少年A(酒鬼薔薇聖斗)の手記「絶歌」が出版されて旬日が経過した。
手記を書いたことと出版したことの是非について、識者の評価も分かれているが、自分は読もうとも思わない。なぜなら、少年Aの更生についてまったく信用していないからである。このような考えは、世間的には『受刑者や精神異常者に対する差別』と受け取られるであろうことを確信した上でのことである。古来、『雀百まで踊り忘れず』と云われるように、先天的な嗜好は矯正または変更することは不可能と信じるからである。確かに犯罪者が余生に顕著な社会貢献をすることがあるが、それは後天的な欲求によって引き起こした犯罪を後天的な理性によって克服した場合、または本性に基づく更生の場合であり、快楽・嗜好追及のための犯罪とは別の犯罪の場合であると思う。少年Aが、医療刑務所の厚生プログ゛ラムで自分の本性を克服したのならば、もしくは社会常識を得たのならば、このような手記を書くこともなく、また仮に、自分自身を見つめ直すための衝動で書いたとしても、世に出すことは無かったと思うからである。出版社である大田出版も「売らんかな」の問題本を出版する札付きの出版社であるらしい。報道・表現の自由とは、あくまで社会正義のために保障されたものであり、拝金のために害毒を垂れ流す出版元には、報道者としての品性のかけらも感じられない。
救いは、販売を自粛する書店や、購入しない図書館等の存在が報道される等、言論・出版界や流通過程に自浄作用が働いていることであると考える。