には怪異や超自然は人間にとって自然と未分化な存在なのであって、怪異や超自然がそれとして認識されていなかったことが指摘出来る。怪異や超自然が認識されない限り、恐怖小説や怪奇小説は生み出され得ない。
このことは20世紀・21世紀の科学万能の時代にあっても、依然として恐怖小説や怪奇小説が書かれ続け、読まれ続けていることからも理解されるだろう。ゴシック小説は理性主義に対する反動としてあるのみではなく、理性主義そのものに含まれるある部分を代表してもいるのである。
だからラドクリフの『ユドルフォの謎』では、そこに描かれるすべての怪異が小説の後半で合理的に説明される。ラドクリフは超自然の存在を許容しないが、ゴシックの伝統のなかで、そのような部分もまた今日まで引き継がれてきているのである。
ところでパンターは18世紀における貴族の没落と中産階級(ブルジョワジー)の勃興ということを、ゴシック小説誕生の時代背景として考えているが、この辺の議論がうまくいっていない。
当時は書物が大変高価なものであったから、誰でも買って読めたわけではない。写実主義からゴシックへの転換の背景に読者層の交替があったとする考え(貴族からブルジョワジーへの交替)もあるが、パンターはどちらも読者層は同じであったと結論づけているから、階級交替論が成り立たない。
そんなに図式的にうまく割り切れると考える方が間違っているのだろう。