玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

フランソワ・ビュルランの絵画世界

2011年10月14日 | 日記
 柏崎市新橋の文学と美術のライブラリー「游文舎」では、スイス人の画家で“ヨーロッパを代表するビジョナリー・アーティスト”と言われる、フランソワ・ビュルランの個展「深い闇の奥底」を開いている。
「深い闇の奥底」はAu Coeur des Tenebleの訳語であるが、「闇の中心部で」とも訳すことができる。“闇”が何を意味しているのか、十六点のシリーズを見れば理解されよう。“闇”とは、人類以前の時代の深淵のような世界を示しているのである。
 十六点の作品は全て同じ構造を持っている。二人あるいは三人の鋭い歯を持ち長い山羊髭をたくわえた呪術師、あるいは魔術師のような老人の顔が描かれる。呪術師は呪文を発するが、呪文は“言葉”とはならずに、蛇や六本足のトカゲ、あるいは脚の痕跡を残した古代魚に姿を変える。呪文によって生み出された奇怪な生物達が画面の中を跳梁跋扈する。
 ところでこの呪術師はヒトなのであろうか。シリーズ中の数点の作品で、この呪術師がヒトではなく、ペガサスのように翼を持ち、ケンタウロスのように獣の体をもった半獣神であることが示されている。半獣神の呪文によって、生命が、それも極めて奇怪な生命が生み出される。人類以前の時代の暗闇がそこに展開する。
 世界が神によって生み出されたものではないとすれば、半獣神の呪文によって生み出されたものに違いない。もちろん生命もまた。始源の生命の世界が、我々が想像するところ、神の摂理のように整然としたものではないのであれば、始源の生命は、半獣神の気まぐれな呪文によって生み出されたものなのであると、ビュルランは言いたいかのようだ。
 原始への遡行は、美術の世界で幾度も試みられてきたことだが、いずれも人類以降の時代への遡行に止まっている。ビュルランはさらにその先、いやその奥までへも遡行しようとする。闇の底へ、闇の中心部へ向かおうとするビュルランの意志は強靱であり、強迫観念に憑かれたかのように、同じテーマを何度も何度も繰り返す。
 そうしなければ、遡行を継続することができないからである。ビュルランにとって、絵を描くことは、創造の闇の中心部へ繰り返し繰り返し向かっていくことに他ならない。そして、ビュルランの作品に向き合う者もまた、繰り返し繰り返し創造の闇の中心部へと向かうことを強いられるのだ。

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