もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

便益を知る

2024年03月10日 | 防衛

 原価・利潤意識の希薄な職に半生を送ったためであろうか。便益と云う言葉を知らなかった。

 ネットで調べると、「便利で、利益があるようにすること。また、そのさま。(精選版 日本国語大辞典)」、「便宜と利益。都合がよく利益のあること。(Weblio)」とあった。
 今朝の産経新聞「東日本大震災あす13年」の記事中、防潮堤の功罪を論じる一環として東大大学院の学生がある地区の「防潮堤建設計画に関する費用便益分析」という論文を書いて、便益から建設費や失われてしまう景観などの「費用」を差し引いた「純便益」が大きなマイナスになると試算しているとしていた。
 ある事象を数値化することで、損得勘定を定量的に示すので理解しやすい半面、一つの方向性を持たせるために数字を利用することも多いように思うが、今回の論述者は大学院生であるので、色眼鏡でなく真に学術的な手法で考察した末の結論であるように思うものの、便益や景観毀損費用の評価係数を知りたいところである。
 防潮堤で救える可能性の人命を何円の「便益」とし、損なわれる景観を何円の「費用」としているのであろうか。論文の指導教授は公共経済学が専門とされているので、それらについて数値化する手法は既に学会内では確立されているのであれば、是非とも国民の共通認識として広めて欲しいものである。
 自分のように数字や金銭感覚に弱い人間は、定性重視の感覚で「何億円かかろうとも、一人の人間でも救えるならば良し」と考えがちであり、ひいては「それが人類愛である」との独善に陥ってしまうが、公共経済学の立場に立てば「公共(国家)が存続するためには便益も制限すべき」という結論になるように思える。

 防衛力の整備に関しても、迎撃ミサイル1基の値段や装備数に関して甲論乙駁である。識者も「武力侵略劈頭における国民の犠牲を局限するための必要数」としか述べ得ないが、公共経済学の手法をもってすれば「〇〇人の犠牲で済むための所要数」を定量的に示すことができるのかも知れない。
 そうなれば、〇〇人の犠牲数を巡っての攻防は新たに起きるだろうが、少なくとも理性的な考察による質疑に変化し定性的な反論・金切り声は聞かなくて済むようになるのではないだろうか。
 最後に、本文は、出発点となる公共経済学を理解していないために起きた愚文であるかも知れないことを付言します。