東海道新幹線の車内で自分と同年の71歳男性が焼身自殺し、無関係の50代女性も巻き添えとなった。
孔子は、『70にして己の欲するところに従えど則を超えず』と自己分析した。凡人たる自分は孔子には遠く及ばないものの、経験に依って生きれば《そう大きく社会規範を踏み外すことはない》と思っているが、近年の凄惨な老人犯罪については考えさせられる。古来『人間、歳を重ねれば丸くなる』と云われてきたが、それは異論や不条理に対して寛容になるのではなく、それに反対する気力を失くすだけの事ではないかと考えるようになった。そうなればストレスは澱のように蓄積してしまい、極端な形で発散されてしまう。また、異論に対する寛容さが失われることは、他の価値観を認めないことに繋がり客観性を捨て去ってしまうこととなる。客観性が失われれば残るのは主観だけであり、思い込みや社会規範を超えた自己律で行動するしかなくなる。昔の人が言った『頑固爺』は、社会規範と自己律を同化させた極めて常識的な老人で、なおかつ気力はあるものの行動の自由を失った老人が多かったのではなかろうか。戦後の教育荒廃期に思春期を、個と個性がなにより尊重された時代に青年期を過ごした現在の老人については、古き良き頑固爺となる要素は備わっていないと思われる。体だけは健康で、社会規範を超えた自己律のみで行動する不健康老人、言い換えれば老人犯罪予備軍は今後もますます増えていくのではないだろうか。
やはり、高齢者は体力を失って、口害あるものの他人に危害を加える恐れが無いことが社会平和につながるのではないだろうか。
老人よ!! 体力維持の運動と、医者通いを止めよう。