玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

Beth Hart, War in My Mind(2)

2019年07月23日 | 日記

 曲はサビの部分に入っていって、この聴かせどころがかなり長い。Bethのヴォーカルは、曲が重力に従って落ちていきそうになるのを力業で持ち上げていく。この辺で着地するかと思われるところを、さらに上昇させ、まだまだ……という感じで続いていく。

And this is more than I can handle
Give me something strong

to fill the hole

の部分が最大の山場となる。息苦しいほどの緊張感が続く。歌詞からも分かるように、ここは悲痛な叫びの部分で、このようなストレートな歌詞がこれまでの彼女の曲になかったわけではない。

 War in my mindというフレーズはBlack in my soulからBlood on the wallへと引き継がれていく。Warはもちろん比喩的な表現であって、実際の戦争のことを言っているのではない。彼女がこれまで生きてきた場面での苦闘の連続のことを言っている。

 たとえば2007年のCrashing DownやAt the Bottomも、彼女の苦渋の人生をストレートに歌った曲であった。しかし、War in My Mindのような、ストレートでありながら普遍的な意味を帯びた歌にはなっていなかった。

 Beth Hartはインタビューに答えて次のように言っている。

More than any record I've ever made, I'm more open to being myself on these songs, I've come a long way with healing, and I'm comfortable with my darknesses, weirdnesses and things that I'm ashamed of – as well as all the things that make me feel good.

 彼女の言葉は、彼女の言ってみれば〝私小説的〟な性格について多くのことを示唆している。大切なのはI'm comfortable with my darknesses, weirdnesses and things that I'm ashamed ofの部分である。彼女は自分自分を気持ちよくしてくれるものと同じくらいに、自分の中の暗い部分、奇異な部分、自分で恥と思う部分に居心地の良さを感じると言っているのである。

 暗いもの、否定的なものへの執着はそこから生まれる。War in My Mindはそういう歌である。厳しい歌である。魂の底まで触れて欲しくない人にとっては疎ましい歌でもあろう。しかし、暗いもの、否定的なものの慰謝は、曲を聴く者へと確実に伝染していく。この救いのないBlack in my soulこそがある種の聴衆に、悦びと慰めをもたらすだろう。それはBethのBlack in my soulを共有できる者に限られるだろうが。

 War in My Mindとは何か。もう一度Bethの言葉に耳を傾けてみよう。

On this album, I'm even closer to vulnerability and openness about my life, about love, addiction, my bipolar, my dad, my sister.

彼女のファンなら誰でも知っている十代からの薬物中毒、bipolar-disorder(躁鬱病)、母を捨て他の女と暮らした父のこと、薬物のため十代で死んだ妹のこと、そんな体験に今まで以上に意識的に近づこうとしているのだ。

 現在Bethは愛する夫を持ち、アーティストとしても成功を遂げ、もうそうした苦闘の時代を過ぎていると思われるのに、未だにこれほどに暗く悲しい曲を書くことができる。暗いもの、否定的なものへの親和性は彼女の身に染みこんでしまっているのだ。彼女が本物である証しである。

(この項おわり)